マニュアル
マニュアルに従いながらそこから脱却する
ポイント********************************
1)手順化すれば、誰でもそこそこの水準の仕事はできる。
2)手順の土台にある暗黙知を身につける
3)仕事師の仕事を見て学ぶ機会を増やす ****************************************
●手順化の意義 マニュアルには手順と手順書/取扱説明書の意味とがある。手順あっての手順書であるから、両者は一体である。 頭の中でする仕事も含めて、仕事をするには手順が決まっている/決められていることが多い。したがって、手順通りにやれば、誰でもが「それなりに」目標に到達できる。これが手順化の意義の一つ。取扱説明書がこれをねらっている。 手順化のもう一つの意義は、決められた通りのことだけをするべし、余計なことをするなという作業に制約をかけることである。とりわけ、法律的な厳しい規制などがあるところでは、違反行為を防ぐために、こういう形で手順化が求められることになる。なお、最近は、やや違反行為が目立ちすぎるのが気になる。手順の守り方なる手順書(メタ手順書) が必要のようである。
●手順化の背景にあるもの 手順化できるのは、明確に言葉で表現できる世界である。しかし、その背景には、いわく言い難しの世界があるのが普通である。これを、形式知と暗黙知として区別することがある。 同じ手順に従った仕事でも、熟練した人のほうが、仕事の質が高くなるのが普通である。手順としてはっきりと形にされた知(形式知)としては表現できない、膨大な暗黙知に支えられて行なわれているからである。これが、その仕事の文化を作り出しているのである。 「最近の若者(素人)はマニュアル人間。言われた通りのことしかしない」という熟練者のいらだちは、もっとなところがある。 しかし、熟練者もはじめは「最近の若者」の一人だったことを思えば、そのいらだちをもっと積極的な方向に向けたいものである。
●手順から脱却する 仕事を学ぶときには、手順だけからでは限界がある。暗黙知の中に埋もれている仕事の知恵、ノウハウをも学ぶことが、どうしても必要となる。 そのためには、まず第一に、学ぼうとする意欲がなければならない。そのためには、逆説めくが、教えすぎないことである。教えなければ知りたくなるのが人間の常である。「技を盗む」くらいの意欲が沸くような状態にしなければ、だめである。 その上で、仕事のエキスパートと一緒にいる時間を増やす。ただ一緒にいるだけでも、そこから何かが学べる。暗黙知がはからずも表にでるのは、エキスパートの何気ない素振りや一言だからである。伝統技能の習得の場では、弟子入りして師匠の身の回りの世話をしながら技能を学んでいるのも、師匠の暗黙知が顕現する一瞬に立ち会うためである。 そして、エキスパートの真似をすることになる。これについては、第17回「模倣」を参照されたい。 *
**本文59行******
図解*「暗黙知から形式知まで」
********* 図は別添 「解説」 仕事の中には、きちんと言葉で教えることのてできるもの(形式知)と、言葉では言い表すことのできないもの(暗黙知)とが含まれているのが普通である。仕事が高度になるほど、形式知と暗黙知との乖離が大きくなる。そんなところでは、手順化は仕事の質を高めることにはあまり貢献しない。
**************************************** 図解*」暗黙知と形式知とを比較してみる」* 表は別添 (野中郁次郎・紺野登「知識経営のすすめ」 (ちくま新書)より)
「解説」 暗黙知と形式知とは固定された分類ではない。暗黙知から形式知への知の移行は、教育・研修の場だけでなく、学ぼうとする意欲がある者は、エキスパートの仕事の模倣から自らでその移行を行なっている。なお、形式知から暗黙知への移行もごく普通にある。手順を意識しなくとも仕事ができるようになったときが、それである。
マニュアルに従いながらそこから脱却する
ポイント********************************
1)手順化すれば、誰でもそこそこの水準の仕事はできる。
2)手順の土台にある暗黙知を身につける
3)仕事師の仕事を見て学ぶ機会を増やす ****************************************
●手順化の意義 マニュアルには手順と手順書/取扱説明書の意味とがある。手順あっての手順書であるから、両者は一体である。 頭の中でする仕事も含めて、仕事をするには手順が決まっている/決められていることが多い。したがって、手順通りにやれば、誰でもが「それなりに」目標に到達できる。これが手順化の意義の一つ。取扱説明書がこれをねらっている。 手順化のもう一つの意義は、決められた通りのことだけをするべし、余計なことをするなという作業に制約をかけることである。とりわけ、法律的な厳しい規制などがあるところでは、違反行為を防ぐために、こういう形で手順化が求められることになる。なお、最近は、やや違反行為が目立ちすぎるのが気になる。手順の守り方なる手順書(メタ手順書) が必要のようである。
●手順化の背景にあるもの 手順化できるのは、明確に言葉で表現できる世界である。しかし、その背景には、いわく言い難しの世界があるのが普通である。これを、形式知と暗黙知として区別することがある。 同じ手順に従った仕事でも、熟練した人のほうが、仕事の質が高くなるのが普通である。手順としてはっきりと形にされた知(形式知)としては表現できない、膨大な暗黙知に支えられて行なわれているからである。これが、その仕事の文化を作り出しているのである。 「最近の若者(素人)はマニュアル人間。言われた通りのことしかしない」という熟練者のいらだちは、もっとなところがある。 しかし、熟練者もはじめは「最近の若者」の一人だったことを思えば、そのいらだちをもっと積極的な方向に向けたいものである。
●手順から脱却する 仕事を学ぶときには、手順だけからでは限界がある。暗黙知の中に埋もれている仕事の知恵、ノウハウをも学ぶことが、どうしても必要となる。 そのためには、まず第一に、学ぼうとする意欲がなければならない。そのためには、逆説めくが、教えすぎないことである。教えなければ知りたくなるのが人間の常である。「技を盗む」くらいの意欲が沸くような状態にしなければ、だめである。 その上で、仕事のエキスパートと一緒にいる時間を増やす。ただ一緒にいるだけでも、そこから何かが学べる。暗黙知がはからずも表にでるのは、エキスパートの何気ない素振りや一言だからである。伝統技能の習得の場では、弟子入りして師匠の身の回りの世話をしながら技能を学んでいるのも、師匠の暗黙知が顕現する一瞬に立ち会うためである。 そして、エキスパートの真似をすることになる。これについては、第17回「模倣」を参照されたい。 *
**本文59行******
図解*「暗黙知から形式知まで」
********* 図は別添 「解説」 仕事の中には、きちんと言葉で教えることのてできるもの(形式知)と、言葉では言い表すことのできないもの(暗黙知)とが含まれているのが普通である。仕事が高度になるほど、形式知と暗黙知との乖離が大きくなる。そんなところでは、手順化は仕事の質を高めることにはあまり貢献しない。
**************************************** 図解*」暗黙知と形式知とを比較してみる」* 表は別添 (野中郁次郎・紺野登「知識経営のすすめ」 (ちくま新書)より)
「解説」 暗黙知と形式知とは固定された分類ではない。暗黙知から形式知への知の移行は、教育・研修の場だけでなく、学ぼうとする意欲がある者は、エキスパートの仕事の模倣から自らでその移行を行なっている。なお、形式知から暗黙知への移行もごく普通にある。手順を意識しなくとも仕事ができるようになったときが、それである。