市川大河という何だかよくわからない御仁がいます。
グラサンにハゲにヒゲという893紛いの、オタクとは180°違うルックスをツイッターアイコンにして睨みを利かせていらっしゃるのですが、どうも特撮やロボットものがお好きでいらっしゃるらしい。度々問題を起こしておいでらしく、2chにウォッチスレなどを立てられている御仁なのですが、例の「ガンダム事変」*1の時にぼくに噛みついてきて、それ以降もことある毎にそれを蒸し返しておいでのご様子です。
先日、この大河アニキはシミルボンの『機動戦士ガンダムを読む』第3回でぼくをやり玉に挙げていらっしゃいました。
数年前Twitterで、『ぼくたちの女災社会』等の著書を持つ兵頭新児氏が、「『ガンダム』って何となく女性ファン少なそうな気がするけどな。シャアなんか明らかに市川治の系譜を狙ってたはずだが。とは言え、やはりその市川治でもわかるように腐女子が「男の世界に乱入してきた存在」であることには原理的に変わりようがない」とツイートし、『機動戦士ガンダム(以下『ガンダム』)』(1979年)ブームを直撃で体験した筆者などの身からすれば、考えられないレベルの歴史修正主義的な見解を披露して、大炎上したという案件があった。
「『ガンダム』って何となく女性ファン少なそうな気がするけどな。」という発言を「考えられないレベルの歴史修正主義的な見解を披露し」たと評しておいでですが、いかがでしょうか。
仮にぼくが「昨日は何となく雨だった気がするけどな。」と発言したとして、それが勘違いで実際には晴れであったとしても、「歴史修正主義」とは呼びませんよね。「何となく」「気がする」と言ったくらいでそんな風に糾弾されるなんて、恐ろしい話です。ヘイトスピーチ規制法成立後の世界では、こういうことが通用してしまうのですね。
まさかとは思いますがこの人たち、別の場所では「表現の自由」などと口走っていらっしゃらないでしょうなあ(……って、当時も書いたな、このツッコミ)。
そう、通常の感受性を持っていたら絶対におかしいと感じる、論理的な整合性の完全に破綻した文章。これは、加野瀬未友が「市川治」「何となく」「気がする」といった諸要素をカットして表題にしたのに対し、アニキはそこをカットしなかったがために生じた珍事です。まあ、カットしなかっただけ正々堂々としているとも言えますが、そのために万人の前で彼らの異常性が露呈される結果となってしまいました。
ただし、加野瀬も表題(リード文)でミスリードを誘っていただけで、ツイートそのものは「市川治」「何となく」「気がする」といった発言を含むものもそのまま、アップしていました。やはり彼ら、最初から何も考えていなかっただけかも知れません。それで騙される人々(例:鋼鉄サンボ、新井博之助、原田実)の知的能力が心配になって来ますが。
「自分の気に入らぬ発言は絶対に許してはならないのだ」と絶叫を続ける彼らですが、その一方、その反論として出してくるのは決まって「自分にはファンの女友だちがいた」という超主観的なものなのも奇妙です。彼らの青春時代と、それに対する彼らの想いが窺い知れ、胸に熱いものが込み上げますね。
*1「ガンダム事変」についてはもう、蒸し返すのもイヤなんですが、絡んでくるのだから仕方がありません。
ぼくが「『ガンダム』はロマンロボ(市川治さんの出演する諸作品)に比べると何となく女性ファンが少ない気がする」とツイッターでつぶやいたところ、サブカルライターの加野瀬未友がtogetterに「市川治」「何となく」「気がする」を抜いた形のリード文でミスリードさせ、子分たちを焚きつけて狂ったようにこちらを叩いてきた、という事件です。
詳しくは以下を参照。
「『ガンダム』ファンの女子は少ない気がすると言っただけで政治的論争に組み込まれちゃった件」
「「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応」というデマまとめについて」
「「ホモソーシャル」というヘンな概念にしがみつく人たち」
さて、上の記事は最近のものなのですが、これをきっかけに、しばらく前にもアニキによる誹謗中傷が同じくシミルボンで記事にされていたことに気づきました。
「既に30年前に「となり」じゃなくて真正面にいた801ちゃん」がそれです。
ちょっと長くなりますが、引用してみましょう。
そもそもが、「腐女子という生き物」は、兵頭新児氏がどんなに頑張って、陰謀論でアニメファン歴史を上書きしようとしても、コミケ創設の前から、アニメファンの最前線で、『海のトリトン』(1972年)とかのファンクラブを支え築いたり、『機動戦士ガンダム』(1979年)だって、正直アレを、男子小学生と思春期男子が支えてたという根拠は、ガンプラの売り上げでしか証明できないわけで、当時から「ガルマ×シャア」だの、801カップリングが、同人誌どころか月刊『OUT』とか月刊『ふぁんろ~ど』等の読者投稿やパロディ漫画で、盛り上がるだけ盛り上がってきたわけであって、アニメオタク市場の歴史は、腐女子と共にありという歴史は書き換えられないでしょ? としか言いようがないのである。
う~ん、ぼくが「腐女子などこの世に存在しない」とでも言ったのであれば、大河アニキの主張も理を持つのですが、当然、そんな事実はありません。
一体、アニキのぼくに対する認知の歪みと憎悪は、何に端を発するものなのでしょうか。
実は今日、ツイッターで興味深いつぶやきを見つけました。
『アニメック』というアニメ雑誌の画像なのですが、1980年6月号とのことで、長浜忠夫監督のインタビュー記事です。
長浜監督は『コンバトラーV』、『ボルテスV』、『闘将ダイモス』といったロボットアニメの総監督です。これら諸作品は上にも述べたように敵として美形キャラが登場し、声をあてたのが人気声優である市川治さんだったこともあり、女性ファンを多く獲得したことで知られ、「ロマンロボ」と呼ばれたりもします。
『ガンダム』のシャアはこうした市川さんの美形キャラの流れを汲んでいるけど、これらに比べ、殊更女性ファンが多い感じはしない、というのがぼくの感想だったのだから、加野瀬も大河アニキも最初っからこっちの発言を掴み損ねているわけです。
(加野瀬がぼくに最初に絡んだ時、ぼくが最初から市川治さんの名前を出していたことを見落とし、ぼくがこうした流れを知らないものと決め込んでいたことが実に象徴的です)
さて、少し長浜監督の発言を引用していきましょう。
長浜 そうです。一番良くない見方として、たとえば前の作品ですと、ハイネルが出て来て喜ぶ人がいますよね。すると周囲が冷やかし役をやって「キャ~あなたのハイネル様が出てるわよ~ッ」「イヤ~ン」てなことをやっている。まあこういう見方もあるんでしょうけど、ストーリーは心に残らないですからね。これが極端になると「私のリヒテル様をなぜ殺した!」なんて抗議が来ます。
かなりお怒りのご様子ですね。このハイネル、リヒテルはそれぞれ『ボルテス』、『ダイモス』に登場し、市川治さんが演じた敵の美形キャラです。この引用箇所の前には、当時放映中であった自身の監督作品、『ダルタニアス』のワンシーンを女性ファンから「おかしくて笑っちゃった」と言われたことにいたくご立腹でいらっしゃった様子が書かれています。
ちなみに『ダルタニアス』においても市川治さんが敵キャラを演じたのですが、美形と言うよりはヒゲのオッサンになっていまいました。これについて、「美形を出すことに嫌気が差したのだろう」と感想を漏らしていた方もいらっしゃいました。
ただ、ここで敢えてこの女の子たちの弁護をするならば、この当時はこの種のシリアスな作品をからかうことが盛んであり、オタク文化のある意味では主流であったのです。
『うる星やつら』はそうしたニヒリズムを前面に押し出した作品と言えますが、いわゆる二次創作、当時「アニパロ」と呼ばれていた(アニメパロディの略)一群の作品は「元ネタをおちょくる」という性質が強く、また、その描き手はまさに大河アニキが真っ赤になって主張するように女の子たちがメインでありました。
ただ、こうした腐女子どもが全て「本質がわかっていない」かとなると、そうとばかりも言えないのでは、と思います。事実、先のインタビューでも長浜監督が女性の作った硬派な評論同人誌を採り挙げ、べた褒めしています。
アレ? アニキは「男が評論同人誌を作る傾向にあること」を強調し、disっていたような……?
まあいいでしょう。
パロディって、少なくともオタクにとっては「反体制」ではなくむしろ「愛」なんですね。正直、ヒーローものをからかうような女性ファンの手つきに対して、ぼくも不快になることは度々ありますが、それは「気難しいお父さんが食事を、入浴をしている時だけ無防備なのに、じゃれついている」的なもので、悪意はないわけです。
さて……大河アニキ、今どんな気持ち?
今、ここを読んでいるアニキは顔を真っ赤にして、怒っておいでだと、ぼくは想像します。
何故か。
上のアニキの記事をもう一度見てください。
アニキは文脈に何ら関係なくぼくの著作のタイトルを名指ししています。加野瀬もこれと同様の振る舞いに出ておりましたが、彼らはこのタイトルを表示した段階で、ぼくを論破した気になれるというスキルをお持ちでいらっしゃるのです。何となれば女性に対してはいかなる批判も許されないというのが、彼らの価値観なのですから。
随分久し振りに蒸し返しますが、以前、東浩紀師匠がBLに対して「男のホモソーシャリティを風刺した表現」というびっくり仰天な解釈を施して、失笑を買ったことがありました*2。
リベラル君たちがとにもかくにもフェミニズムに平身低頭するのは、それにより「自分以外の男たち」に対し、アドバンテージを得ることができるという勘違いを端に発しています。そう、それはアニキの文章を見るとよくわかりますね。「男よりも先へ行っている女性、その女性を理解する自分」という彼の自意識は、「(自分には)彼女さん(がいた)」と繰り返す切ない文章から溢れ出しています(彼らが目下のオタク文化に憎悪を抱く傾向にあるのは、そうした当時の幻想が打ち砕かれたからでした)。
「ガンダム事変」の本質は、彼らが正義になるために、「女性を理解しない悪者」を必要とした、ということでした。
必要だが、非実在だった、ということでした。
それでも必要なので、従軍慰安婦くらいに痴漢冤罪くらいにムリヤリに捏造した、ということでした。
そういうことだったのです。
東師匠がそうであったように、彼らの頭の中は女性を「兵器利用」することでいっぱいでした。
『ダイモス』では民間のロボであるダイモスを接収しようとする、防衛軍のタカ派軍人が悪役として登場しますが、彼らのやろうとしていることもこれと同じだったのです。
「ボクたちの代わりに、おにゃのこたちにボクたちの嫌いなおじさんたちをやっつけてもらおう」が彼らのホンネでした。多分、戦闘美少女物のアニメを見て現実と虚構を混同してしまったのだと思います。
しかし、腐女子たちは別に、男を風刺する意図など持ってはいませんでした。
男をからかっているようにも見えますが、それは彼女らの好きな、萌えキャラに対してのみの感情で、リベラル君たちの大嫌いなおじさんたちをからかおうとは、してくれませんでした。
上に「気難しいお父さん」と書きましたが、むしろ腐女子たちは男性キャラをそのような位置に見ていることが多いわけです。『なぜ、腐女子は男尊女卑なのか?』という(腐女子による)本があったのですが(いえ、未読なのですが)このタイトルはなかなかことの本質を捉えています。
敵に対しては「歴史修正主義」といった虚偽のレッテルを貼りながら、シミルボンというネットマガジンを利用して、歴史の修正を続ける大河アニキ。
しかし、以上のことからもわかるようにそれは、「彼らの村では何ら疑うことなく正義とされている」振る舞いでした。
いくら何でも……と思い、シミルボンさんには以上の経緯を(できるだけ冷静に)お伝えし、記事について再考をお願いしたのですが、今のところ、お返事はいただけておりません。
これからも彼らはサンドバッグを求め、捏造と誹謗と恫喝と歴史修正とデマの拡散の限りを尽くすのでしょう。
めでたしめでたし。
*2「東浩紀「処女を求める男性なんてオタクだけ」と平野騒動に苦言(その2)」
■補遺■
結局、シミルボンには三回に渡ってメールを出したのですが、現時点で全くのノーリアクションです。
まあ、正常な読解力があればまずあの文、載せませんしなあ……。
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