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横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

介護

2013年10月06日 00時09分41秒 | 仕事

気持ちよく出るものが出るといい気分。

年をとって行くと、動きも少なく、水分をとるのも少なくなりがち。

そうすると出るものも出ず、

“これを飲ませて”と医者の指示。

穏下剤のお出ましだ。

-○○日で何滴を服用、出なければ次の日も飲んで。

試しに飲んで見たことがあるけど、お腹がキュッっとなるんだ。

そして出れば出るでだらだらと。

やなもんだ。

そのやなもんだを入居者の方にも味わって欲しくない。

とう言う訳で、

「穏下剤」を使わず気持ちよく出るものが出るように、

皆で勉強会を開き、

朝、昼、夕の献立に食物繊維を多く含む食材を意識して使ってみようということに。

ただ食事を作るんだったら誰でも出来る。

「介護」のプロになんなくちゃと思うんだ。

世界的にも高水準レベルのわが国の超高齢化に伴う少子化問題。

家に居たくても居られない現実。

認知症を発症すればなおさらだ。

小規模な居住空間、なじみの人間関係、家庭的な雰囲気の中で、住み慣れた地域での生活を継続しながら、一人一人の生活のあり方を支援していく。

それが今私が勤務するワンユニット9名の「認知症高齢者グループホーム」。

まだ「介護」の質は十分とはいえない。

「介護」の質を向上させるも低下させるもそこで働くひとりひとりの責任だ。

痴呆に関する十分な知識と理解の習得を促し、専門性と資質の確保・向上を図ることは必須。

横浜で看護師をやっていたとき、看護部長に“介護をしてみたいと思うんですが”と相談しに行ったことがあった。

返ってきた言葉はけんもほろろ、「介護」を見下すような言葉だった。

現場では「看護者」と「介護者」のぎくしゃくした関係が時に顕著な場合も。

なんの資格がなくとも、なんの勉強をしていなくとも、介護職で働いていけるのは事実。

長年看護師をやっていると習慣というべきか、ついつい利用者の既往歴・内服薬・今困っている症状などをアセスメントし、ケアしフォローしていく系図が出来上がってしまう。

介護はというと利用者の日常生活をする上での援助で、利用者の思いを優先するんだよね。

根本的な違いかな。

でも看護、介護、職種は違っても利用者の思いを考えているのは一緒だと思う。

歴史の短い「介護職」、

専門職としての地位を確立させるためにも、ますます増え続けている介護施設の課題は山積み。

単にお世話するだけじゃ、ただの人。

ただの人の集団ならそこには介護の向上はない。

そのためにも、薬を使わず出るものが出る。

そのためにどうするか。

「介護」のプロになるためにもみんなで頑張ってみるわ。

でもね~以前は集団生活に支障がない認知症の方を対象としていたんだけど、その後国の方針で重度認知症患者も受け入れなければならなくなって、比較的軽い認知症の方と重度認知症の方が共同生活を営むことになるため、介護者側の負担も大きくなってきているのも現実。

「介護」

なかなかの仕事だ。

書いていると次から次へ色々な想いが沸いてきて、長くなっちゃった。

2時を過ぎた、もう寝ようっと。

側でさくらが早く寝よう~って催促してる。