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過剰な正義を振りかざす官僚の規制

2010-10-03 | 心の体験的日記
事件が起こると、社会的コストを考えないで悪い奴をたたき、「政府がしっかりしろ」と求めて規制を強化させるのが、民主党やマスコミの常套手段である。このような過剰な正義のコストが、社会全体への「課税」としてすべての国民の負担になっていることに彼らが気づかないかぎり、「官製不況」は深まる一方だ。(池田信夫ブログより)

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自律心と自己愛

2010-10-03 | ポジティブ心理学
青年期の自律はさておくとして、自律心は、一生涯にわたり大切な心がけの一つです。
周りに左右されずに、自分なりの考えを持ち、自分ひとりになっても生きていけるように自分をコントロールできることは、職場、地域、家庭、どこでも、そして、青年期、成人期、老年期のとこでも大切です。
ただ注意しなければいけないのは、自律心旺盛と自己愛過剰との違いです。
自己愛は、自分かわいい、そして周りを見下し、他人への共感性が欠如するような性格特性です。それが過剰になると、周りと軋轢を生じます。
これに対して、自律心は、周りへの共感性、配慮、さらには、感謝があっての自分一人でも大丈夫というものです。成熟した社会性なのです。

満足感「ポジティブ心理術

2010-10-03 | ポジティブ心理学
メモ

満足感と幸福感の異同
客観的なものはない
本人の心の問題
満足しても幸福ではないこともある
満足は欲求充足
幸福は人生観
足るを知る
満たされるほどもっと満たしたくなる
完結欲求は満たされたら終わり

本を書くのと論文を書くのとの違い

2010-10-03 | Weblog
●本を書くのと論文を書くのとの違い
20代後半から40代前半くらいまでは、もっぱら研究論文を書いていた。実験、調査をしてはそれを論文にするのである。「はじめに」「方法」「結果」「考察」「まとめ」の順に書くことが決まっているので、それにあわせて内容を書き込んでいくことになる。
話しの筋立てが決まっているし、表現のしきたり(リテラシー)もあるので、それに従えばよい点は楽であるが、問題は、仮説と実験、調査で得られたデータの質である。ここがつぼにはまっていれば多少は表現上のまずさは問題ではない。ましてや、読み手にとってわかりやすくするとか、読みやすいようにするとかいったことは、二の次である。
なぜなら、論文の読み手は、ごく限定された専門家である。日本で発刊される心理学の論文で、1編の論文が10人以上の専門家によって読まれるようなような論文はごくまれではないかと思っている。専門論文は、人数という点でも、また、多少の読みにくさやわかりにくさは自らで補ってくれるという点でも、読み手のことを想定しないで表現して良い文書の典型なのである。
  その点では、表現上の苦労はそれほどない。
しかし、本となると、たとえ専門書であっても、論文のような表現でというわけにはいかない。
専門書では、最低でも1000册程度の部数を発行する。新書や文庫になると万単位になる。当然、専門を同じくするような人々だけが読者ということにはならない。関連する知識が乏しい読者もいる。
想定読者を常に意識した表現を心がけなければならない。これが本の執筆と論文の執筆との際立った違いである。
ところが、編集本で何人かの方々に執筆を依頼すると、中には、論文まがいの原稿を送ってよこすことがある。相当しっかりした執筆指針や想定読者を企画書に書いても、こういうことが起こってしまう。かくして、編集者泣かせ、読者泣かせの本ができてしまうことになる。

認知と学習の心理学より