4.1.1 知 能
→知能検査の開発史と種類,特別支援教育と個別知能検査【本事典の執筆項目との関連】
海保博之・筑波大学・教授
【知能研究のはじまり】知能研究の歴史は,近代心理学の1世紀余の歴史とともにあるといってよい。その嚆矢は,F.ゴールトン(1822-1911)にある。民族や個人の知的優秀性を実証しようとした彼の試み(優生学)は,知能は遺伝か環境かをめぐっての議論を巻き起こし,知的能力を計測しようといた彼の試み(測定学)はテスト開発と統計的データ解析手法の開発を促し,さらには知的能力モデルの構築へとつながっていった。
【知能の定義と測定】目で見ることのできない、構成概念である知能を測定するには,方法論が必要である。それが間接測定の論理である。知能を定義したうえで,知能がある(高い)とするなら,それは,こうした場面や検査問題でこういう行動として具現化するはずとする仮定を置いたうえでの測定である。その仮定の「妥当性」が絶えず問われるのが,知能の測定に限らず,多くの心的特性の測定の宿命である。
さて、その定義であるが,研究者の数だけあるといってもよいほど多彩である。松原達哉は,知能の13の定義を列挙したあとに,「高等な抽象的思考能力」「学習能力」「新しい環境への適応能力」の3つが,知能の定義の鍵になっていると指摘している。
知能の定義がこれほど多彩で広範に及ぶことは,測定上だけでなく,後述する他の領域での論議にも強く影響してきた。ただ,知能検査を作成するにあたっては,「知能とは,知能検査で測定したもの」(F.N.フリーマン)との操作主義的な考え,さらに「存在するものはすべて測定できる」(E.L.ソーンダイク)とする楽観的な測定観を共有することで,過去1世紀にわたり次々といろいろの定義と目的にかなった知能検査が開発されてきた。
【知能モデルの構築】知能モデルの構築は,20世紀前半は,知能検査の得点の相関分析・因子分析によるボトムアップ的なアプローチに基づいて提案されてきたが,20世紀後半の認知心理学・認知科学の隆盛の影響を受けて,モデル論的な(トップダウン的アプローチによる)知能モデル構築の試みもいくつか提案されてきた。
?相関分析・因子分析によるモデル化:C.E.スピアマンが1920年代に提案した2因子モデルを軸に展開されてきた。2因子モデルの特徴は,どんな問題を解くにも有効な一般因子gがベースにあって,そのうえで,それぞれの検査問題(群)を解くのに固有な特殊因子sがあるとするものである。
これ以後に提案されたサーストンの多因子説(言語理解,語の流暢性,計算力,空間認知力,記憶力,知覚の速さ,推理力)は一般因子gの存在を否定して特殊因子をより精選したもの,キャッテルの流動性知能(問題解決にかかわる知能)と結晶性知能(言語的な知識にかかわる知能)は,多因子をさらにまとめあげたもの(群因子,2次因子)と考えることができる。
?認知心理学・認知科学におけるモデル論的アプローチ:そのねらいは,知的課題を解くときの頭の内部での情報処理プロセスがどうなっているか,さらに,それぞれのプロセスの性能(容量と効率)と処理様式とがどうなっているかを明らかにすることであった。それが知能検査として具現化したのが,K-ABC検査であった。
なお,これら以外にも,神経心理学の知見を踏まえた知能モデルも提案されている(例えば,Das,J.P.ら)。
【知能の遺伝規定性】双生児比較法,家系調査法,さらには,異なる年令集団の変化を経年(縦断)的に調査するコホート分析などの科学的な研究手法によって,心の諸特性についての遺伝規定性がどの程度あるかを同定しようとする試みが数多くなされてきているが,知能に限らず決着がついたものはないといってよい。それだけに,これまでさまざまな研究や問題提起が,その時々の社会情勢や時代思潮を反映しながら,なされてきた。
その代表的なものをあげると,1つは,1930年代ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悲劇につながった,ゴールトン流の優生学の復活がある。
近年では,1969年のA.R.ジェンセンの122ページの大論文での主張「IQの分散のうち,遺伝による分散は,8割を占める」「社会階層や人種による差は,遺伝的な差異によるところが大きい」「環境は遺伝的素質を発現させる低い閾値的な役割しか果たさない」が,公民権法が成立した(1964年)とはいえ,人種差別問題で苦悩していた当時のアメリカにおいて,ジャーナリズムも巻き込んでの大論争を引き起こした。
いずれのケースでも,知的基盤能力の1つである知能が遺伝的に規定されているとすることで,差別の固定化,そして,教育的処遇を通しての差別の拡大へと突き進んでしまう危険性を含んでいることは注意する必要がある。かといって,遺伝の影響を過少視するのも,事態を見誤る可能性がある。
【知能の発達的変化と予測性】これに関しては,生涯を通してIQは恒常性かという古典的な問題がある。IQは,当該集団(コホート)のノルム(平均と標準偏差)を使う関係もあって,経年的に調べてもそれほど大きくは変化しない。
しかし,知能の検査問題の正答率ベースで発達的な変化をみると,たとえば,帰納的推理力(流動性知能の1つ)は25歳あたりをピークに80歳くらいまで単調減少カーブをなすのに対して,言語能力(結晶性知能の1つ)は30歳あたりのピークが80歳くらいまで維持されることを示すような証拠もある。
また,知能の予測性に関しても,将来の職業的成功を予測できるとする証拠もいくつかある。しかし,これに関しては,学童期の知能から職業的な成功までの間に介在する環境的・教育的な影響も無視しえないので,決定的な言説には慎重さが必要である。
[知能の学習可能性]知能は教育・訓練によって変化するのかという問題は、幾度となく話題にされてきた。一番関心を呼ぶのは、学校教育が知能を高めるかということである。これについては、学校教育の長さとIQの高さとが関連していること示す証拠が多い。さらに、先進14か国平均でIQがここ30年間で15点も上昇しているとの証拠(Flynn効果)も、そのすべてが教育効果とは言えないが、注目される。
ガードナー,H.は,もっと直接的に知能そのものの教育可能性に挑戦する理論と実践を行い注目されている。まず、知能を「特定の文化的状況あるいは共同体において重要な、問題を解決するあるいはものを作り出す能力」と定義する。具体的には、社会での職業上での成功(熟達化)を保証する知的能力を発掘し、さらにその神経心理学的な基盤にも配慮して,お互いに自律した7つの知能類型(多重知能モデル)を措定した。その7つとは,「音楽・リズム知能」「身体・運動感覚知能」「言語・語学知能」「内省的知能」「対人的知能」「論理・数学的知能」「視覚・空間的知能」であるが,さらに「博物学的知能」を追加するとの話もある。そして、これこそがガードナーの斬新な挑戦になるのだが、それれぞれの知能の教育訓練プログラム(プロジェクト・スペクトル)を実践している。(海保博之)
[参]東 洋『教育の心理学』有斐閣,1989. Deary,I.J. 2001 Intelligence;A Very Short Introduction.(繁桝算男訳『知能』岩波書店,2004.)
辰野千寿 新しい知能観に立った知能検査基本ハンドブック 図書文化 1995
※F.Galton(1822-1911)→F.ゴールトン
F.N.Freeman→F.N.フリーマン
E.L.Thorndike→E.L.ソーンダイク
C.E.Spearman→C.E.スピアマン
L.L.Thurstone……L.L.サーストン
R.B.Cattel……R.B.キャッテル
A.R.Jensen……A.R.ジェンセン
→知能検査の開発史と種類,特別支援教育と個別知能検査【本事典の執筆項目との関連】
海保博之・筑波大学・教授
【知能研究のはじまり】知能研究の歴史は,近代心理学の1世紀余の歴史とともにあるといってよい。その嚆矢は,F.ゴールトン(1822-1911)にある。民族や個人の知的優秀性を実証しようとした彼の試み(優生学)は,知能は遺伝か環境かをめぐっての議論を巻き起こし,知的能力を計測しようといた彼の試み(測定学)はテスト開発と統計的データ解析手法の開発を促し,さらには知的能力モデルの構築へとつながっていった。
【知能の定義と測定】目で見ることのできない、構成概念である知能を測定するには,方法論が必要である。それが間接測定の論理である。知能を定義したうえで,知能がある(高い)とするなら,それは,こうした場面や検査問題でこういう行動として具現化するはずとする仮定を置いたうえでの測定である。その仮定の「妥当性」が絶えず問われるのが,知能の測定に限らず,多くの心的特性の測定の宿命である。
さて、その定義であるが,研究者の数だけあるといってもよいほど多彩である。松原達哉は,知能の13の定義を列挙したあとに,「高等な抽象的思考能力」「学習能力」「新しい環境への適応能力」の3つが,知能の定義の鍵になっていると指摘している。
知能の定義がこれほど多彩で広範に及ぶことは,測定上だけでなく,後述する他の領域での論議にも強く影響してきた。ただ,知能検査を作成するにあたっては,「知能とは,知能検査で測定したもの」(F.N.フリーマン)との操作主義的な考え,さらに「存在するものはすべて測定できる」(E.L.ソーンダイク)とする楽観的な測定観を共有することで,過去1世紀にわたり次々といろいろの定義と目的にかなった知能検査が開発されてきた。
【知能モデルの構築】知能モデルの構築は,20世紀前半は,知能検査の得点の相関分析・因子分析によるボトムアップ的なアプローチに基づいて提案されてきたが,20世紀後半の認知心理学・認知科学の隆盛の影響を受けて,モデル論的な(トップダウン的アプローチによる)知能モデル構築の試みもいくつか提案されてきた。
?相関分析・因子分析によるモデル化:C.E.スピアマンが1920年代に提案した2因子モデルを軸に展開されてきた。2因子モデルの特徴は,どんな問題を解くにも有効な一般因子gがベースにあって,そのうえで,それぞれの検査問題(群)を解くのに固有な特殊因子sがあるとするものである。
これ以後に提案されたサーストンの多因子説(言語理解,語の流暢性,計算力,空間認知力,記憶力,知覚の速さ,推理力)は一般因子gの存在を否定して特殊因子をより精選したもの,キャッテルの流動性知能(問題解決にかかわる知能)と結晶性知能(言語的な知識にかかわる知能)は,多因子をさらにまとめあげたもの(群因子,2次因子)と考えることができる。
?認知心理学・認知科学におけるモデル論的アプローチ:そのねらいは,知的課題を解くときの頭の内部での情報処理プロセスがどうなっているか,さらに,それぞれのプロセスの性能(容量と効率)と処理様式とがどうなっているかを明らかにすることであった。それが知能検査として具現化したのが,K-ABC検査であった。
なお,これら以外にも,神経心理学の知見を踏まえた知能モデルも提案されている(例えば,Das,J.P.ら)。
【知能の遺伝規定性】双生児比較法,家系調査法,さらには,異なる年令集団の変化を経年(縦断)的に調査するコホート分析などの科学的な研究手法によって,心の諸特性についての遺伝規定性がどの程度あるかを同定しようとする試みが数多くなされてきているが,知能に限らず決着がついたものはないといってよい。それだけに,これまでさまざまな研究や問題提起が,その時々の社会情勢や時代思潮を反映しながら,なされてきた。
その代表的なものをあげると,1つは,1930年代ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悲劇につながった,ゴールトン流の優生学の復活がある。
近年では,1969年のA.R.ジェンセンの122ページの大論文での主張「IQの分散のうち,遺伝による分散は,8割を占める」「社会階層や人種による差は,遺伝的な差異によるところが大きい」「環境は遺伝的素質を発現させる低い閾値的な役割しか果たさない」が,公民権法が成立した(1964年)とはいえ,人種差別問題で苦悩していた当時のアメリカにおいて,ジャーナリズムも巻き込んでの大論争を引き起こした。
いずれのケースでも,知的基盤能力の1つである知能が遺伝的に規定されているとすることで,差別の固定化,そして,教育的処遇を通しての差別の拡大へと突き進んでしまう危険性を含んでいることは注意する必要がある。かといって,遺伝の影響を過少視するのも,事態を見誤る可能性がある。
【知能の発達的変化と予測性】これに関しては,生涯を通してIQは恒常性かという古典的な問題がある。IQは,当該集団(コホート)のノルム(平均と標準偏差)を使う関係もあって,経年的に調べてもそれほど大きくは変化しない。
しかし,知能の検査問題の正答率ベースで発達的な変化をみると,たとえば,帰納的推理力(流動性知能の1つ)は25歳あたりをピークに80歳くらいまで単調減少カーブをなすのに対して,言語能力(結晶性知能の1つ)は30歳あたりのピークが80歳くらいまで維持されることを示すような証拠もある。
また,知能の予測性に関しても,将来の職業的成功を予測できるとする証拠もいくつかある。しかし,これに関しては,学童期の知能から職業的な成功までの間に介在する環境的・教育的な影響も無視しえないので,決定的な言説には慎重さが必要である。
[知能の学習可能性]知能は教育・訓練によって変化するのかという問題は、幾度となく話題にされてきた。一番関心を呼ぶのは、学校教育が知能を高めるかということである。これについては、学校教育の長さとIQの高さとが関連していること示す証拠が多い。さらに、先進14か国平均でIQがここ30年間で15点も上昇しているとの証拠(Flynn効果)も、そのすべてが教育効果とは言えないが、注目される。
ガードナー,H.は,もっと直接的に知能そのものの教育可能性に挑戦する理論と実践を行い注目されている。まず、知能を「特定の文化的状況あるいは共同体において重要な、問題を解決するあるいはものを作り出す能力」と定義する。具体的には、社会での職業上での成功(熟達化)を保証する知的能力を発掘し、さらにその神経心理学的な基盤にも配慮して,お互いに自律した7つの知能類型(多重知能モデル)を措定した。その7つとは,「音楽・リズム知能」「身体・運動感覚知能」「言語・語学知能」「内省的知能」「対人的知能」「論理・数学的知能」「視覚・空間的知能」であるが,さらに「博物学的知能」を追加するとの話もある。そして、これこそがガードナーの斬新な挑戦になるのだが、それれぞれの知能の教育訓練プログラム(プロジェクト・スペクトル)を実践している。(海保博之)
[参]東 洋『教育の心理学』有斐閣,1989. Deary,I.J. 2001 Intelligence;A Very Short Introduction.(繁桝算男訳『知能』岩波書店,2004.)
辰野千寿 新しい知能観に立った知能検査基本ハンドブック 図書文化 1995
※F.Galton(1822-1911)→F.ゴールトン
F.N.Freeman→F.N.フリーマン
E.L.Thorndike→E.L.ソーンダイク
C.E.Spearman→C.E.スピアマン
L.L.Thurstone……L.L.サーストン
R.B.Cattel……R.B.キャッテル
A.R.Jensen……A.R.ジェンセン