心の風景 認知的体験

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ビジュアル表現で操作説明をする

2008-01-29 | わかりやすい表現

指針1「ビジュアル表現を使う」
 たとえば、「用紙送りキーを押してください」と文章で指示したとする。しかし、キーボードのどこにそのキーがあるか、どのように押すのかが、この文章だけではわからない。しかし、これを、例1のように、テクニカル・イラストを使った表現にすれば、たちどころに、キーの場所、押し方がわかる。
 なお、ビジュアル表現は操作説明には、なくてはならないが、それだけでは必ずしも十分とは言えない。ビジュアル表現には、読み手による解釈の自由度があるため、伝えようとする情報だけを伝えることができないことがあるからである。図の説明(キャプション)を言葉で入れるように、マニュアルでも言葉による説明も併用することになる。

咳が出ると花粉の季節

2008-01-29 | 心の体験的日記
気分は良好なのだが、咳がでる
たぶん、花粉が原因ではないかと思う
いよいよ来週あたりからだろう
医者に処方してもらう薬でしのぐことになる

以前は、マスクを使っていたが、
気分がめいるのでやめた
薬も効き目のよいものが開発されているようだ

危うく寝過ごしそうだった

2008-01-29 | 心の体験的日記
昨晩あーよく寝たという気分で起きて
寝床からでた。22時半だった
温泉でののどの渇きを癒すためのビールがいつも2倍だったのが、
いけなかった?(よかった?)
2時半まで仕事をして、いつもはこたつでする朝ねを
今朝は寝床に入ってした。
ぱっとおきたら、6時。
危ういところで寝過ごすところだった。

写真をとるときの視点

2008-01-29 | 心の体験的日記
正準視点という概念がある
そこからとると、いかにもそれらしく撮れるという視点である

花をよくとるが、見て美しいと思っても
写真にするとだめというのは、ひとつには視点取得のミスがありそうだ

学力低下

2008-01-29 | 教育
応用教育研究所レポート  2002年7月発行 」」
随想 学力低下論争について思う 筑波大学心理学系教授 海保博之

●知識不足は学力低下の証拠なのか  
かつて非常勤である大学で統計の授業をしていたことがある。1回目に、Σ(累加記号)の演習から入ったが、かなりの人数の学生の手が動かないので、もしかしてと思って、「この記号を見たことがない人は」と聞いてみたら案の定であった。  学力低下の話には、こうした知識不足の例がよく引き合いに出され、かつ説得力のある形で提出される。  

知識が学力の大事な要素であることは間違いないが、知識不足にもいろいろある。単に知らないもあるし、知っていても使えないもある。あるいは、使えても、ただ、思い出すだけしかできないということもある。  

Σ記号を知らない、使えない程度では、いかなる意味においても、学力低下と言うには大げさ過ぎる。  

どんな知識がどのような点で不足しているのか、それが知識体系と、知識理解や運用とにおいてどんな役割を担っているかについての冷静な見極めが必要ではないかと思う。そんな方向に事が進めば、「論争転じて福となる」はずである。

●学力低下を憂う人々  

同じ大学の先生でも、文系の先生方よりは理系の先生方のほうが、いわゆる学力低下を憂えているように思う。理系の授業では、前提知識の有無が授業を制約してしまうからであろう。  

数学のノーベル賞を言われるフィールズ賞の受賞者・小平邦彦著「怠け数学者の記」(岩波文庫、1986年刊の文庫本化)に、「最近7ー8年間における大学生の学力低下には目を覆いたくなるものがある」からはじまる論説がある。今話題の学力低下論争と同じ話しが14年前にもあったらしいことがうかがえる。  

いずれにしても、入学試験をきっちりやって受け入れているのだから、授業の前提知識が欠けていたらそれを補う仕組みを考える方向で問題提起をするのが筋というものであろう。  いわゆる学力低下を憂えているもう一方の極は、保護者である。  

完全週休2日制が、子供の学力を低下させるのではないか、それが、2日制を導入しない私立の生徒との受験競争に負けることになるのでは、という不安に発するものであろう。  受験に限定するなら、この不安はもっともといってよい。しかし、これからの子供が生きていく日本の社会において、受験競争に勝つことの意義はかつてよりはるかに小さくなっている。  

受験学力よりまさに「生きる力」のほうがはるかに大事になってくるのは間違いないと思う。  

しかし、ここは、自己責任よって保護者・子供自身が選択することなる。面倒で困難な選択ではあるが、それができる時代になったことを、むしろ喜ぶべきかもしれない。 ***本文69行

安全、安心標語

2008-01-29 | 安全、安心、
近隣に安全、安心の標語が一気に増えたのは紹介した
その後、その看板が次第に曲がったり、傾いたり、汚れたり
するようになってきた。
こうなると、標語の効果が一気に低下する。
こうした標語にも鮮度がある。
そろそろ撤去したほうがよいと思うが、
これが官僚仕事なので、たぶん、非常に難しいのだと思う。