兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

久米泰介「男性に対する性の商品化の学問上の批判」を読む

2018-01-13 22:56:44 | 男性学

 やれやれです。
 こういうのを正しく「馬脚を顕した」というのでしょう。
 というわけで遅ればせながら、みなさんあけましておめでとうございます、兵頭新児です。
 ちょっとボケてるヒマがないので、早速本文に参ります。
 表題のテキストが、久米泰介師匠によって発表されました(https://sites.google.com/site/jiumitaijie/classroom-pictures/nan-xingheno-xingno-shang-pin-hua-pi-pan)。
 実のところ久米師匠については近年、かなり見直しておりました。
「俺の子分」くらいの位置づけにしてやってもよかろう、とまで思っていたのですが、しかし上のテキストを見ていっぺんで評価が変わりました。こりゃあ、アカンとしか。
 師匠の主張はシンプルなものです。
 それは即ち、「少年や男性に対しての性の商品化や性的搾取は完全に放置されている。男性差別である。」というもの。
 この自体に対しては「まあ、そうだなあ」と素直に首肯できます。
 にもかかわらず、ぼくはこれを読み、「あぁ、アカンわ」と呆れてしまいました。
 何故か。
 ちょっと回り道をして、「表現の自由クラスタ」やその姫である「ネオリブ」に対して、お話ししましょう。
 ぼくは彼ら彼女らに対して、「これなら彼ら彼女らがラディフェミだと思い込んでいる一般フェミの方がマシだ」と言ってきました。
 彼ら彼女らの(口先から出て来る)主張は「ポルノ規制まかりならぬ、(ミソジニー同様)ミサンドリーまかりならぬ」というものだからです。
 これに対してもまた、ぼくは「そうだけどアカン」との評を与え続けて来ました。
 ネオリブは「ポルノを認める(フリをする)フェミ」としてリベラル君たちの支持を取りつけてきましたが、仮にそれを認めてしまうと、「今の社会の人間のセクシュアリティ、そしてそれに先行するジェンダーは全て間違っているのでリセットしなければならない」とする「ジェンダーフリー」など、絶対に認められないはずだからです*1
 そうした詭弁を弄する連中に比べればまだしもアンチポルノのスタンスを謳っている方がフェアだし、理論に破綻も一つだけ少ないからです。
 もっとも、そうは言ってもそれはあくまで-10000と-9999の差でしかありません。別に後者を選ばなければならないという法はなく、両方ダメだとジャッジすればいいだけのハナシです(「表現の自由クラスタ」がどうして、ああまで、半狂乱で、血眼で、「ボクの味方をしてくれるフェミニスト様」を探しているのかさっぱりわからないのですが、きっと魔女にフェミと結婚しないと死ぬ呪いをかけられたのでしょう)。

*1 仮に「そんな過激なものではなくもっと緩やかな性の選択肢を増やすことがジェンダーフリーだ」と強弁するなら、(男性に対しては置くとして)女性へのジェンダーフリーはもう過剰なまでに実現しているでしょう。結局、矛盾しているのです。

 さて、そんで、久米師匠についてです。
 師匠の筆致を見ていると「男性の性被害」について個人的な執念があるご様子。「少年」へのそれについてがことさらに強調されていて、その情念自体は尊重されるべきだろうと思います。
 男性の性被害が放置されている現状については、いくら強調しても強調し切れません。何よりフェミニストたちはむしろそれを推奨し、隠蔽を続けて来たのですから、この点についてはぼくも素直に賛意を示してきたはずです。
 しかし、やはり師匠は「アカン」のです。
 その理由は二つあります。
 一つ目は、「戦略」面。
 先のテキストを読んでいくと師匠は「二次元のポルノすらも許せない、アイドルすらも許せない」と言い出します。こうなると、一挙にハナシが怪しくなってきます。AKBやジャニーズなどについては考えるべき点もあろうが(少なくとも後者にセクハラ問題があることは事実でしょう)、しかし師匠の主張はその存在自体を否定しているのですから、もう、こりゃアカンやろとしか言いようがありません。
 正否は置くとして、この主張が果たしてどれだけ世間に受け容れられるか。かなり大幅な見込み違いを、師匠はしているように思います。
 何しろ彼は「ポルノはこの数十年で絶滅する」というトンデモない予言をしているのですから。
 そう、残念なことですが、師匠には世の中が全く見えていないのです。
 そして蛇足ですが、師匠がその主張の根拠としてマッキノンを持ち出し、その説を正しいとしていることが象徴するように、この師匠の「認知の歪み」は彼が「フェミニズム村」に住民票を持っていることが理由であるように、ぼくには思われます。
 ぼくは師匠が『男性権力の神話』のあとがきで、「フェミニストは味方だ(大意)」と書いたのを見て、「現実が見えていない、フェミニスト信者」であると腐しました。が、その後の彼の発言を見るに、それなりにラディカルなフェミニズム批判がなされているのを見て、冒頭に書いたようにかなり見直すようになったわけです。
 しかし、やはり、案の定、危惧した通り、久米師匠はいまだ、フェミニズム村から出たことが、一度もない方だったわけです。これは、「表現の自由クラスタ」がフェミニスト様に絶対服従を誓いつつ、まるで『ピュアメール』の主人公のようにフェミニスト様を「ボクのことをボクの望み通りに鞭打ってくれる理想の女王様」に仕立て上げようとしている様と「完全に一致」しています。

 二つ目の理由は、「理論」面。この主張が男女のセクシュアリティを全くすくい取っていないものであることです。師匠の主張は男女のセクシュアリティの非対称性を、全くもって理解していないお粗末極まるものだということなのです。
 想像ですが、久米師匠が「二次元も」と言い出した裏には「BL文化」があるのではないでしょうか。テキストを見ると、レディコミ、ジャニーズについては饒舌に語られている割にBLの文字はないのですが、ぼくにはBLという概念を導入しないことには、師匠のテンションの高さの説明がつかないように思うのです。
 そもそもレディコミについては男性向けのポルノと変わりがないものなのだから、それを「男性への性的搾取」とするのであれば、「男性向けのポルノ」もまた「男性差別」だ、とでもしなければ平仄にあわない(仮にそうした主張であれば、ぼくは三割ほどであれば賛成します)。レディースコミックというモノが流行しだした頃、それを誤魔化すため、フェミニストが大慌てでデタラメな詭弁を弄した『レディース・コミックの女性学』という本が出されたくらいです。
 アイドルだって「少年アイドル」より「少女アイドル」の方が遙かに盛んでしょう。SMAPが四十男であったことが、いよいよ「少年への虐待」と憤る師匠のテンションに違和感を呼び覚まします。
 となると、やはり師匠の目はBLに向いているのではないか。
 これは「女性による、それも同人文化などから発祥した自発的な、男性ばかりが絡むポルノ」というそれなりの独自性を持ち、「少年への性的搾取」と言われた時、それなりに納得がいく表現ではある。ぼくもBLに対してムカつく部分はあり、腐女子にマナーを弁えろとは言いたい時もあります。が、仮にそれらを勘定に入れても、師匠の言を正しいとするなら、女性が性対象となる、いわゆる普通のポルノが「女性への性的搾取」であるとのロジックもまた、受け入れざるを得ません。となると「(二次元を含め)ポルノは禁止」とならざるを得ませんが、それで不利になるのは男性の方であるのは、自明でしょう。男の裸も、女の裸もNG、という世界が仮に来たとして、ダメージがでかいのは男の方に決まっているのです。
 何故か。
「男性が女性の肉体性に惹かれ、それを求める」というセクシュアリティに端を発したジェンダー規範というものが極めて普遍的なものであるからです。
 ぼくは以前、「女性週刊誌やワイドショーの不倫記事の類こそ、女性向けポルノ」と言いました。それは「男に構われるワタシ」という物語性、関係性に萌える女性のセクシュアリティの本質を端的に表現した言葉です。女性も男性にモテたい。しかしそこで希求されるのは別に「イケメンのヌード」ではなく「女性が男性に求められるという物語」なのだから。逆に言えばそこまでを「ポルノ」と認めるくらいでないと、師匠の「ポルノ観」では「男性差別(とやら)」に切り込む力を持ち得ないのです*2
「女災」理論は「そうではない、男は能動性を求められる存在、女性を追い求める存在だ。だからこそそうした性役割を担う者としての辛さに責め苛まれているのだ」との主張です。そしてこれは言わば、昨今のトランプ現象、Brexitなどと同じ性質を持っている。
 果たしてどちらが現実に切り込み得るかはもう、自明です。


*2 細かい話になりますが、師匠が「少年への虐待」を強調しているのは象徴的です。恐らく個人的にこだわる事情を持っておいでで、そこは尊重したいのですが、これは逆に「男の中で、まだしも性的に虐待されがちなのは少年くらい」という身も蓋もない事実を、ぼくたちに教えてしまう結果となってしまいました。「男の娘」などを見てもわかるように、「少年」というのは言ってみれば「疑似女」としてポルノの対象となり得るが、その事実は男女のセクシュアリティの非対称性、ヘテロセクシズムの強固性をむしろ、裏打ちするものでしかない。つまり、「性的に価値を持つのは女性の身体、少年はその女性に近いので価値を持ち得る」のです。


 しかし、そもそも、久米師匠がマッキノンなどの「ポルノは性差別」論を肯定している以上、彼の頭の中には「ポルノのせいで性犯罪が生まれるのだ」というとっ散らかった、粗雑極まりない人間観しか存在しないということになります。ここまでBLが普及しているのに「女性の男性への性犯罪」が激増しているように見えないことが、即、マッキノンのロジックが間違っていることの証明になるような気がするのですが、師匠は気にする様子がありません
 それではやはり、「いくら何でもアカン」でしょう。
 そもそもがフェミニズムとは「女性が性的であるが故に被るデメリット」という、本当に稀少な、レアメタルみたいなモノを輸出してカネを稼ぐ、斜陽産業でした。フェミニズムが「性犯罪冤罪」によって成り立っているのはそれ故です。
「女災」とは「女性が性的であるが故に男性が被るデメリット」であり、「フェミのロジックが既に斜陽産業であるとの指摘」です。
 男性が苦境に置かれていることの原因は、人々がそうしたパラダイムシフト以前の状態に留まっているがため、「女災」という概念が人口に膾炙しないからでした。
 大変残念なことですが、この非対称性を、久米師匠は全く理解していません。
 よりにもよって「男の武器にならないモノしか出ない、掘り尽くした炭鉱」に行って何がしたいんだお前は、という感じです。
 久米師匠と「表現の自由クラスタ」とは方向性が正反対なだけで、そうした男女セクシュアリティの非対称性に対しての不見識という意味では、「完全に一致」を見ているのです。
 彼らはいずれも理路も解せずフェミ炭鉱にむしゃぶりつき、フェミニストの靴をペロペロ舐めながら、彼女らの掘り起こした石炭のカケラを血走った目で拾い集めようとして、しかし無惨にも5gくらいしか掻き集められたなった哀れな存在でした。
 本件は「どうでもいい人物の、どうでもいい死」にすぎませんが、それでも「まだしも、死ななくていい側の人間」の哀れな死であったとは言えましょう。
「男性が搾取されている事態」という一点だけを取れば、彼は貴重な認識を成し得ていた人物ではあったのですから。

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