横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

認知症なれど。

2015年12月12日 18時04分13秒 | 家族

ババ(義母)と娘さん我ら夫婦4人で先日行ってきた「味道広路」でランチ忘年会。

予約時間まで時間あり温泉に立ち寄る。脱衣所でババは立ったまま脱ごうとしない。

“ばば脱いで。” 一枚脱ぎ、これも? これも?。

洗い場で “ババ頭洗って。” ばばは耳を塞ぎ頭を下げる。私が洗うのか・・

身体は自分でと石鹸をつけタオルを渡す。その間に急いで髪を洗い、ばばを見ると・・いない。えっ! 浴槽?・・いない。 脱いだ場所を探している。

“ばば、あったまってから出よう” 

浴槽に入れてから急いで身体を洗う。終わって浴槽を見ると・・・いない。出ている。もうお風呂で夜勤明けの疲れた身体を癒そうなんてあきらめた。まずはばばに洋服を着てもらい、ベンチに座ってもらう。着替えて、見ると・・いない・・・

ロビーに探しに行くとスタッフと立ち話をしている。“○○さんが泊まっていませんか?” 

急いで荷物をまとめロビーのソファーに。ふ~~~~

お店で会食。

ばばのおしゃべりにゲラゲラ笑いっぱなし。

“みんなと一緒に美味しいもの食べるなんて心が躍るよ。ありがとう。”

 帰宅の車中、5分も経たない内に “最近愛子に会ってないな~”

 (ババ、今会ったばかりでしょう。クリスマスプレゼントをもらってにこにこ顔だったのに・・・)

ホームに戻る。

自分の席に座り他のばばとにこにことおしゃべり。

“あら真知子さん、いつ来たの?” 

まあいいか。その瞬間、ばばが幸せなら。

40歳で運転免許を取り、婦人会の会長を務め、農家をしながらメナードの優秀セールスウーマンだったばば。若いときは東京銀座で仕事をしていたばば。

“どうすれば売れるの?”

“笑顔。何言われても、げんこつをもらってもにこにこ。”

う~~私には無理かな。

いつもにこにこ顔のばば。

“パーだからなかなかお迎えが来ないよ。じ~ちゃんが待ちくたびれているね。”

88歳、

110歳まで生きるって。




 


栗山 「味道広路」

2015年12月10日 20時19分43秒 | 

朝からプラス気温。ぽたぽたぽたぽた雪解けの滴が落ちていく。

青い空。

ここから40分ほどの人口12000人ほどの小さな栗山町、和食どころ「味道広路」あじどころに行ってきた。

気にしていないと通り過ぎるてしまいそうな一軒屋。

“いっらいっしゃいませ”と着物姿の女将が正座で迎えてくれる。

広い窓からは白樺の樹と雪をかぶる田んぼをのぞみ、燦燦と陽ざしが降り注ぐ8畳ほどの堀コタツの部屋に通される。

ほどよい間隔で運ばれる料理。

メニューのひれ酒。

久しぶり。いいヒレが入っている。

継酒をしてもらい、〆はお抹茶。

最後、座敷に店主が来られしばし談笑。

40代の、料理と同じいい味わいのご店主。

あまりの心よさに、明後日、知人4人と会食をすることに。

昼、ひれ酒を呑む。

それだけで幸せな時間を過ごさせてもらった。

 

 


氷点下

2015年12月09日 08時55分46秒 | 季節

                      

氷点下11℃、外に出ると、広い雪原が朝陽を浴び、キラキラキラキラ、ダイヤモンドが散りばめてあろうかと思うほど、輝いている。

枯草は凍花となり木々も霧氷におおわれる。

凛とした澄み切った氷点下の世界。

横浜ではけっして出会えない景色がここにある。

もっと寒くなればダイモンドダストに出会える。

窓から見える景色は青い空。気温が上がって軒下からポタ、ポタと滴が落ちている。

もう少ししたら散歩をしよう。

今はまだ温いコタツが恋しい。

 

 

 


太鼓

2015年12月08日 21時41分02秒 | 娯楽

           

横浜に居た時、夏祭りの時期になると太鼓を打ってほしいとあちらこちらからお声が掛かる。

マイバチを持ち、よく回った。

全身で打つので一曲叩き終えた時は相当な疲労感だけど、すご~く気持ちがいいんだ。

“はいどうぞ、お疲れさま” とビールの差し入れ。

 旨い! 

北海道は「北海盆歌」の一曲だけで、打ち方が決まっている。

横浜では打ち方は自由で、太鼓打ちの個性ある太鼓の音色が聞かれたものだった。

北海道に来て10年。太鼓を打つことがなかった。

最近、骨董店で見つけちゃった。

状態はいいとは言えないけど、いいんだいいんだ。

家でドンドコドンドコドンドンドン。

最高!!

幸せ!!

 

 

 

 

 

 


人生とは

2015年12月07日 20時09分27秒 | まちこつぶやき

しんしん降っていた雪は昼には降りやんだ。

さっ!雪かきだ。

腰ベルトを着けていざ出陣!

まずは雪をかき集め、それをママさんダンプで運んで行く。

行ったり来たり、何往復しただろうか。

ふ~~~疲れた。

“おとうさんカラオケ行こう!”

3時間、歌ってきた。

歌いながら涙が出てきた。

私は歌うのが大好きなんだって改めて感じた。

歌うのが好き。 踊るのが好き。

それが私なんだ。

いくつになっても、好きなことはしていきたいよ。

心地よい音楽が流れれば体が動いちゃう。

どこでも踊っちゃう、

歌いたくなる。

きっと

これからも

変わりないよ。

そうして、満足して死んでいくのがいいかな、

 

 

 

 

 


久しぶりの大雪

2015年12月07日 08時29分13秒 | 季節

朝6時までは11月末に降ったドカ雪がすっかり溶け、青々とした雑草が顔を出しタンポポまで黄色い顔を覗かせていたのに、

7時にはすっぽり雪におおわれてしまった。

しんしん しんしん

やむことなく降り続いている。

雨は苦手だけど雪は大好きなワンコたち。

“行こうよ~行こうよ~!” 私を誘う。

コートを着て帽子をかぶり始めると、うさぎの様にぴょんぴょん飛び跳ね、玄関でうずうずしながらドアが開くのを待っている。

開けたとたん、飛び出し走り出す。

久しぶりの雪、まだいつもの農道は歩ける。と思った瞬間、ツルリ。

雪の下が凍っていた。

帰り道、またもツルリ。今度はスッテンコロリだ。

コタツに足を温め、しんしん降り続く雪を窓から眺める。

その様はなかなか粋な景色なんだけど、

う~~~~~

積もりそう......

今日は雪かきで汗をかくとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どう生きようと

2015年12月06日 21時14分03秒 | 仕事

誤嚥肺炎で入院していた入居者のと~さんが亡くなった。76歳。

2年前の夜勤、ブログにこんな事を書いていた。

ソファーで横になっていたと~さんが目を覚まし、いきなり両手を捕まれた。

“勝手に人のうちに入いりこんでこの泥棒が!”  

どうやら私はと~さんの家に不法侵入した曲者のようだ。

蹴りが入り、足払いが入る。バシッと平手打ちが入る。ふいをつかれた。不覚。

掛けていたタオルケットをぐるぐる私に巻きつけ、端と端で結んでいる。

“と~さん、苦しいよ、これじゃ蓑虫だよ、取って!

“だめだ! 取ったら逃げるだろう!”

“と~さん、トイレに行きたい。”

“だめだ!”  “絶対逃げないから行かせて、出ちゃうよ~”

“絶対逃げないな!”と言いながらもと~さんは手は離さずトイレまで。

 “と~さん、ここは大丈夫、逃げ場はないから”

 やっと手が離れ、トイレを済ましドアを開けると、と~さんが待っていた。

すぐに両手を捕まれ、連行。

“お~い、お~い、誰かいないか~!ちょっと来てくれ~!”  “もうどいつもこいつも、今度ヤキを入れてやる!”

歩き回っての連行は疲れるので、と~さんに負けずと布団に連行し、横になってもらう。

今度は背中に蹴りが入る。

“と~さん、女に手をあげるなんてとんでもないよ!”

“何言ってる! この泥棒が!” と言いつつも疲れ始めたと~さん、うとうと・・・・

やっと開放、書き物でもと立ち上がった時、外で車のドアが開く音が。

“誰だ!!”

起き上がろうとするがなかなかスムーズにはいかない。

“おい! おい!“また捕まれた。今度は胸ぐらだ。シャツが切れそうなほどにグイグイ引っ張る。 

“切れちゃうよ。”  “うるさい!”

“ソファーに座らせて”  “何ばか言ってる! ここに座ってれ!”

“ここ床じゃん、痛いよ。”   “ここで上等だ!”

またうとうと始めたと~さん。でも両手はしっかり捕まれたまま。

夜が明ける頃、不法侵入者だった私は、今度はと~さんの奥様になっている。

 “ここで寝てろ。起きんじゃないぞ!”と言いながら毛布を掛けてくれる。

と~さんはバスタオルをブンブン振り回し悪者を退治。

振りまわしていると~さんの足元がふら付いている。危なくて立ち上がると、“なんでお前はわかんないだ!”と平手が飛んできた。

頭が少々ふらついてきた。

きっとと~さんも、このエネルギーは相当疲れるよね。

またうつらうつら。

目を覚ましたと~さんは私の手をスっと離し、優しい笑顔を見せる。長い捕り物帖が終わった・・・・・

捕り物帖の最中、“せつないよ。”と一瞬顔を伏せたと~さん。

帰り際、 “気をつけて帰れよ。

いつも大変な夜勤だったけど・・・とっても優しいと~さんだった。

母は最後、私を“おかあさん”と呼んでいた。義母も認知症でホームへ。

しっかり生きようっと。

冥福を・・・・