ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

僕のFTマインドは?

2018-03-21 | 雑念
まだまだ振り返る内容は尽きない。

やはり僕のファシリテーションが他のFTと違う事を改めて知る。それは全てが終わってCDと食事の席での会話で衝撃を受けるのだ。

僕の直感の話は聞き飽きたと思うが、それに加えてもっと違う部分。

それは「余白」

話をしてくれる他のFTのアクティビティを聞けば聞くほど、僕は窮屈さを感じたのだ。

参加者の為に何ができるだろう?と必死で考え議論を交わすあまり、全体のプログラムの流れ(シークエンス)が詰まるという事は陥りやすい致命的なミスだと思う。

スキルや経験が上がれば、そのミスはミスと思えなくなって加速するように過密スケジュールになる。

僕は恐らくオリジナリティとして、その逆の考え方を持っているんだと思う。

休憩時間やオフの日、スケジュールの隙間にこそ学びが熟成すると思う。

「優秀な営業マンは黙る」

それがオーナーの営業研修の中にも出てくる。

僕も納得するビジネスのノウハウ。

FTも喋りすぎているのだ。その原因はスキルや経験の多さによる「ひけらかし」および「過干渉」なのだ。

僕がいつも考えているFTマインドは、「いかに関わらないで参加者が考え行動できるか」なのだ。

だから「ライブ感」なのだ。

事前に用意すればするほどFTはこう考えるだろう。

「これをやらなければ!」
「これも」
「間に合わない」

どんどん自分の考えてきたメモに集中してしまって参加者の様子を見ているようで見えなくなる。

という意味で僕のFTマインドが培われた理由のひとつに

小学生向けのプログラムをベースに行なっているという事が働いていると思う。それに気付かされた。

小学生達に分かりやすく、そして学びを持って帰ってもらう為に色んな手段を試す。

そして見つけたひとつ

プログラムの取捨選択

絶対に詰め込みすぎてはいけない。

理解力もさることながら、ほぼ猿(ごめんね。いい意味でだよ)のような好奇心で遊ぶことこそ学びの定着に重要なファクターであると確信したのだ。

これは普遍的な人類の叡智の伝達、遺伝子の引き継ぎ、生命のつむぎ。

そこには圧倒的なインパクトと熟成する無限に感じられるほどの余白の時間があるのだ。

何も変わっていないように見える永遠の静寂

それは本当に重要な空白の美しい進化の時間なのだ。

全てを論理的、合理的に考える人ほど「空白は無駄」と考えてしまうのだ。

自分の学びを教え伝えるチャンスだと勘違いする。

答えは参加者にある!

FTは参加者の中に全ての答えが宿っていると信じる方がいい。

僕も時には不安になって、他のFTにどんなことしました?と頼ってしまう。人間だもの。

僕のオリジナリティ

それは全体に流れる無理のない猶予

そんな余白のあるシークエンスの中に深い学びを参加者と織り成していきたい。

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