それは「未踏の分野・国の支援を求めたい」とはどういうことか

2016-08-06 16:47:46 | 日記

 それは「未踏の分野・国の支援を求めたい」とはどういうことか

    東電は7月28日、2011年の東日本大震災で事故を起こした「福島第一原発」の廃炉費用の支援を国に求めることを明らかにしたと報じられている。(毎日新聞・7月29日)「4月にはじまった電力小売りの全面自由化による競争激化などで経営を苦しくなり、数兆円とみられる巨額の費用負担ができない」というのがその理由である。それだけではない、賠償や除染の費用負担についても、今後想定を上回った分について国と協議をしたいと付け加えている。

 「何を言うことか」と言いたい。

  国の政策であったとしても、その政策にただ乗りをして膨大な利益をもくろみ、原発を「電力経営の基軸」に切り替えていった電力業界である。そしてもくろみ通り膨大な利益を計上し「世界の東電」にのし上がっていったのはつい最近までのことであったではないか。

  不幸にして巨大地震と大津波が押し寄せ「原発城」は崩れ落ちた。被害は東電の経営だけではない。「落城」によってまき散らされた放射能により多くの犠牲者を生み出した。そして今なお病床にいる者もいる。また放射能の汚染から逃れるために故郷を離れ、家族バラバラの仮の生活を余儀なくされている人もいる。さらに汚染による健康被害は今もって存在し続けている。また風評被害により経営不振に陥った企業も少なくはない。そしてその企業には多くの労働者とその家族もいた。

  報道によれば、当初、東電は廃炉費用に2兆円を計上する計画であったという。しかし、30年から40年かかるだろうとの予測の中で数土会長は、「電力需要の減少や競争激化などの市場環境、そして廃炉は世界でも未踏の分野、政府との意思疎通が重要」と称し国の財政からの資金の支援を求めている。これまた「虫の良いこと、いい加減にしてくれ」と言いたくなるのは私だけであろうか。

  「需要の減少・競争激化」は今始まったことではない。しかも電力会社だけが特別なのだろうか。加えて「廃炉は未踏の分野」の発言に至っては「貴方はそれでも経営者か」と言いたい。工場をつくって製品を製造してきたが、その工場をたたむことにした。しかし、その工場は特殊な構造であるから「壊すことができない、壊し方もわからない、がれきを処分することができない」という。そうであれば、その工場をどうしてつくったのかということになるだろう。まさに「消すことのできない火を燃やしてしまった」に等しいことである。「人間」のやることではない。それをしゃあしゃあとして「未踏の分野、国の力を借りたい」とは、何という言い草なのだろうか。それだけではない。その同じ口から「消せない火をまた燃やします」として再稼動の準備を進める言葉を発信している。いずれ廃炉をするにしても、稼げるときに、稼げるだけ稼ぐということか。

  爆発はしなくとも「高レベルの燃料棒」は処理をしなければならない。そのためには再処理サイクルを進めなければならない。日本がそれを進めようとすれば「韓国はわが国も」となる。そこでプルトニュームを取り出せばそれは「核爆弾」に結び付く。北朝鮮はそれを黙って見ているだろうか。

  それだけではない。残った「燃料棒代」は負債として処理しなければならない。それだけでも会社は傾くだろう。その膨大な廃棄費用と、どこに、どのように廃棄するかも含めて、それは「未踏の分野、国の力を借りたい」とは何という言い草か。

  さしたる知識を持ち合わせていない一市民であるが、この程度の智識は持っているつもりである。そうであれば、国の政治をあずかる政治家、官僚、そして企業の経営を預かる幹部、さらに有識者は、今般、東電が言ってのける「国の支援」に何の反応も示せないということは情けない。それが次代を担う子や孫を持つ80代での主張である。

 


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