日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

希薄になる意識とワンネスの関係  

2014-06-29 04:27:28 | 日月神示の実践

<前世からの旅立ち・遥かなる再会より転載>

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◆希薄になる意識とワンネスの関係◆
(文中に追記が有ります)

これから先、事象や人に対し更にこだわりや意識が薄くなって行くでしょう。

私自身既にそれを体感し始めています。
この人が居なければ、この場所にいなければ、この仕事を堅持しなければ、社会に対してしっかりと目を向けなければと言った「濃い」意識から、よりフラットで時には希薄さやこだわりの無さの様な感覚が更に起こって来ています。

今まであれ程意識を向けていた人や事象から、少しずつ少しずつ、時には急激に、向けていた意識が離れて行く感覚です。

このスピードは日々高まって来ています(毎日の様にと言っても良い程です)

その反面、身近なあらゆる人、あらゆる事象に対して、こだわりのあった強い意識が徐々に引いて行き、逆に多くの事を受け入れられる様にもなって来ています。

今まで
「ここをこうしてもらえたらありがたいのに」
「そうした見方よりこうした解釈は出来ないのかな?」
「そこは自分とは違うので合わせて欲しい」

自分以外の事象や人に対して、こうした要求をしなくなって来ています。


緩慢
希薄
閑散
寂寥
無常

無着
中道

これらの語句には「覇気」や「高いモチベーション」を感じさせません。
しかしこれらの言葉には、新しい未来のヒントが隠されている様に感じます。

濃い関係から、簡素な程よい距離感と繋がりを再構築し始めている、それを感じさせます。

この宇宙には個々人が等距離の距離感で存在し、そして相反する様に全てと繋がって来ている感覚も同時に起こって来ています。
「ワンネス」の意識と言えば良いでしょう。


●「強い責任感と使命感をもって他者の全てを全力で愛し人格者である事を願う」

○「緩やかな意識で物事に向かい、穏やかな愛で人を包み、自分の至らない所も許してみる」

今、後者の○にどんどんとなって行く自分です。

<追記>

懸命に生きる事
真面目に、そしてストイックに生きると言う事
正義感や人道的行為の美しさ
神仏を尊ぶ思い

私たちは古い2元性の世界、3次元に生きていた時、これらの生き様を身を持って体験してきました。

本来宇宙は、生真面目さのあまり感じられない緩い世界です。
それに相反し、古い3次元と言う地球は重く厳しく危険な場所でした、だからこそ多くの学びも体験も出来た大変に有用な世界だった訳です。

この低い次元を生きた私たちは、本来の宇宙意識しか知らない他の天体の人々に比べたら、この過酷とも言える世界を知った私たちは賞賛に値する様なのです。

彼らは私たちを羨望の目で見、敬愛の目を向けてくれています。

私たちは過酷な環境の日々の記憶を、魂と言う個々人のデータベースに記憶させ新しい高次元を目指します。

そして、宇宙ファミリーにその体験をシェアして行く事になります。

   ・・・・

さて話し変わって、先日とても面白い体験をしました。
京都からの帰り、品川で下車し山手線のホームに向かい歩いている時、肩を誰かに叩かれました。

瞬間的にそれが「人」では無い事が分かったのですが、確認の為ゆっくりと振り向いてみました。
案の定私の側には歩いている人はいません。

かなり明確に力を感じる「ポンッ」と言う感じで、私を知っている誰かが気安く肩を叩いたと言う感覚でした。

私とかつて肉体を持っていた時に縁のあった人なのか、その時にはその相手が誰かは分かりませんでした。
しかしとても友好的に感じられたのです。
もちろん霊体だと言う事は直ぐに分かったのですが、それ自体大変珍しいと思ったのです。

既に次元移行が始まっており、私たちが暮らしてきた3次元とセットになっていた「霊界」である4次元に居た魂は、早々と別の場所に用意された3次元に向かっている筈です。
でも、未だ全ての魂が完全に移行した訳ではないのですね。

未だ役目があり、4次元での最後の仕事をしている魂もいる事を、その時教えてもらった気がしました。
3と5の中間に位置する4次元です、高次への接触も出来るのでしょう。

「またいつか会おう、じゃあな!」

そんな感じを、肩の叩き方から感じたのです。
そして振り向いた時、その「相手」が早足に遠ざかって行く事をしっかり感じ取りました。
相手は私と同じくらいか少し下の中年男性である事も同時に感じました。

彼の「別れの挨拶」から、又一つ次元のステージを上がった事を感じた出来事でした。

ではでは〜


<転載終わり>

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 以前も同じことを書きましたが、高橋さんの言葉にはいつもハッとさせられ、なるほどと膝を打ちます。今回の内容も納得できるものです。3年前くらいから自分と合わない人や情報、場所などには自然と近づかなくなっていました。以前は飲んでいても楽しかったのに、最近はあまり面白く感じない人も出て来ました。そういう人とは、自然と距離をおくようになって来ました。当たり前ですが。

 反対にこの一年でとても近くなった人たちもいます。近くなった人の特徴は、一緒に居て気楽で、自分の本音がわりと言える人です。そして何となく楽しいし、その人が自分と違ったことを言ったりしても気にならないのです。こういう人たちとは居るだけでゆっくりした気持ちになれます。お互い言いたいことを言うし、一見キツい言葉に聞こえても、別に気にならないのが不思議です。単に、意見が違うと認識しています。

 コンピュータソフトウェアの世界に「疎結合(そけつごう)」という言葉があります。反対の単語は密結合になります。読んで字のごとくですが、以前はクライアントサーバ型のLANという密な2階層システムでしたが、数年前からWeb上での受発注業務などの3階層システムに変わって来ています。3階層とはプレゼンテーション層、データ層、アプリケーション層の3つです。プレゼンテーション層とは、ユーザが使用するクライアントになりますので、ネットに繋がっている端末(PC、スマホ、携帯など)になります。データ層はデータベース、アプリケーション層はビジネスロジックの部分になります。2階層の際には密結合になり、3階層システムは疎結合となります。

 10年前くらいから、人間関係も段々とWebシステムのように疎結合になって行くのだろうなと感じていましたが、高橋さんのこの記事を読んで、やはり人間関係の基本は疎結合かも知れないと思いました。たとえ親兄弟、夫婦でも、先ずは一個人同士の関係が基本のように思います。親には親の意見がありますし、自分とは違うことも多いです。子供とも意見の相違は多くあります。ましてや家族以外の人とは、意見が違う部分の方が多いわけです。子供が幼い時は、親子は密結合がよく、高校生くらいになったらそろそろ親離れ・子離れという疎結合の関係に変化していくのだろうと思います。動物の世界は正にそのようになっています。巣立った子供は束縛もしません。冷たいように見えますが。自分の子供が大人になったら、動物と同じように束縛しないのが自然のように思います。

 自立した個人と個人の関係は千変万化で面白みがあると感じます。お互い尊敬でき、感心できる部分があると、仕事をしていても面白いと感じます。当たり前といえば、当たり前の話しですが。

 *今日は第2回目の中矢塾が開催されます。東北や九州など全国からひふみ仲間が集まります。今回の高橋さんの記事ではないですが、最近はひふみ仲間もずいぶんと顔ぶれが変わってきています。今まで常連だった人が来なくなるケースが多くなりました。反面新しい顔ぶれもドンドン増えて来ます。日本弥栄の会会員はかなり増えて来ていますので、会ったことのない会員さんが多いのも頷けます。今日の中矢塾でも新しい顔ぶれが多いと思いますが、共に学び、楽しくやりたいと思います。懇親会もありますので、「パイ源」を忘れずに持って来てくださいね。翌日がラクですから。



 

 

・前世からの旅立ち・遥かなる再会

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