「妹を見捨てられない・年寄りは早く死ねということか」。この二つに答える選挙の結果を出したい

2016-06-17 06:03:40 | 日記

「妹を見捨てられない・年寄りは早く死ねということか」

                 この二つに答える選挙の結果を出したい

    私の知り合いに二人の老夫婦がいる。かく言う私たちもその一人であり、今やこのような世帯は当たり前になっている。その奥さまとお話をする機会があった。そして伺うところによれば「要介護1」の妹さんを引き取ったという。相談も含めて話を伺った。そのことを報告したい。

  「妹さんたち夫婦は食料品を扱う店を営んでいた『自営業者』であった。配偶者に先立たれたあと1人で頑張っていたが、転倒を期に足腰が弱った。そして生活が不自由となる。それを見かねた姉が同居を勧めた」というのである。

  6月2日の毎日新聞の記事を見る。「生活保護半数が高齢世帯・うち9割が単身赴任」という見出しのもとに、3月時点の生活保護受給者は163万世帯で過去最高ということを報じている。そこで「公的年金」に触れる。給与所得者の多くは「厚生年金者または共済年金者」である。毎月保険料を掛け続け(半額は雇用者負担)、現役時代の平均年収に比例をして受け取る。しかし、前記した自営業の皆さんを保障するものは「国民年金」である。そして保護世帯の47%が国民年金の受給者であり、その月額は4万6597円(厚労書14年度調査)ともつけ加え報じていた。

  妹さんの現役時代、どれだけの収入があったかはわからない。また自己責任を目的とする民間の保険の加入がどうであるかを問うつもりはない。仮に、その用意をしていたとしても「晩年の一人暮らしの生活」が保障されるかと言えば、その保障のある高齢者は少数であることは現代の常識である。

  そこで姉さんである知人の相談は次の通りであった。「要介護1であるから施設介護は不可能だ。私たちと同居ということで訪問介護を受けることも難しいと聞く。また私たちもいつまで面倒を看られるか、私たちでさえ先は不安でいっぱいだ」と。

  「どうだろうか、近くに家を探しそこに転居させ、時折訪問する。まだ一人で生活はできるでしょう」と。いわゆる「近居別居」の勧めである。私はその言葉を述べようとしたがそれを飲み込んだ。それを察知したのだろう「それも考えた。そうすれば生活保護の申請も可能かも知れない。でも・・・」という言葉が帰ってきた。

  仮に申請しても受理されるか、どうか。扶養の経済能力を持っている姉夫婦の存在は審査の対象になるだろう。だが訪問介護、あるいはデーサービスのメニューなどは組めるだろう。問題は家賃も含めた妹さんの一人暮らしが経済的に成り立つのか、どうか」。そして、ぽつりと姉さんはつぶやいた「一人だけの妹です。家で何とか面倒を看てあげたい。しかし、何も言わないけど夫の手前もある」と。そうだと思う。いずれはくるだろう自らの「老々介護」は避けて通れない。そしてさらに「14年度の介護給付費8.9兆円」その多くが訪問介護などの「居宅サービス」という記事を見る。(毎日新聞6月15日)

  2014年の年末総選挙の時である。町内で二人の女性と立ち話をする機会があった。70代であろうか。そこには「売家」の看板が立てられた立派な家がある。そこで私は「ここの方はお年寄り二人の生活でしたよね」と尋ねる。それに対し「奥さんがこの春に亡くなり、しばらくしてご主人が娘さんのところへ行ったようだ」との言葉が帰ってきた。そして「もう年寄りは早く死んでしまえと言うことだね」と吐き捨てるような言葉がお二人の口から飛び出した。私は「ところで今度の選挙は」と尋ねた。するとお二人とも地元の自民党候補者の名前を述べていた。「早く死ねというのだろう」との言葉を述べながらも「時の政権党の自民党をより頼みとする。あるいは他党(他候補)はその受け皿にならないということか。それとも今までずっと入れてきたからそれ以外は考えない」ということなのか。

  これらの事実に対し、今の政治をきちんと語り切れない、理解させられない自らの弱さを痛感した記憶は今もって新しい。「妹を看る姉」「早く死ねということかと吐き捨てる老女」これらを重ね合わせて、それでも参議院選挙は「自・公」に過半数を与えてはならないということをあらためて強調したい「公示日6日前」である。


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