避難先での、故郷の放射線情報を得るための「知恵と経験」とは

2014-10-22 11:49:22 | 日記

   避難先での、故郷の放射線情報を得るための「知恵と経験」とは  

 

  東京都内でも「放射能線量の危険がある。子どもを持つ親は、子どもの健康を守るためにも避難すべきである」。このような知見のもとに「被ばく不安」を発進している方がいる。また、福島県内、とりわけ福島・郡山を中心とする中通り地区は避難の対象地区であると論ずる方もいる。

  しかし、原発事故3年半を経過した今日、元気に学校に通う小学生の姿もあり、避難地区から実家の福島に戻り出産する母親も増えている。そして徐々にではあるが、自宅に戻ってきている母子も増えてきている。

  今回の福島県知事選の課題のひとつに、この避難生活に対する問題が提起されている。その事例として、子どもの健康を留意し今も県外に避難続けている母子の実情をあげている。夫である父親は、職場の関係で別居生活を余儀なくされているケースである。この実態は多い。そこで二重生活を続けることの異常と、経済的負担に悩む。子が両親を必要とすることは当然であり、そこに正常な家庭生活が存在する。また若く、健康な夫婦の別離はリスクをも生む。

  そこで避難している者の悩みとして自分の町の安全が見えないことをあげている。学校給食は安全か、学校の校庭やプールの線量は大丈夫か、通学路の除染は進んでいるのかなどの情報が不足していると訴える。だからその情報が欲しい。自治体はその情報を、県外に避難している者に発信すべきだというものである。それが知事選の政策課題であるという提起である。

  それを見て、私は「一寸待てよ」と足がつまずくのを覚えた。

  私は、次のような事例を知っている。避難をした母親が自分の子どもが通っていた学校の行事や、校庭、校舎の除染。通学路の除染などの取り組みに避難先から参加をしている。いずれは「戻ることを」を意識しての、保護者仲間との交流関係を維持したいとする判断からである。いわゆる「ママ友」の絆づくりである。そしてその母親は、避難先にあってもきちんと情報を得ている。まさに「知恵と経験」による賢い対応というものであろう。

  情報が無い、見えない。それを補うことを自治体に求める。それは間違ってはいない。だがそれでよいのだろうかという疑義を持つ。また行政の会報やニュースの情報を、どのように受け止めるかもあるだろう。そこに信頼関係が無ければその情報も無意味である。

  以前、ブログに書いたことである。「避難する、しないは最終的には本人の選択であり、決断です。よって避難を選択される方は、それはあなたの決意です。残ることを選択した方に、そのことを強要しないでください。間違っても『それで子どもへの責任が取れるの』などの言葉は発しないでください。また、残ることを決意した者は、避難する方に対して帰ってくるな、などの言葉を述べないでください。是非、見送る、見送られるの関係をつくってください」と。

  子どもを通した「ママ友」の情報こそ信頼できるものであろう。そのような人間関係を大事にしていきたいものである。一人の母親の「賢い対応」は学ぶべきではなかろうか。

 

 


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