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3年前のアクセス数分析

2010-08-28 | Weblog
2007年08月29日 | Weblog8/28(火) 539 pv 205 ip -位(844608 BLOG中)
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8/22(水) 658 pv 212 ip

夏休み明けを期待していたが、戻りはにぶい。
よくよく考えたら、学生さんは、まだ夏休み。
学生の夏休み明けによるV字回復を期待して。

@@@@@@
2010年8月28日現在
2000pv 400ip

3年間で倍増というところ
愛読感謝です


素人政治談議

2010-08-28 | 心の体験的日記
菅総理のあの精悍な顔つきがもどってきた
よかった
やはり、菅さんは、闘う人なんだ!

ひさびさのがちんこ権力闘争
今そんなことをやっているときではないかもしれないが
ここは、やるべきだと思う
新生日本へ脱皮するためには、この闘争は必然かもしれない
菅さんが勝って一歩先へいけるか
小沢さんが勝って数歩後退するか

心理学研究法の意義

2010-08-28 | 認知心理学
心理学研究法 

世の中には、さまざまな広告が粋を競っている。その広告の一つのカテゴリーに「実証広告」と言うのがある。薬効やダイエット効果を宣伝する時によく使われる。たとえば、
・ その商品を使う前は、こんなにひどかったのに、これを使うようになってから、毎日が快適ですと語らせて、使用前と使用後の写真を見せる。
・ 女性の96%が「良い」と評価しています
心理学研究法を学ばれた方々は、もはや、これが、およそ実証の名に値しない内容であることを簡単に見破れると思う。それぞれの語りの内容に嘘はないとしても、これは実証とは無縁である。

一口に実証といっても、自然科学のそれと心理学のそれとはやや趣がことなるが、基本は、
①誰もがそれを実証しようと思えばできるように実証の過程が公開されていること、
②誰がやっても同じ結果が得られることである。

結果だけをぽんと出して、あたかも実証データの裏付けがあるかのごとくするのは、詐偽行為まがいと言ってよい。
人の心にかかわる心理学の実証には、この基本を遵守しながら、さらに、面倒な実証のリテラシーがたくさんある。本講義で紹介できたのは、そのごく一部でしかないが、これを基盤知識にしてさらなる学びへとつなげて欲しい。そして、心の現象をとらえる視点を少しでも豊かで妥当性のあるものにしていただければ幸いである。

会話

2010-08-28 | わかりやすい表現
06/7/11
「会話力をつける」
●会話にも公準がある
たかが会話であるが、されど会話である。グライスという言語学者が、かつて会話が成立するための公準を提案したことがある。
1)適度の情報量
会話では、必要とされている情報よりも、多すぎて少なすぎて、よくない
2)真実性
ことわりのない限り、あるいは自明でない限り(自明なら嘘は一つの修辞表現)嘘を言わない
3)一貫性
会話の流れに関連したことを言う
4)明瞭性
簡潔にはっきりと話す

いずれも至極当たり前の公準であるが、それだけになるほどというところはある。この公準を踏まえて、会話をより効果的なものにするための考えどころをいくつか提案してみたい。

●言葉のキャッチボールをする
 誰と会話するにしろ、会話は、言葉のキャッチボールというくらい、思いや感情が相手との間で頻繁にいったりきたりするのが特徴である。
 ところが、時にはピッチャーが投げキャッチャーがとる関係になってしまう会話もある。
 電車で遭遇した光景。3人の中年女性が賑やかに会話しているのだが、真ん中の女性がひたすらしゃべり、左隣の女性がもっぱら聞き役。右隣の女性は我関せず。これが下車するまで30分も続いた。こうなると会話を装った演説である。
会話を分析するときの一つの指標に、ターンテーキング(turn taking)というのがある。
会話のキャッチボールが何回行われたかを数えるのである。それくらい、会話には、相手とのやりとりが大事ということである。

●会話の癒しの機能を活用する
前述の3人の女性の会話場面で、ひたすら話していた方は、話すことで自分のストレス解消をしていたのかもしれない。
会話の基本からははずれるが、会話には、話すことでうっぷんがはらせる、という癒しの機能もある。「ものを言わぬは腹ふくれる業なり」である。カウンセリングはここに注目する。第2回を参照されたい。

●会話の知的機能を活用する
会話にはさらに大事な機能がある。それは、情報を収集したり、相手に情報を提供したりする知的な機能である。
今はコンピュータの検索機能やメールが、かつては会話でしていたことのかなりの部分を代替するようにはなっている。それでも、対面会話のメリットは捨てがたい。
メリットその1は、会話では、情報のその人なりの評価、それも明示的な評価だけでなく、その情報を言ったり聴いたりした時の表情や声の調子などの言外の評価情報が生のまま得られることである。
メリットその2は、会話での知的触発である。会話の最中に、突然、何かを思いついたという経験はないであろうか。あるいは、会話内容を後で思い出して、「そうだ!そう言えば」といったことはなかったであろうか。
相手のちょっとした言動がそうしたことのきっかけになっているのである。

●表情と視線は、会話の潤滑油
対面会話では、言葉以外の情報も否応なしに相手に伝わる。なかでも、表情・ジェスチャーと視線の役割は重要である。
相手のにこやかな表情は、相手の話を促すし、不機嫌な表情は、会話を抑制する。さらに、相手の話に同意、不同意も表情やジェスチャーで即座にフィードバックできる。
 また視線は、主に会話でのターンテーキングの調整をしていることが知られている。自分が話す時には相手から視線を避け、終える時は次はあなたの番とばかり相手を見る。
表情・ジェスチャーと視線はいずれも、あまり意識的にコントロールされていないのが特徴である。それだけに、本音が出る。意識的なコントロールのもとにある言語情報との整合性が問われることになる。「2重拘束」というおもしろい概念がベイトソンによって提案されたことがある。口で言うことと本音とのずれが相手に困惑を与えることである。
たとえば、母親が子供に向けて「おりこうさんね」と口では言いながら、TVに夢中になっているような光景である。
 表情・ジェスチャー、そして視線がこんな大切な役割を果たしていることを知れば、いくばくかの努力を意識的にしてみてもよい。最初はぎこちないかもしれないが、次第に会得できるようになるであろう。

●会話では、知的共感性が大事
第2回で、共感的理解の話をした。それはいわば、感情的共感であった。それに加えて、知的な共感性も会話も含めたコミュニケーションでは大事になる。
知的共感性とは、「相手がどんな知識を持ち、何に関心をもっているかを知ること」である。具体的には、表のような知的共感性をはかる心理的尺度があるので、挑戦してみてほしい。
* *
* 表 知的共感性尺度
* ***





皿洗い機

2010-08-28 | 心の体験的日記
台所で一番便利で利用頻度の高い
ところが、ときどき、皿洗い機はだめというものがある
昨日は、新しい弁当箱を洗ってからと思って入れたら、
ふたが閉まらなくなってしまった

箸にも、ときどき、そういうのがある
気をつけよう

スポーツは教育的でない?

2010-08-27 | 健康・スポーツ心理学
夏休み後半、皆様、いかがお過ごしですか。
本学は、後期は、9月16日のオリエンテーションからです。
暑さ厳しきおり、ご自愛ください。

先日、ある会合で、ある大先生がこんなことをユーモアを
まじえて、スピーチしてました。
「甲子園が終わった。
優勝した9人の選手以外の膨大な敗者の存在に思いをはせると
かわいそうでならない。
彼らの心のダメージをどうやって癒すかを考える必要があるのではないか」

皆さん、このスピーチ、どう思いますか。
ユーモアでしょうか。
それとも、
深刻な教育的問題でしょうか。

夏休み最後の2週間余を楽しみます。

集団の種類

2010-08-27 | 教育
●野球型集団 
それぞれメンバーのやるべきことが決まっているが目的は共有しているような集団
●サッカー型集団
一応はメンバーの役割は決まっているが、時には、役割の範囲を超えることが期待されている集団
●綱引き型集団
全員が同じことをできるだけ力一杯やることが期待されている集団

3.4 文章作成環境が格段に良くなった「認知と学習の心理学より

2010-08-26 | 認知心理学

3.4 文章作成環境が格段に良くなった

●「原稿用紙」はまもなく死語
 25年前頃、論文執筆のために、図に示すような大量の400字詰の原稿用紙を自分用に作成した。その残骸がまだ研究室に大量に残っている。ワープロで原稿を書くようになってからは、まったく使用していない。

図 400字詰原稿用紙のサンプル

 原稿用紙こそ使用しないものの、昔の習慣とは恐ろしいもので、今でも、「原稿用紙何枚」という換算の仕方を使っている。たとえば、自分の感覚として、「原稿用紙10枚なら軽い」「原稿用紙20枚はややきつい」、本となると、だいたい原稿用紙300枚が目安という具合である。
最近増えているのは、「10000字でお願いします」のたぐいである。ただちに、原稿用紙25枚、うーん、ちょっとしんどいなー、となる。
それでも、さすがに、最近は、ワードの標準仕様が単位になりつつある。この原稿は、1行30文字、1頁38行で書いているが、10000字だと、これで何頁か、と考えるようになってきている。
不思議に、原稿用紙25枚だと、うーんとなるが、ワードの標準仕様だと、8.8頁とぐっと数値が減るので、これならなんとかなるかなー、と考えてしまうことが多い。馬鹿げたこととは思うが、数値感覚とはこんなものである。
いずれにしても、あと5年もすれば、「原稿用紙」という言葉は死語になっているであろう。

●ワープロがもたらしてくれたこと
27年前の1978年東芝の森健一氏のグループがはじめて今のワープロの原型になるものを製作して世に出した。筆者36歳の時である。もちろん、当時は100万円以上の高額機器で手が届かない。しかたなく、タブレット入力式のコマスという、少しはワープロ機能が組み込んであった電子タイプライターのようなものを使って、学位論文を執筆した。
ワープロが自分のまわりで一気に普及したのは、それから5年後くらいである。
英文タイプが打てるようになっていたので、ローマ字入力で日本語文章を作成した。これは実に楽しかった。ミスタイプしてもカーソルを戻して打ち直せばよい。段落の入れ替えも、カット&ペーストで一瞬のうちにできてしまう。
なによりうれしいかったのは、原稿をかく前の構想段階。いつもはここであれこれ逡巡したり、あーでもない、そして、あれこれ参考資料をぱらぱらめくりしたりしながら、悩んだりするのだが、これがワープロの画面に思いつきや資料をどんどん打ち込んでいくうちに、自然に構想が形になってくるのである。構想のかなり初期のうちから、進歩感をもって原稿の執筆ができるようになってきたのである。
もっともコラムのような問題もあるようだが。

●自己表現の場が広がった
webで誰もが簡単に情報発信者になれる時代になった。本当に驚きである。小学生でも自分のHPを作成して公開している。自分もアクセス数10万を超えたHPを公開している。
そして、今、ブログ。自分ではやっていないが、すでの膨大な数のブログが公開されているらしい。話題のブログ、ベストテンなどもある。
情報発信環境、さらには自己表現の発信環境がこのように格段に良くしてくれた技術者には心から感謝しておきたい。あとは、これをどう活かしていくかである。
 

思考の早期固定化の問題

2010-08-26 | 認知心理学
コラム「思考の早期固定化の問題」*********
 原稿書きや研究の構想を練っている段階では、論理的思考よりは、連想思考のほうが大事である。連想思考は、だいたいは、頭の中で展開される。あっちに飛んだり、まったく同じところを堂々巡りをしたりで、とりとめがない。
ワープロが出てきて困ったことは、こうした連想思考をワープロを目の前にしないとやらなくなってしまったことである。形にならない頭の中での連想思考より、ワープロにどんどん打ち込んで思いを固定していけば、いずれそれらが活かせるという気持ちが強くなる。
悪いことではないのだが、目に見えるものに思考が固着してしまい、発想が自由奔放に展開しなくなってしまうのである。
時にはパソコンを離れて、自由に連想を楽しむことも大事である。
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週間アクセス数解析

2010-08-25 | Weblog
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2010.08.15 ~ 2010.08.21 12417 PV 2790 IP 1639 位 / 1454744ブログ
2010.08.08 ~ 2010.08.14 14001 PV 3008 IP 1516 位 / 1451348ブログ
2010.08.01 ~ 2010.08.07 16213 PV 3201 IP
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夏休みもそろそろ
上昇期待の週

桜さん
greenさん
即コメ
軽妙洒脱
知的コメント
感謝です


ラポール

2010-08-25 | 心理学辞典
●ラポール(rapport)
カウンセリング場面で、治療者とクライエント(患者)との間に構築される受容的で親密な関係のこと。もっぱら言葉のやりとりを媒介にすることから、こうした関係を構築する会話のことをラポール・トークと呼ぶことがある。なお、これと対比させて、事実ベースの情報のやりとりをレポート(report)・トークと呼ぶことがある。ラポールとレポートの発音上、綴り上の混同が散見される。

この暑さのなかでテニスをするには哲学が必要

2010-08-25 | 心の体験的日記
なまはんかな暑さではない
そんななかでテニスをするにはそれなりの哲学?が必要
①心頭滅却すれば火もまた涼しーー根性論
②向っていく気持ちが必要ーー精神論
③終わった後のビールがたまらないーー動機論
④理屈ではない。習慣ーー生活論
⑤4人目は断れないーー集団論
⑥暑さも慣れればなんでもないーー身体論