日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

祝 建国記念の日  瀬戸弘幸氏

2009-02-11 11:40:47 | 日月神示の実践

 今日は建国記念の日ですが、瀬戸弘幸氏が言われるように建国記念の日について、各新聞には何の記事も載せてありませんでした。朝と昼のテレビニュースでも、建国記念の日の報道はありませんでした。
 瀬戸弘幸氏のブログを読むと、戦後米国占領軍により、建国を祝う日が廃止されたそうです。この廃止された「紀元節の日」を再び復活させるために、多くの愛国的な国民の広範囲な運動が提起されたとあります。その後、幾多の苦難の連続の中で、国民の各層に広く浸透し、そして支援を受けながら大きな輪となって、建国記念の日が復活したとあります。
 日本人として建国を祝うのは当たり前ですが、新聞やテレビでほとんど報道しないということは、本当の意味で日本が独立しているとは言えないと思います。確かにマスコミは今でも米国の影響がとても強いため、真実を報道することはできないようですが、私たち国民側も本当の意味で愛国心を持っているとは言えないのではないでしょうか。ただ、少しづつですが愛国の兆しは出てきていると思います。
10年前では愛国心と言っただけで右翼と言われるような時代でしたが、今は瀬戸弘幸氏のブログなどが高い支持を得ていることから見ても、随分まともな世の中になってきたなと、感慨もひとしおです。

<記事転載>
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『祝 建国記念の日』


 本日2月11日は建国記念の日です。

 このブログを読んでいる方なら、わざわざそう書かなくとも皆さんご存知なのですが、一般の人の認識としてはどうなのでしょう?

 新聞社も最近は社説でも取り上げないし、読者の声の欄にもありません。テレビなどもまったくと言って良いほどに取り上げることはありません。

 2月11日が、わが国の歴史を語る上で非常に重要な日であるのに、それをマスメディアがまったく伝えずに、そして学校の教育の中でも真剣に教えることをしなくなった。

 だから、この日の本当の意味というものを多くの若者が理解することが出来なくなってしまった。年々そのような傾向にあるのではないでしょうか。

 今日の祝日を戦前は「紀元節」と呼びましたが、一旦廃止されたこの日がまた復活したのには、多くの日本人による戦いがあったことも忘れてはならない重要な点なのです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

制定後から「建国記念の日」に変わるまで

 紀元節には、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。1889年(明治22年)には、この日を期して大日本帝国憲法が発布され、これ以降、憲法発布を記念する日にもなった。

 1891年(明治24年)には小学校祝日大祭儀式規程(明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式を小学校で行うことになった。1914年(大正3年)からは全国の神社で紀元節祭を行うこととなった。1926年(大正15年)からは青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が各地で開催されるようになった。

 第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、片山哲内閣により、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除され、法は1948年(昭和23年)7月に施行された。日本独立の1952年(昭和27年)から復活運動がおき、1958年(昭和33年)に国会への議案提出があり、1966年(昭和41年)に祝日法が改正され、さらに佐藤栄作内閣により建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)として再制定され、1967年(昭和42年)2月11日建国記念の日として実施された。

(引用終わり)

 このように米国占領軍により、わが国の建国を祝う日は廃止されたのです。この廃止された「紀元節の日」を再び復活させるには、多くの愛国的な国民の広範囲な運動が提起されました。

 将に言辞につくせない苦難の連続の中で、国民の各層に広く浸透し、そして支援を受けながら大きな輪となってこの紀元節復活は成し得たのです。

 確かに戦前の名称である「紀元節の日」としての完全復活とはいきませんでしたが、「建国記念の日」としてその戦いは実を結んだのです。この「建国記念日」が復活したということは本来は日本の国体の復活の兆しとならなければなりませんでした。

 敗戦・占領という未曾有の歴史的体験の中で、日本の国体そのものが否定されてきたのを、再びそこに回帰させたわけです。この運動というものは真の意味で、日本人が再び自信を取り戻すためのきっかけとならねばなりませんでした。

 しかし、今日残念ながらその気運は感じられません。

 2月11日に我々が追憶すべきことは、太古の神話の世界に想いを馳せながら、実はそう遠くない時代におけるこの紀元節復活の国民的な戦いであり、その勝ち取った成果ではないでしょうか。

 これを受け継ぎ、更に前進させることが出来るのかどうかが問われていると感じています。
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 ●せと弘幸氏ブログ
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/


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