運転免許を返上、車社会から抜け出した決意の一日

2017-06-30 05:34:18 | 日記

 運転免許を返上、車社会から抜け出した決意の一日

 

   6月21日、35年間の運転歴に終止符。昨日はその9日目であった。当然にして私の足は公共の交通機関「路線バス」に頼ることなる。そこで昨日の日程を報告してみようと思う。家を出発したのが10時。最寄りのバス停までは15分、ここでも「車習慣」は抜けないでいる。車であればいつでも出かけられるが、バスには時刻表があって待ってはくれない。そのことを意識していなければならないはずが、パソコンに向かっていてバス停までの15分間を取ることができなくなった。「時間との競争」という観念を持っことができない初めての一例である。結局のところ60分の時間を待たなければならないことになった。

  さて頃あいよく家を出る。しかしバスは時間通りには来てくれない。この日はなんと15分遅れの到着である。事務所に到着したのが11時ちょっと前、会の会報の印刷に取り掛かる。発送の準備が完了したのが12時45分。そして再び最寄りのバス停から駅前行きに乗る。バス路線の中心は駅前であり、そこから自宅に向かうバス路線を選択するためである。路線は二つ、各々の出発時間を確かめ、食事をとるために駅前を散策する。こんな時間を取ることは久しくなかった。こんな店があったとは知らなかったなどの新発見をする。あちら、こちらの店をのぞきつつも結局は昔なじみの店で「冷やし中華」を注文する。残念ながら昔の「記憶の味」がなかったことに時代の流れを痛感する。

  とりわけの暑かった。そこで駅前のデパートに入り込む。一人で、しかもこの時刻にデパート内を見て回るなどは何年ぶりであろう。コーヒーショップに入り込み時間を過ごす。できれば「生ビール」という気分であったが「病みつきになっては」との思いで敬遠をする。

 まさに「ドァ・ツー・ドァ」の6時間。それでも運転をしながら目にした街並みとは異なる発見を幾つもする。そしてウインドーを除きながら、とりわけ食堂、喫茶店の前では立ち止まり献立と値段の看板を見る。そのような私の姿を意識する者は誰もいない。ここにも新しい「時の過ごし方」を発見した一日であった。

  車の運転をしたからこそ、得ることができた記憶や経験は得難いものがあった。行動範囲が広かったことは何よりである。しかし「80代の老いの晩年」さして行動範囲を広くする必要もない。もしあるとしたら「鉄道の旅」もある。3年前であったか。仙台・盛岡・青森に立ち寄り、最後は青森から「五能線」で日本海へ、そして秋田、新潟と。窓際に座り、前には「ワンカップ」。空になっては買い足しながらの4日間の時間も悪くなかったことを覚えている。そんなことを思い出しながら、新しい一日の一歩を歩んだという気分になったことも事実である。

  そして、帰りのバス停の時刻表をスマートホンで撮る。書き忘れるところであったが駅前のスーパーで「懐中時計」を買う。税込み1500円。腕時計をしなくなってから何年経つだろうか。自動車に乗りエンジンを掛ければ時間の文字が出る。「ガラケィ」で見ることもできた。あえて時計を持つ必要性もなかった。しかしこれからは「時間との勝負」。それが懐中時計となった。同時に伸び縮みフォルダーを購入バックに結束する。すべてが新しい。「さあー、車の無い生活習慣」を、ささやかな80代の抵抗のはじまりである。

  


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2 コメント

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高齢社会を生きる「知恵と経験そして言葉」 (huruya0274)
2017-07-02 19:20:25
コメントありがとうございました。
これからの、新しい生活習慣を身につけなければなりません。同時に自治体にたいしては「公共の足を確保」する運動を進めたいと思います。そして「市民の会」を立ち上げました。
元気が一番 (A.S(たわごと的オピニオンの))
2017-06-30 07:53:50
本日居住地は梅雨です。
雨の時は車が便利ですが、雨の中を歩くのも空気が優しくて良いものです。
私はもう少し、運転はする予定ですができる限り歩きたいと思っています。そして、そのような時はどうしても状況が許せば飲む誘惑に負けてというか飲むことが出来る状況と前向き判断(?)になりがちです。時計はもう長いこと使ってますから、携帯等で不要でしょうにと言われても頑なに身に付けています。
車運転を止めた生活、折に触れ話していただけると先達の方の話として今後の参考にしたいものですので。

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