細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

毛越寺

2008-08-23 22:04:05 | 散歩・旅  岩手県

毛越寺

晴れたり曇ったり

とんぼ・・わかるかな。

                

              なんだか・・知ってる人に似ているような

木の中が無いのに・・・・・なんで?

                 

出る前にごまと抹茶とバニラのソフトクリームを食べました。


故郷忘じがたく候

2008-08-23 21:37:13 | 読書メモ さ行
故郷忘じがたく候  著者 司馬遼太郎

《内容》
豊臣秀吉が朝鮮出兵をした折、薩摩人によって強制連行された朝鮮人たちがいた。
表題作「故郷忘じがたく候」は、その後裔である陶芸家・沈寿官氏の半生を描いた作品。   
        (紹介文より)



400年前に日本に連れてこられた(拉致)人たちがいる。驚きでした。

沈氏がソウル大学で講演した。
―――私には韓国の学生諸君への希望がある、韓国に来てさまざまの若い人に会ったが、若い人のだれもが口をそろえて36年間の日本の圧制について語った――
(中略)
新しい国家は前へ前へと進まなければならなというのに、この心情はどうであろう。
(中略)
「あなた方が36年をいうなら」といった。
「私は370年をいわねばならない」


沈氏が父親に

「自分というものは何のためにいきているのでしょう」
沈氏は、いった、哀れすぎるではないか。あなたもおそらく若い頃この家とこの家芸を継がねばならぬことで悩まれたと思うが、いったい自分は何を目標に生きてゆけばよいのか、それをきかせてほしい、といった。
(中略)
ひとことだけ言った。このひとことに、十三代翁自身の生涯の哀歓が煮詰まっていたであろう。
「息子を、ちゃわん屋にせえや」
わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目もそれだけしかない、といった。





達谷窟毘沙門堂

2008-08-23 17:13:55 | 散歩・旅  岩手県

 

☆鳥居☆

「一ノ鳥居ハ石ノ鳥居、ニノ鳥居ハ丹ノ鳥居、三ノ鳥居ハ杉ノ鳥居」と称され、古くから参道にあった。三ノ鳥居ハ明治初期に、ニノ鳥居ハ昭和三十年に失われたが平成十年に再建された。ニノ鳥居、三ノ鳥居ともに、他には見られない特殊な形式を今に伝えている。

一ノ鳥居は「ひこじうらう、とくじ、せいのじゃう」という達谷村の三人の石工により、達谷石を用いて江戸時代に建立されたものである

  と、書いてありました。

達谷窟毘沙門堂

征夷大将軍坂上田村麻呂公の創建を伝える達谷窟毘沙門堂の境内は御神域として古くから殺生禁断地とされ、動植物の採取や煙草・飲食等の行為、犬猫を共なっての参詣は堅く禁じられて居ります。拝観は参拝の順路に従い、案内書を御覧の上参拝なされますようお勧め申し上げます                別富

   国指定史跡   達谷窟毘沙門堂

岩面大佛   

蝦蟇ヶ池弁天堂    

 金 堂

姫待滝悪路王等は京から攫ってきた姫君を窟上流の「籠姫」に閉じ込め、「櫻野」でしばしば花見を楽しんだ。逃げようとする姫君を待ち伏せした滝を人々は「姫待滝」と呼び、再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石を「鬘石」という。

  と、「鬘石」は大きな石でした。

バスが日に数本のところなので、レンタサイクルを借りました。

一ノ関駅から25分くらいで着きました。