(デカルトの「我思うゆえに我あり」の)近代的自我概念は、自分をを眺めるkとはあっても、
眺められることがない主観として想定する。
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そうした主観は、身体も顔をもたない、他人から見られることのない精神である。
河野哲也 seisin preview 114
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I(主体的自我)がme(客体的自我)を見る。
これがメタ認知。
こういう話ではない。
河野氏は、見られることによって作り出される自我があることを言う。
すぐに思ったのは、女性の自我。
なぜ、女性があれほど、見られることを意識するのか。
時には身の危険さえおかして。
そのことが、女性的自我の形成圧力になっている。
そのことが、自分の存在感にもなっている。
見られない自分なんて、女性は想像できない?
見られない自分なんて、存在しないも同然?
ジェンダー問題の基本課題かもしれない。