兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

「女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない」を読む

2015-01-30 15:32:37 | 男性差別
 ちょっと旧聞に属しますが、今月半ば頃のネットニュースに関わる記事です。


*     *     *


 面白い記事があったので、少し書いておきます。
『日経ビジネス』の「キーパーソンに聞く」で『男性権力の神話』の翻訳者、久米泰介氏のインタビューが掲載されていたのです。

女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150107/275935/?P=1)

 この『男性権力の神話』はぼく的には去年のトップニュースの3位にランキングされるくらいにインパクトがあり、非常に優れた書でした。が、同時に翻訳者の久米氏はあとがきなどでフェミニズム信奉者と言われても仕方のないスタンスを表明しており、あまりいい印象を持っておりませんでした。

男性権力の神話 《男性差別》の可視化と撤廃のための学問
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar548298)
男性権力の神話 《男性差別》の可視化と撤廃のための学問(その2)
(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar553641)

 が、しかし、今回のこの記事に対しては比較的賛成できるところが多いと感じました。
 彼は数々の「男性差別」を例示し、




頼みのフェミニズムも男性側のことには興味がないんです。


 と指摘します。
 彼がフェミニズムの限界を提示しているのは、極めて重要です。
 が、更に言うならばこれ自体は当たり前の話ではないでしょうか。
 上野千鶴子師匠は80年代初期、「メンズリブ」の萌芽があった頃に「フェミニズムは女性を解放するための思想だ、男はフェミニズムに首を突っ込むヒマがあったら、自分自身の解放をしろ」といった主旨のことを言っておりました。
 この言葉は、全くの正論で、完全に賛成できます。
 問題は、この種の「男性差別クラスタ」が、フェミニズムと男性解放が対立的なものであるという当たり前の認識から全力で目を逸らし、「両立するのだ」「手と手を取りあうべきだ」と絶叫し続けて来たことでしょう。
 彼はまた、以下のようにも言います。




今はちょうど転換期のような時期で、そのツケが男性に来ているのかもしれません。女性はどんどん社会進出させるけど、じゃあ彼女たちは収入の低い男性のパートナーになってくれるかというとまだそこまでは意識が変わっていない。そういうタイムラグのはざまにある男性は、世の中は女性の支援ばかりで、自分たちは社会から疎外されていると感じるかもしれません。


 確かにその通りです。
 ですが、しかし、ぼくと彼らの違いは、彼らが「だからフェミニスト様の教えを受け容れれば、バカな女どもも悔い改めるはずだ」と考えている点です。
 ――すみません、ご当人が見ていらっしゃらないだろうと高を括り、好き勝手なことを書きました。
 上の久米氏の発言は、全くの正論です。
 100%同意できます。
 そして、ぼくは「だから女性の社会進出を無理からに推進することは間違いだったんだな」と考える。
 彼らは、「だから女性が意識を変えるべきだ」と考える。
 しかし、「では、どうすれば、女性の意識を変えられるのか」が見えてこない。
 いえ、彼ら的には「ジェンダーフリーによってそれが可能だ」となるのでしょうが、繰り返し指摘してきた通り、それは非現実的な妄想という他はない。
 報道ステーションで何か文化人が「即刻脱原発! 代替エネルギーについてはわかんないけど、根性でそれを開発せよ!」と言っていたことがありましたが、それと全く同じ、理念としては立派でも、地に足の着いていない妄念という他はない。
 そして、以下はぼくの想像なのですが。
 彼らの上のような矛盾した言説は、彼らが「フェミニストこそが、最終解脱した理想の女性である」と認識していると仮定したら、意味が通るのではないでしょうか。
 久米氏自身がそうだというわけでは全くないのですが、フェミニストに親和的な男性たちを見ていると、フェミニストへの病的な信仰心は言うに及ばず、何となく一般的な女性への深い憎悪と蔑視を感じることがあります。いえ、むろん、彼らがそう明言するわけではないので、これはあくまで「何とはなしにそう感じる」といったレベルのことでしかないのですが。
 つまり彼らの理想の完成形としてフェミニストを完璧なものとして見ているのであれば、彼らの空論も具体性を帯びてくるのです。
 むろん、そのフェミニストへの認識自体もまた、実際には妄想と言うしかありません。
 主夫を養っているフェミニストなど、ぼくたちは一人も知らないのですから。
 フェミニストたちが「女の武器」を連発し、強者男性に与し、弱者男性に酸鼻を極めるバッシングを繰り返してきた存在であることを、ぼくたちはみなよく知っているのですから。
 久米氏は




男性側が、ジェンダーは決して女性だけの問題じゃないと理解して、どうしたら男性にとっても平等な社会になっていくのか考え、男性も息苦しいと思ったらそれを言っていいんだよということを認識していく必要がありますね。


 と繰り返しますが、むしろ男性が男性としての性役割を降りることを誰よりも疎み、阻み続けて来たのはフェミニストでしょう。
 彼はまた、





性役割からくる常識が社会にまだまだ根強いことがその背景にあります。

日本は女性の社会進出がアメリカと比較して20年ぐらいの後追いです。すべて20年分遅れて同じように進んでいると思います。


 と言いますが、ぼくもそれに賛成します。
 ワレン・ファレルは二十年前に現在に通じる著作を著しましたが、彼の認識は残念ですが、二十年前から全く一歩も進んでいないものであると、言わざるを得ません。
 目下、本記事は『日経ビジネス』のランキング2位にランクインしています。
 それは恐らく、男性問題について思い悩んでいる人が大変に多いからではないかと、ぼくは考えます。
 しかし……大変に哀しいことに、そうした男性たちの訴えは、片端から、水際作戦でフェミニズムに叩きつぶされ続け、そうした状況が二十年間続いている、と言えるのです。

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