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2019-05-11 | Weblog


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心理学研究法、放送大学講義録(再掲)

2019-05-11 | 心理学辞典

07・8・13
14章、放送原稿  
14章 研究法;まとめと補足 心理学

本日の講義は、これまで述べてきたことの復習とまとめと、さらに補足です。

ここまで、12種類の心理学研究法について学んできました。それぞれ個々ばらばらに紹介してきましたので、「心理学研究法は多彩だなー」という印象だけを持って本講義を終えることになってしまうのも、われわれの本意ではありません。
そこで、今回と次の15回とでは、心理学研究法に共通する基本的な考えや、多彩な研究方法論間の関係がわかるような話をしてみたいと思います。これによって、少しでもまとまりのある知識になればと期待しています。
さらに、これまでの話の中ではあからさまには出てこなかった心理学研究法にかかわるいくつの大事な問題についても考えてみたいと思います。
<<1分
まず、もう一度、  
実証とは  どういうことかを考えてみたいと思います。
定義的に言うなら、心理学における実証的な方法とは、
「一定のリテラシ(約束事)に基づいて収集されたデータによって心を語る方法」
です。
心理学研究法の多彩さは、このリテラシーの多彩さと語りの多彩さとに由来しています。
 たとえば、精神分析では、データは患者の症例であり、心の語り方はもっぱら後づけ推論になります。たとえば、ヒステリー患者の示す現在の症状は、過去に患者が受けたと思われる精神的外傷、トラウマにその原因を求めることになります。
一方、行動主義では、データは、もっぱら実験室で得られたデータであり、語り方は操作可能な因果的推論になります。たとえば、鳩を使って、絶食時間が条件づけ成立までの時間とどんな関係になるかを述べることになります。絶食時間が原因で、条件づけの成立が結果になります。  精神分析も、行動主義も同じ因果的法則を求めようとしてはいるのですが、後ろをむく精神分析か、前をむく行動主義かですから、両者の方法論的な違いは大変大きいものがあります。それにもかかわらず、両者が同じ心理学という学問領域内に共存しているのです。多彩になるはずですね。
 もっとも、1世紀余の心理学史の中で、一方が他方を認めない対立抗争はありましたし、現在でもないわけではありません。たとえば、文献欄に挙げた「心理学のなかの論争」といった本を読んでみてください。
とりわけ、精神分析については、ずっと毀誉褒貶相半ばするままで現在に至っています。
最近では、第7回、第8回で紹介した質的研究法が盛んになってきました。今述べた因果論だけが、実証の王道ではなくなってきています。
データの収集も心の語り方も実に豊かになってきました。
<<3分
●実証の桎梏
 なお、やや余談じみた話になりますが、心理学がこれでよしとしている実証は、心の研究にとって時にはさまざまなあしかせとなってしまうことがあるという話をしてみたいと思います。これを私は、実証の桎梏と呼んでいます。
 その最も厳しいケースは、かつて行動主義が隆盛を誇っていた頃を思い出せばよいと思います。自然科学と同じレベルの実証性を心理学に求めたために、心を研究対象から排除して、観察できる行動だけに限定することになりました。
 意識ー無意識のような概念はもとより、知能、性格、注意などなど、現在の心理学のテキストに出てくる心的な用語のすべてを排除した心理学をつくろうとしたのです。そういう説明概念を使ってしまうと、実証の妨げになるからです。
幸いなことに、20世紀後半になり、心理学における実証の概念は、かなり幅広くとらえられるようになってきました。
自然科学のまねごとの実証ではなく、心理学にとって固有の実証の概念が研究者の間で受け入れられるようになってきました。それに伴って、「実証の桎梏」ゆえに心理学の研究対象から排除されていた心の諸問題が、自由に取り上げられるようになってきました。
 ただし、実証の概念をあまり広く取りすぎると、本来の「実証」の枠を超えてしまう危険性が出できてしまう恐れはあります。その恐れに十分な配慮をしながら、とりあえずは、心の研究領域が広がったことのメリットのほうを今は、評価しておきたいと思います。
<<5分30秒
さて次に、実証の基本になるデータについて、考えてみます。
●データとは
まず、印刷教材をお持ちの方は、図14−1をみてください。研究全体でのデータの位置づけを描いてみたものです。



データのこの位置づけは、自然科学でも心理学でも変わりません。
①検証したい理論がまずあって、その理論が研究対象、測定、データの流れ全体をコントロールしています。もっとも、この方向性は、時には行ったりきたりするのが常です。つまり、理論がデータによって変更されたりすることがあります。
②さきほど、心理学における実証とは「一定のリテラシーに基づいて収集されたデータに基づいて心を語る」ことと申し上げました。その中核になるのが、測定のところになります。誰がやっても同じ測定結果が得られるようになっているのが普通なのですが、心理学の場合は、この「測定」のところが、理論によって、あるいは研究対象によってかなり異なってくることがあります。
たとえば、かつて行動主義が隆盛を極めていた頃には、心理学のデータ収集のリテラシーは、至極、簡単明瞭なものでした。第2回で紹介された実験室実験の因果的パラダイムに従ったもので、これは自然科学とまったく同じ性質のものでした。
しかし、20世紀後半になって台頭した認知主義は、測定のリテラシーを一気に多様化させました。厳密な条件のもとでおおげさな実験装置を使った測定ばかりではなく、もっとゆるい条件のもとで実験者が研究対象である被験者と一緒に活動するような場でデータを集めるようなこともなされるようになってきました。第8回「協働から心を探る」と第9回¥社会を動かす心を探る」あたりをこういう観点から、今一度、読み直していただくとよいと思います。
<<8分

実証におけるデータのタイプについて、少し考えてみたいと思います。
まずは
●心理学における多彩なデータのタイプ分け の話です。
多彩とはいっても、心理学の研究におけるデータのタイプ分けはそれなりにできます。観点の異なるタイプ分けを、2つほど紹介してみます。
まずは、
1)理論負荷データと理論探索データ とです。
図14−1に示したように、データは、理論から独立に存在するわけではありません。科学的なデータというからには、その収集には、強弱こそあれ、理論によるガイドがあります。別の言い方をすると、理論があるからこそ、目の前の現象が、研究のデータになるのです。これを理論を背負ったデータと呼びます。
理論のガイドが強いデータを、理論負荷のデータと呼びます。いわゆる検証実験で収集されるデータがこれです。理論から予測されるデータが得られるかどうかをみるものです。実験研究では、検証タイプのデータを集めることが多くなります。
もう一方には、理論のガイドが弱いデータ収集研究もあります。心理学ではこのタイプの研究が多くなります。研究者それぞれが、心についての体験的な思いをいだいているからです。そして、多彩な心にかかわる現象があるからです。ぼんやりとしている思い、理論をデータをみてよさそうなものに絞り、理論をさらにより精選していき、時には新しい理論を発見するようなタイプの研究になります
いずれも、理論あってのデータであることに注意してください。
ここで、理論とデータとの関係についてもう一言。
理論というのは、研究者が頭の中に作り出した、いわば絵空事の世界です。どんな世界でも作り上げることができます。そこだけでひとつの完結した世界を作り出してしまうのが、小説家です。しかし、科学者は、そうはいきません。その理論を現実と対応づけることが求められています。その現実に当たるのがデータなのです。データの裏づけのない理論は、小説家の世界と同じ絵空事になります。理論とデータとの適度な緊張関係こそが、実証の本筋になります。目に見えない心の世界を知ろうとする心理学では、ことさら、実証が大事になることも、これで少しはおわかりいただけたのではないでしょうか。
<<10分30秒

もうひとつのデータの分類軸は、
2)定性的データか定量的データかです。
一番よく知られたタイプ分けです。  
定性的データとは、一定の条件のもとで言語的に記述されたデータです。
 たとえば、公園での子どもの遊びの観察研究を例にとってみます。
まず、どんな遊びがあるかを想定して、あらかじめそのカテゴリー分けをします。これが、定性的データです。そしてそれぞれのカテゴリーに属するものを数え上げます。数え上げられたデータは定量的データとなります。
測定用語を使うと、定性的データは、名義尺度の水準での測定になります。これも測定であることに注意してください。
定量的データは、数値で表示されます。相対的な順位をつける水準、間隔を問題にする水準、絶対0点がある水準の3水準のいずれかの測定がなされることになります。それぞれ、序数尺度、感覚尺度、比率尺度と呼ばれています。
名義尺度とこれら3つの尺度の水準の名称は、測定にかかわる基本用語として覚えて置いてください。
たとえば、順位を競う陸上競技などでは順位を問題にしますので、序数尺度の測定になります。第5回で取り上げた心理尺度による測定は、学力検査による学力の測定と同じで、間隔尺度による測定になります。身長や体重の測定は、比率尺度による測定になります。
<<<12分30秒

データに関して次の話題は、
データの統計処理です。

これまでにも随所で、統計処理の話が出て来ました。
多分、どこでも、やや理解しにくい話ではなかったかと思います。
それでも、あえてもう一度、取り上げるのは、統計なくして、データから意味のある結論を引き出せないことが、心理学では多いからです。
まず、
● なぜ、心の研究に統計が必要なのかという話からしてみます。
 この疑問は、心理学をはじめて学ぼうと志す学生諸君がまず抱く疑問です。大方の諸君は、心を知りたいのであって、数学的な素養が必要な統計などできれば学びたくないとの思いを強く持っています。
 そこで、統計を学ぶ前に、この疑問にきちんと答えることが、心理統計を教える教師のまずしなければならないこととなります。
本講義では、統計技法の体系だった詳しい解説はしてきませんでしたが、それでも、この疑問にはきちんと答えておく必要はあると思います。それは、心理学を通して心を理解しようとするときの心がまえにもかかわってくるからです。
さて、心理学の研究で統計が必要となる理由の一つが、
1) 心に関するデータにはちらばりがある  からです。 
 定量的なデータは100個あれば、すべてが同じ値ということはありません。それなら、測定する必要はないからです。必ず、散らばりがあります。散らばりのあるデータをそのまま眺めても、あるいは人に見せても、心の何かがみえてくるわけではありません。せめて散らばりをまとめる必要があります。
 そのためによくやるのは、グラフにすることです。度数分布はよく知られているものの一つですね。
 さらに、その散らばり具合を適当な数値指標で表現することができれば便利ですね。
たとえば、度数分布なら、代表的な値がどのあたりかを平均値や中央値によって示します。さらに、代表値のまわりにどの程度、データがちらばっているかは分散や標準偏差という指標で示します。これによってデータのおおまかな特徴が数量的に記述できます。
このように代表的な値やちらばりを数値指標で表現すると、他のデータとの比較もしやすくなります。ここで使われるのが統計の1分野である記述統計です。
<<<<16分
もう一つ、統計が必要な理由は、
2) データを確率的とみなすことで、データから引き出せる結論に一般性を確保したいということがあります。
 これは、先ほど、データに散らばりがあると述べました。その散らばりの性質をどのように考えればよいかにかかわってきます。
 心理学では、データの散らばりを確率的なものと「みなす」ことで、データから得られる結論の一般性を保証しようとするのです
たとえば、試験の成績で60点をとったとします。それは、たまたまそういう成績になっただけで、もしかすると50点だったかもしれないし、80点になる可能性もあったかもしれないと考えるのです。こんなことは現実には不可能ですが、もし、同じような試験を無限に繰り返したことを想像してみてください。そのうちのたまたま一回が、60点だったとみなすのです。これは、あくまで研究上の「みなし」である点に注意してください。入学試験のような現実では、60点か50点かは、非常に意味のある違いですね。
 確率的とみなす、ということは、別の言い方をすると、1個のデータそのものには意味がなく、データ全体としての意味を考えるのです。
たとえば、2つの教室の成績のデータ群があって平均値に5点の差があったとき、それもたまたま得られた確率的な分布の上での差とみなすのです。そのような比較を仮に無限に繰りかえしたとして、その差が得られるかを問うのです。それによって、差の一般性を問題にするわけです。
 このときに使われるのが、統計のもう一つの領域である推測統計です。第2回で紹介された分散分析は、心理学の研究でもっともよく使われる推測統計の手法です。
<<17分40秒

● ここまでの話をここでまとめて、統計の話のしめくくりとしたいと思います。
 統計には記述統計と推測統計との2つの領域があります。
 記述統計では、データの散らばり具合をグラフ化したり、平均や標準偏差などの数値指標で表示することがねらいになります。
 もう一つの推測統計では、データが確率的であることを前提にします。、そして、データ全体の特徴に基づいて一般性のある推論がなされます。
 印刷教材をお持ちの方は、図14-2をご覧ください。
 この図では、次のことに確認してください。
① 現実に得られたデータ群を標本と呼ぶこと
② その標本は、母集団から無作為に抽出されたと仮定すること
③ その標本から適当な数値指標を計算して、その指標が標本分布のどこに位置するかを決定します。この指標のことを統計量と呼びます。
 統計量には、平均にかかわるもの、分散にかかわるもの、相関にかかわるものがあります。
④ 統計量が、あらかじめ設定された棄却域に落ちれば、偶然に得られた差ではなく、意味のある差と判定して、「統計的に有意」な結果とします。つまり、標本にみられるその差は、母集団に本来的に見られる差であるとします。
以上です。
この程度の説明しかできないのが、もどかしいのですが、あとはやさしい心理統計の本がたくさん出ていますので、そちらのほうで勉強してみてください。

なお、
● 統計処理は万能ではない  ということを蛇足になりますが、付け加えておきます。 実証の桎梏と似たような、統計処理の桎梏ともいえる状況があるからです。

心理学の論文を広げてみると、たちどころに、数値一杯の表が見つかり、文中には、
(t=5.3 df=48,p<0.01)
などの表現に出会います。これが定量的なデータの推測統計処理の結果の定型的な表現なのです。ちなみに、これは、各群50名からなる2群の平均値間の有意差検定の結果の表示です。「群間の平均には、1%の有意水準で統計的に有意な差が見られた」ことを意味しています。
 こうした統計処理ができないデータも心理学の中には、実はたくさんあります。多くの定性的なデータがそうですし、定量的なデータでも現実の制約が厳しくて、とても確率的とはみなせないデータもあります。そうした研究がただそれだけの理由で論文として発表できない、あるいはしないこともかつてはありました。
 統計的な処理は、データを確率的とみなせたときにだけ有効なデータ処理および推論の方策なのであって、その前提が満たされないデータには、それなりの処理法があってしかるべきなのです。
今、質的データ処理の方策を紹介する本が続々と出版されています。
統計の桎梏から解放されたデータ収集と処理の新しい動きとして注目されます。2003年には「日本質的心理学会」も設立されました。機関紙も発刊されています。これが、今日、日本の心理学の研究法と研究領域のレパートリーを広げる上で大いに貢献しています。
<<22分

さて、本章の締めくくりに、
14-3 研究倫理  のことを取り上げたいと思います。
まず、心理学界のみならず、一般にもよく知られている2つの研究を紹介してみます。

一つは、行動主義の旗振り役だったワトソンがおこなった、情動条件付けあるいは恐怖条件づけと呼ばれる実験です。1920年に行われた研究だということを念頭においてください。
この実験では、生後11ケ月のアルバート君を被験者に使って、白ネズミに対する恐怖反応を条件づけようとしました。アルバート君が白ネズミに近づこうとすると大音響を出し恐怖を喚起する手順を繰り返したのです。ほどなくして、白ネズミをみるだけで、アルバート君は、泣いたり逃げたりの恐怖反応をするようになりました。条件づけの完成です。
なお、白ねずみが条件刺激、大音響が無条件刺激、恐怖が条件づけられた反応になります。
この実験の倫理的な問題は後ほどとりあげることにしますが、皮肉にも、この恐怖条件づけは、さまざまな恐怖症などの治療をおこなう行動療法の先駆けになった貴重な研究なのです。

もう一つ紹介したい実験は、スタンフォード監獄実験と呼ばれているものです。これは、1971年に行われた実験です。
ジンバルドー・スタンフォード大学教授は、「役割を与えられる」ことが行動に及ぼす影響をみる実験を計画しました。なんと、模擬監獄を作り、一般からアルバイトとして募集した被験者を無作為に囚人役と看守役とに分けそこに収容しました。そして、それぞれの役にふさわしい行動を取るように指示しました。実験期間は6日間でした。ジンバルドーはもっと長期間やりたかったようですが、牧師や弁護士によって実験を中止されてしまいました。
最初はあくまで演技くらいの気持ちで、それぞれの役をこなしていましたが、次第に、それぞれの役割にふさわしい行動がきわめて熱心におこなわれるようになりました。あまりのひどさに、実験の中止をもとめる囚人役が出てしまったり、精神錯乱を起こした囚人役が実験から離脱したりしました。
<<25分
さて、この研究の倫理上の問題は、かなりはっきりとしています。この2つの研究を素材に、人を使った研究倫理の問題を考えてみたいと思います。

先ほど、1920年、1971年という年代を念頭においてほしいと申しあげました。
なぜかというと、近年になって、
●人を使った研究上の倫理が非常に厳しくなってきた という事情があるからです。
今紹介した2つの研究を現在誰かが追試しようとしても、研究倫理上、研究倫理委員会は許可をしないはずです。また、研究成果を学会の機関誌に投稿しても査読以前に返却されてしまうはずです。それほど、現在は研究倫理が厳しくなっています。
たとえば、ワトソンの実験計画を研究倫理委員会に提出して許可を求めるとします。次のような点がしつこく尋ねられるはずです。
①アルバートの保護者に実験の内容を十分に説明して許可を得たか
②アルバートの今後の発達にネガティブな影響はないか
同様に、監獄実験なら、
①被験者に実験内容やねらいを十分に説明したか
②いつでも被験者を止めることができることを告げたか
③後遺症は残らないか
を問われるはずです。
いずれの問いにも、2つの実験者は十分に納得のいく説明ができるとはおもえませんね。
たとえば
ワトソンの実験では、②のアルバートの今後の発達にネガティブな影響はないか
をきちんと証明するのが難しいですね。なお、これには、後日談がありまして、消去という手続きを使うと、いったん形成された条件づけも、解除することができます。これを使って、アルバートのシロネズミへの恐怖を取り除いたようです。消去とは、白ねずみをが近づいてきても、大音響はきかせないことを繰り返す操作です。

もうひとつのジンバルドーの監獄実験では、特に①の被験者に実験内容やねらいを十分に説明したか
が問題となりますね。実験の目的を告げてしまうと、それが実験結果に強く影響してしまうからです。心理学の実験では、この種の実験が実に多いだけに研究倫理上の困難に直面してしまうことになります。
一種の騙し実験になる場合は、事後説明を十分におこない了解をえることで、クリアできることもあります。
さらに、②のいつでも被験者を止めることができることを告げたか
も大事です。自由意志での実験参加、実験協力が基本だからです。
最近は、その点に配慮して、被験者ではなく、実験参加者、調査参加者英語で、participantと呼ぶようになってきています。なお、③の後遺症については、ジンバルドーの実験では、10年もかけてカウンセリングをせざるをえなかったとの深刻は話もあります。
<<28分

人を使う研究には、とりわけ、倫理問題は慎重な配慮が必要です。くどくなりますが、ここで、アメリカ心理学会が定めた10の倫理規定を簡単に紹介しておきます。
①    <<3分>>




10

いろいろ申し上げましたが、人を使った研究の倫理上の問題は、実験参加者を大切にすることにつきます。こうした細かい倫理規定はあります。研究倫理委員会のみならず、心理諸学会もそれぞれ倫理規則を定めています。さらに、関連書籍も文献欄に示すようなものがあります。実際に研究しようとする時には、それらに準拠するための努力をする必要があります。
しかし、もっと根本に、実験参加者、調査協力者への愛情、慈しみがなければならないと思います。研究上の興味関心や功名心を優先させてはならないことは肝に銘じておく必要があります。
<<29分
* ********

少し時間がありますので、課題1)の演習問題のほうを簡単に解説しておきます。
「課題」
1) 次のうち、確率的とみなすのが妥当なものはどれか。です。
① 松井選手は次の打席でホームランを打つか
② 喫煙者は肺がんになるか
③ 自分は放送大学を卒業できるか

 ②が正解なのですが、①の松井選手のホームランのケースはちょっとややこしくなります。確率的な見方をするなら、「1シリーズ30本もうつのですから、そろそろ」ということもあります。あるいは、「今日の調子はいまひとつなのでホームランは、無理」という見方もあるからです。
ここで、今一度、「確率的にみなす」ということの意味を考えてみてください。
 「③のあなたが卒業できるか」も確率的に考えるとどうなるでしょうか。

2) 次のようなケースでは、どのような配慮をすれば、研究倫理を護ることになるか。
① 小学3年生の学業成績と起床時間の関係を調べたい
② 社員のストレスと勤務時間との関係を調べたい。
③ネガティブ感情時の計算力がポジティブ時のそれより落ちるかどうかを実験で確認したい。

「解答のポイント」
1)確率的とみなせるのは、②。①も松井選手のホームラン率を参考にするなら確率的とみなしていることになる。
2)①保護者と教師への説明と同意 ②会社トップへの説明と同意。社員へのプライバシー遵守と無記名処理をすることの説明。③感情を操作することはかなりの慎重さが要求される。事前の説明と同意も難しい。

参考文献
安藤寿康編 2005 事例に学ぶ心理学者のための研究倫理  ナカニシヤ出版

丸野俊一 1998 シリーズ心理学のなかの論争 (1) 認知心理学における論争  ナカニシヤ出版
*****






ちょっと、善行寺まいりに

2019-05-11 | 心の体験的日記
バスツアーが年寄りには一番楽な旅行。
退職してから、何度かあちこちに出かけた。

ところが、2か月前ころ、1月前に予約はしたものの、
あれこれあって、結局、キャンセル。
当日キャンセルなので、たっぷりとキャンセル料金をとられたしまった。

これも、高齢者リスクの一つ。

ならばと、昨日は、前夜に決断して、
新幹線で長野まで出かけて、定期観光バスで、善行寺、戸隠神社へ。
朝6時、帰宅は夜9時。
バスは、たったの5人。
歩いて、食べて、見て、大満足。

でも、疲れたー
腰が痛い。







祭り「祭りは参加することに意義あり」(第11回)

2019-05-11 | ポジティブ心理学
祭り「祭りは参加することに意義あり」(第1100の言葉」宝島社より回)

●阿波踊りは楽しかった。
 はじめて給料をいただいたのが徳島大学でした。はじめて結婚したのも徳島でした。というわけで、徳島は、自分にとって第2の故郷です。
その徳島での生活をはじめて、2年目でした。誘われて、はじめて阿波踊りの連(グループ)に加わって一晩踊り明かしました。実に楽しい一夜だったことを今でもよしこののリズムとともに、ふつふつと思い出します。
もっと昔、子どもの頃にも、秋まつりは、楽しみの一つでした。普段とは違って、よそいきの着物をきて、普段とは違っておいしいものをたらふく食べました。いつの頃からか、その祭りもまったくやらなくなってしまいましたが。
祭り、最近では再び盛りかえしてきつつあるようです。あちこちで地域活性化の目玉のようになってきています。我が団地でも年に1度の夏祭りがあります。盛大です。
クリスマスからはじまって、バレンタイン、ハロウイーンなど、商業ベースのお祭りも増えました。安易に乗るのは考えものですが、楽しめるなら結構なことだと思います。
さて、ここでは、心の元気システムとしての祭りの活用を考えてみたいと思います。

●祭りの心
 祭りの楽しさはどこからくるのでしょうか。
いつもと同じことの持続は、心穏やかに過ごすためには、必須ですが、人間の感情はなかなか贅沢で、心穏やかがあまり長く続くと、心を揺さぶるものが時折欲しくなるようです。祭りは、その一つだと思います。「け」のなかでの「はれ」ですね。
いつもとは違った場で、いつもとは違ったことをするだけでも心が揺さぶられますが、さらに、そこにさまざまなポジティブになれる仕掛けが組み込まれているのが祭りです。
おみこしを担ぐ
お店で買い物をする
踊る
食べる
よそいきの着物を着る
いずれも、心躍る体験です。そんな体験ができると思うだけでも、心が元気になります。
さらに、祭りの楽しさを倍加するものに、ギャラリー効果があります。おみこしを担ぐ人々だけでなく、それも見物する人々がいるような状況です。
これも阿波踊りの話になりますが、昔は町のあちこちで勝手に自然発生的に踊っていたのを、桟敷席を設けて見物する人のところで踊るようにしたら、観光客が激増して一気に全国区になったのだそうです。見る人の元気が踊る人を元気づけるのがギャラリー効果です。これも馬鹿になりません。

●祭りで心を元気にするコツ
①当事者になる
 町内会の役員を1年間したことがあります。その仕事の一つに、夏祭りの企画、実施があります。射的をすることになり、その準備から実施までを担当しました。結構、大変でしたが、普段、話をしたこともない方々とわいわいがやがややりながらの準備は実に楽しいものでした。
やはり祭りは、当事者にならないと楽しさも半減です。花火大会に先日行きましたが、まさに見るだけ、すぐに飽きてしまいました。
阿波踊りも踊ってなんぼのものです。「踊る阿呆に、見る阿呆」です。
②変身する
 祭り当時は、いつもの自分をすててしまうくらいの気持ちになることです。普段の謹厳実直をかなぐり捨てて、天衣無縫、明朗海闊、活発元気でいくことです。気恥ずかしさをかなぐり捨てるのです。
着るもの、食べるもの、飲むもの、付き合う人から態度振る舞いまで、あらゆることをいつもと変えるのです。そして、雰囲気に酔うのです。
 翌日は、宴のあとのむなしさ?を感ずるくらいになれれば大丈夫です。
③自己顕示欲を満たす
 変身しないまでも、普段は抑えている自分をこの際、思い切って表に出してしまうのも、爽快です。それができるのも、祭りだからこそです。