横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

新燃岳噴火で父を想う。

2011年01月31日 22時06分11秒 | まちこつぶやき

宮崎県では大変なことになっている。

「東京大学地震研究所の○○さんの解説によると・・・」ってテレビで言っている。

父の職場だ。

時折ニュースで父の職場を聞く都度、思い出す。

幼い時、保育園の登園で、手をつないだ温もりだけの父の記憶。

19歳、会いに行くが会ってはくれず、遠目で見る、英字新聞から目を離さない父。顔も声も判らぬままの父。

30歳、ベットの上でもがき苦しむ父。初めて見る父の顔。

その年、2度と会うことのない父だった。

私が性格も顔も一番似ていると姉は言う。

どんな声をしていたの?

おしゃべりしたかった。

 


純銅製湯たんぽ

2011年01月31日 21時32分43秒 | 生活

          いいもの見っけ!

    

きれいでしょ~!

純銅製の湯たんぽ。

金属の中で最も熱伝導率が良くて、保温力が抜群に優れ、殺菌作用が認められ、
耐久性が高く、一生物の湯たんぽと云われている。

その分、ちょっと高いけど・・・

朝7時、湯たんぽのお湯は、40度を表示。まだまだあったかい。

布団の中はポッカポカ。

真知子はニッコニコ。


終の棲家

2011年01月31日 16時46分12秒 | まちこつぶやき

60も近くなると、自分はどこで死ぬんだろう~て考える。

今年の雪の多さを見ると、雪かきもきつくなるし、

脊柱管狭窄症と変形すべり症の私には寒さがきつい。

左脚が病んで、冷え込みがきつい夜は寝るにも寝られない時がある。

メロン栽培もあと3年か5年がいいところかな。

〝暖かい南房総なんかに小さな家を買ってのんびり土いじりをするのもいいかも〟と娘が言う。

うん、いいよね~。 きっといいと思う。

でも・・・・今日のような氷点下20度の美しさを見ると、北海道はやっぱり捨てがたいと思ってしまう。

花作りもしてみたい。

まだ時間があるね。

よく考えて終の棲家を決めよう。

 

 

 


ば~ちゃんの開拓史(口述より)

2011年01月31日 01時54分42秒 | 歴史

埼玉では教師の娘として厳しい躾をうけ、卒業後は銀座で働いていたこともあったば~ちゃん。

近所に住むじ~ちゃんと知り合い結婚。三男のじ~ちゃんは、ある日、役場で北海道開拓民募集の記事を見て移住を決心。

ば~ちゃんの親は大反対だった。〝嫌だったら連いて来なくてもいい、ひとりで行くから〟とじ~ちゃんの意思は固く、一家での北海道移住が決まった。

とは言うものの渡航費や一年間は食べていける位のお金が必要だった。

1953年4月1日、汽車で埼玉から青森まで、青森から青函連絡船(洞爺丸)に乗船し津軽海峡を渡り、函館で降船。函館から汽車で追分まで。

長い長い道のりを経て、4月2日、じ~ちゃん(32歳)ば~ちゃんは(27歳)4歳(義兄)と2歳(夫)の4人は、埼玉から他の4家族と共にここ追分に開拓民として入植した。

4月だというのに、肌をさす、痛いような風が身を突き抜けていった。

道らしき道はなく、木々の中をぬってたどり着いた、自分達がこれから開墾する土地を見たときの驚き。

〝ここです。〟と言われた場所は木にロープで囲いがしてあるだけの、見渡す限り未開の原生林。

話には聞いていたがここまでとは・・・・・

不安と恐怖に見舞われました。

4家族は町の労働会館で、自分達の住まいが出来るまで共に暮らしていました。

子供を連れ、毎日毎日、日が暮れるまで真っ黒になって、せめて自分達の家をと、必死で鋸で大木を切り倒し、一鍬一鍬、大きな根っこを掘り出し、開墾していきました。

やがてそれぞれの家族は自分の土地に落ち着きました。

出来上がった我が家。

それは左右から柱を斜めに立て屋根を作り、その上に、葦や笹などの草木で屋根を覆い周囲も草木で囲った拝み小屋(おがみごや)で、出入り口はムシロを2枚ぶら下げただけの粗末なものでした。もちろん電気なんかないランプ生活。

床は土のままで、野草や笹を敷き、さらにその上にムシロを敷き、台所は流し台と水桶と、食器などを置く粗末な戸棚があるだけでした。暖房は炉で大木の根を燃やし、煙突がないので、煙がいつも部屋に充満していました。

それが待ちに待った家族4人の住む家でした。

ついこの間までは親の元で身の不自由なく暮らしていたのに、なぜこのような思いをしているのか、思えば思うほど涙がこみ上げ、仕事も手につかず大きな木の下で泣いていました。

親の反対を押し切ってここに来た。でもほんとうに厳しい。もうだめだ!内地に帰りたい!

母の顔が何度も浮かび、〝お母さん~!〟大きな声で叫びました。

戻れない・・・・・

今更泣き言を言っても、もう遅い。頑張れ!と自分の心を叱りつけ、一日も早く安定した生活ができる様に、畑を作って家族が食べていけるようにと、来る日も来る日も開墾に明け暮れました。

割り当てられた土地は5町(この数字は記憶が定かではない。15000坪)、一畝(いっせ)(30坪)を開墾すると役場から測量に来て、お金がもらえるのだが、利子がつくのでお金がある人は一年後にまとめてもらっていた。

町までの買い物。

狭い道路(これも開拓の人達で作ったもの)、険しい坂道を登り降りし、側には川が流れ、大きな丸太が横たわりその上をやっと渡り、町に出るが、帰りが遅くなると何時熊が出るかそればかりが心配だった。

開墾には夫婦ふたりだけの労働では到底叶うものではなく、

親子馬を買った。よく働いてくれた。

せめて子供達には暖かいセーターをと綿羊も買い、

豚も買い、大きくして売ったもんだ。

鶏も買い、町に卵を売りに行った。

お金が掛かることばかりだったが、少しでも安定した生活をと必死で働いた。

開墾で疲れた足を休むことなく、あちらの草こちらの草とつなぎ替えて食べさせていたのに・・・・

ある日熊が出て綿羊2頭が食われてしまい、

ある年は大冷害に見舞われ一夜にして豆が全滅。

大事な働き手の馬も伝貧にかかって、親子共々連れて行かれてしまった。

どうして! なんでなの! 

根気を失ってしまいそうでした。

今ここで弱音を吐いてはいられない。内地の親に逢わす顔がない。立派な農家にならなければと心に言い聞かせながら、つらいこと、悲しいこと、寂しいことをじっと我慢してこらえました

すべてを開墾するのにどれだけの年月を費やしただろうか。

開墾が終わると今度は土地代を払わなくてはいけない。

払うお金が無いと、土地を売って払う。

血の滲むような思いで必死で開墾した土地を・・・・

今、長男は開墾した土地で園芸農家を、次男はサラリーマンを辞め、メロン作りを継ぎ、北海道で生まれ育った娘も農家に嫁ぎ、子供達全員が農業にたずさわっている。

言葉では言い尽くせない辛苦の毎日。

今ではすっかり昔話になっている。

ボタンひとつで自由になる文化生活、なにかいたましく感じるのは私だけでしょうか。

 

※ば~ちゃんたちが乗ってきた「洞爺丸」は翌年9月26日、函館湾七重浜近くで横転転覆座礁し、1,331名の内、死者1,172名の大惨事となった。

北海道への移住が推奨されたのは本土での余剰人口の受け入れ先としてとも聞く。北海道は寒冷地、山地、火山灰地、低湿地、泥炭地などで農耕には不向きの土地。冬の寒さも厳しく、獣害もあり、農業経営に失敗し、冬の寒さに耐え切れずに夜逃げをする移住者も後を絶たず、北海道の開拓の歴史は極めて過酷なものだったようだ。今日、食の北海道と呼ばれるまでになったのは先人の苦労があったからこそ。労働力さえつぎ込めば開拓できるほど甘い状況では無かった。

辛苦をなめ尽くし、開拓に人生を賭けたじ~ちゃんとば~ちゃん。私もこの追分で人生を全うしたいと思うよ。

 

 

 


かくれんぼ

2011年01月29日 22時46分27秒 | 

600m程のところに住む、認知症のば~ちゃん。

毎日食事を作って持って行くのだが、このところ食べた後の容器がない。

あっちこっち探すが見当たらない。

〝ば~ちゃん、どこにしまった?〟

〝どこもやんないはずだけど、ねずみが持ってたかな~〟

見っけ!

ストーブを置いている台の下で発見。

〝ば~ちゃんあったよ〟

〝どこにあった?〟

〝なんでこんな所に置いたんだろうね。あら、まだ入っている。別の入れ物に移そうか?〟

〝いつのだかわかんないから、捨てよう〟

〝そうかい、もったいない事をしたね。〟

レンジがあっても使わないので、ストーブの側で冷めないようにしていたんだね。

〝いつもありとうね〟と車が発進するまで見送ってくれるば~ちゃん、

今度はすぐ見つけられるよ。

 

 

 

 

 

 


お福

2011年01月29日 22時28分29秒 | 動物

我が家に舞い戻ったお福。

しばらく外のビニール車庫で寝泊りしていたが、今年は寒さが厳しい。

内玄関に引越し。

気に入った様子ですっかり寝子になっている。

〝たまには外に出よう、おいで〟

ニャ~ニャ~鳴きながらついてくる。

今朝はひとり追加の散歩日だった。

     

 

 


2億円が手に入ったら・・・

2011年01月29日 08時41分26秒 | まちこつぶやき

黙っていられるかな~

高額当選故の悲しい結末のニュースも聞く。

おとうさんだけに言っても、子供たちには内緒。

毎日、毎日、通帳を眺めては一、十、百、千、万、十万、百万、千万って口にして、

“すごいなあ~ 2億円だよ”と感嘆。

して・・

何に使おうかな~

うん・・・・・

家が欲しいかな。

こんな家に住みたいと思っていた理想の家。

大きな2階建ての家はいらない。広~い庭のある平屋の家。

燦燦と陽射しが入り込み、さわさわと風が流れ、ゆったりと足を伸ばせるお風呂、

広~い庭に犬たちが遊び、

好きな花を庭いっぱいに植えて、

自分たちだけの野菜を作り、

縁側で好きな本を読む。

これからは老いていくから、雪のない暖かい土地で、気がむいたらぶらっと旅をして、

ひとりで暮らせなくなったら、温泉付きの気の効いた有料ホームに入居し、人生をまっとうする。

もしお金が残ったら、子供たちに好きにしてもらって、すっからかんで、おさらばだ。

あ~~~~

夢のまた夢・・・・・・

 


競輪配当4億29万1940円出る!!

2011年01月28日 23時45分44秒 | まちこつぶやき

ラジオを聞いていたらこんなニュースが流れてきた。

 「北九州市の小倉競輪は27日、後半7レースの1着を連続して当てる7重勝単勝式の「チャリロト」(1口200円)で1口が的中し、4億29万1940円の配当金を記録したと発表した。競輪の重勝式では、昨年10月21日に平塚競輪(神奈川県)の「チャリロト」で記録された国内史上最高の9億598万7400円に次ぐ2番目の高額配当金となった。的中者は千葉県の男性という。」

1時間後にはこの男性の口座に振り込まれたんだって。

4億29万1940円!!!!

やったね!

競輪は公営競技だから、一時所得税が掛かる。(宝くじは非課税)

配当金の半分、約2億15万円が課税対象額となり、これに40%の税率がかかり(そのほか住民税などがある)差し引かれた残りと合算したものが総収入となり、配当金の約75%。

だとしても・・・

2億円は確実だ~!

この男性、落ち着いた様子だったと言う。

きっと家に着いたら、歓喜の雄叫びを上げたよね。

う~~でも

雄叫びをあげるとバレるから、

顔が歪んでしまうほど、ニッタラ、ニッタラしていたかも。

何もしなければ何もないけど、

何かしらアクションをおこせば、いいも悪いも何かしら結果が出てくる。

人生、時には冒険も大事だよね。

私は賭け事は一切しないけど、

人生の賭けはしているよ。

千葉県の男性、おめでとう!

 

 


“いい人”

2011年01月28日 22時41分05秒 | まちこつぶやき

いいご主人で良かったわね~」

人はそう言う。

「いい奥さんでよかったね~」

て言う人は誰一人いない。

“いい人”

なんか複雑。

 

 ここで頑張っているのに、

「真知子さんだから、ここまでやってこれたんだよ、、よかったね、真知子さんと一緒になって」

誰も言ってくれない。

 


夕張郡由仁町 「ユンニの湯」

2011年01月27日 22時05分20秒 | 季節

1週間ぶりに給食おばさんをやってきた。

午後からの戦場にヘトヘト。

これは温泉に行くしかない。

どこへ行こうか?

まだ行っていなかった「ユンニの湯」へレッツゴ~!

自宅から23分、結構近いんだ。

広い公道を折れ、坂道をグングン進んでいくと、一見山小屋風な趣のある建物があらわれた。

駐車場は車がいっぱい。

入浴料込み+バイキングセット1500円を買ってみた。

広い浴室、野趣あふれる露天風呂、お湯はスベスベ。

身体はポッカポカ。おなかが空いてきた。

黒ズボンに黒ベスト、真っ白なシャツ姿のお洒落なスタッフ、、クラシックが流れ、ホテルのレストランに来た気分。

窓の外にはスカイツリーが浮かびあがっている。

本物の100分の1、6メートル34センチの見事な雪像だ。

バイキングでは、

もずく、冷奴、鮪のやまかけ、漬物、スパゲティー、リゾット、サラダバー、ほかほかのしゅうまいにチマキ、蟹クリームコロッケ、ラーメン、アイス、あとなんか食べたんだけど、忘れちゃった。

お腹パンパン。

バイキングはこれぞとばかり食いじが全開、ついつい食べ過ぎちゃう。

もうバイキングはや~めた。

「ユンニの湯」、気に入っちゃった。

2月は600円が400円に。

行かなきゃ損損。   夕張郡由仁町「ユンニの湯」 

 

 


今日の散歩

2011年01月27日 21時33分24秒 | 季節

今朝もチャ~にねこパンチをもらい、もう少し・・・と思っていた布団の温もりが消えていく・・

凛とした空気、気温、氷点下20度。

台所の窓から朝焼けが姿を現している。

さあ、散歩に行こう!

〝あら うさぎさんの足跡が!〟

今朝はうさぎ、きつね、あとふたつは誰だろう?

賑やかな雪原の生き物たち。

長~く伸びたつらら、もう芸術品だね。

雪面がキラキラ輝やき、

ダイヤモンドダストが舞い踊る。

氷点下の世界はそれはそれは美しい世界を作りあげる。

北海道に来て良かったなあ~って思う時だ。


日本最低記録、1902年、氷点下41,0℃。

2011年01月25日 10時58分30秒 | 歴史

1902年(明治35年)、1月25日、旭川で氷点下41,0℃が気象署で公式記録とされている。

気象署以外の参考記録では1931年1月27日、日本屈指の酷寒地帯である美深町(びふか)で氷点下41,5、1978年2月17日、幌加内町で氷点下41,2度の記録がある。

公式記録である1902年、この1月25日を前後し青森では大変な事件が起きていた。

新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」から映画化にもなった、世界山岳史上最大と言われた、「八甲田山雪中行軍遭難事件」。

日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森~田代~三本木~八戸までの八甲田山踏破を目的にした冬季訓練中に遭難し、210名の内199名が死亡するという大惨事だった。

惨事のおきた八甲田山中でも氷点下20度以下であったろうと推測されている。

11人の生存者の多くは凍傷で足や指を失ない、

「もしあの時、予備の軍手、靴下の一組でも余計にあれば自分は足や指を失わなかっただろうし、半分の兵士が助かっただろう」と後年、供述している。

候、気温の移り変わりが激しい冬山登山。

毎年、遭難事故のニュースが流れる。

 

綿密な計画、装備、

天候の急変による決断と決断。

撤退する勇気。

山だけではないよね。

「甘く見ていた」事って日常生活の中で経験することってあるよね。

自分の甘さに気がつかないで、人の意見に耳を傾けず、自分の意見を推し進めた結果、とんでもない事になったり。

2月はもっと寒くなるんだろうな~

甘くみないでこころして臨むことにしよう。

 


自分の道は自分で。

2011年01月25日 08時17分19秒 | 生活

お父さんが札幌でサラリーマンだった頃の話し。

福島から転勤してきたご夫婦。

5ヵ月後、奥様がうつ状態になり、夫婦共々福島に戻って行った。

この奥様は出歩くのが好きではなく、ご主人は仕事人間。

知らない土地、それも転居した北広島は静かな街だ。

自分で自分を追い詰めちゃったのかな~。

帰る場所があるって言うのはいいね。

私は戻る家はないし、もうここで暮らすしかない。

なければ、自分で自分の人生を作っていかなければ。

どうせ作るなら愉しい方がいい。

よくこの追分でやってきたな~って、いつも思うよ。

お父さんの源泉徴収票を見てニタッとし、札幌に家もあって、ジジ、ババの同居もない。

いいじゃん、なんて思ってお父さんと一緒になったのに・・・

お父さんはその職を投げ、アルツハイマーになったババと超頑固者のジジとの同居。住んだ所はねずみが合唱する屋根裏部屋。

その次も屋根裏部屋。

次が今の家。ここもボロボロだ。

て言うか、札幌の自宅には息子さん2人が同居していたから神経が疲れてきていたんだ。居場所がなかった。

 

どんなボロ家でもいい、居場所が欲しかった。 

だから屋根裏でも楽しかった。

でもここでも心が折れはじめていた。

だけど、自分が選んだ道だから、

自分で切り開いている。

無理はしない。

無理すると長続きしないから。

適当にさぼる事が長続きする秘訣だと思っているんだ。

こんな風に書いていると涙が落ちる。

声を掛けてくれる人がいれば生きていける。

頑張っている事を、誉めてくれる人がいればもっと頑張れる。

頑張っているときに、もっと頑張れって言う人がいなければ、もっと頑張れる。

でも・・・

そんなに頑張らなくてもいいんだよ。

疲れちゃうから。

 

 

 

 

 

 

 

 


頭寒足熱

2011年01月25日 06時26分53秒 | 生活

よく聞く言葉、

その言葉通り、足を温め、頭は温めず。

そんな事関係ないよ~って言う人もいるけど、北海道で暮らしているとこの言葉を実感する。

一番冷えるのは足先だもん。

心臓に一番遠い場所だから、血の巡りが遅いんだよね。

足先をしっかり温かくしておけば、寒い日の散歩もOK!

寝る時も、湯たんぽで足元を温かくすればグッスリだ。

寒くても雪が降っていなければ帽子はかぶらない。

歩いている内に暑くなっちゃう。

雪かきをしている時も帽子は暑くなっちゃう。

それより耳あてがあればいい。

足元、首、お腹、背中をしっかりガードすれば少し位の寒さなんてなんちゃない。

訪問看護の仕事をしている時、ば~ちゃんたちのほとんどは首にネッカチーフを巻いて、厚手の靴下を履いている。

そうすれば温かいことを知っている。

なんかの場面で「頭を冷やせ!」とか、

「頭に血がのぼった~」  「血の巡りが悪い」  「のぼせた~」

血圧が高過ぎた時は、頭を挙げるし、

やっぱり頭は暑くしない方がいいんだね。

自律神経も影響するから、心穏やかに、ストレスをためず心身ともに安定させておけば、

頭寒足熱のバランスもいいんだ。

て言う事は・・・

ホテルに泊まって、温泉に浸かって、カラオケに行っている私は、バランスがいいんだ。

だから更年期障害なんて全然なかったし(あっても気がつかなかった?・・・)、

私って賢いんだね。

 

 

 

 


温泉最高!

2011年01月24日 23時57分35秒 | 季節

我が家のお風呂、どうも火がつかない。

凍っているんだと思っていたら、どうやら燃料タンクの石油切れのようだ。

公道から奥に入った我が家、雪で狭くなった道に石油配達の車両は入って来られない。

近くに住む義兄の家にポリ容器に入れて置いてもらう。

それをよっこら軽トラに積んで、タンクに移す。

雪降る前に気づいていればよかったんだけど・・・・・・

て言うことで、温泉へレッツゴー!

早来鶴の湯・・・・・道内で2番目に古い明治初期から続く温泉。 500円

            含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉

南幌ハート&ハート・・・・源泉かけ流し、放射泉質のラドン泉、ナトリウム-塩化物強塩泉。600円

                

北広島クラッセホテル(北広島温泉)・・・・源泉掛け流し・ナトリウム-塩化物泉。600円

長沼温泉・・・・ナトリウム-塩化物強塩泉。 500円       

 夕張レースイの湯・・・ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。  600円

日高新冠レ・コードの湯 ・・・・・ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。500円

札幌定山渓豊平峡温泉・・・・・源泉掛け流し。露天風呂が広~~い。

                   カルシウム、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。1000円

積丹、岬の湯しゃこたん・・・・ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。 600円。

                  ここの露天風呂は太平洋がバッチリ!

千歳、丸駒温泉・・・・・源泉掛け流し、カルシウム、ナトリウム-塩化物泉。1000円

              1915年創業

函館谷地頭温泉・・・・ナトリウム-塩化物泉。 360円

恵庭ラ・フォーレ・・・・・ナトリウム-塩化物泉。露天風呂のみ温泉、内湯は真水 360円

登別温泉 湯元さぎり湯・・・・源泉掛け流し、含食塩、硫黄泉。 390円

 

書き出してみると、結構行っているんだ。

近隣にはまだまだある。

行ってこようっと。