アリスが「鏡の国についてのわたしの考えをお前にみんな話してあげる」と黒い子猫に言う。そして「鏡の向こうに見える部屋はこの部屋と同じよ。ただ物があべこべになるわ! only the things go the other way 」と彼女が続ける。
PS1:「物があべこべになる」とはどういうことだろうか?(その1「前後」)
現実の国で私の胸は前側、背中は後ろ側。鏡の国でも胸は前側、背中は後ろ側。それぞれの国で胸が前側、背中が後ろ側である。前後があべこべではない。つまり前後の定義(胸は前側、背中は後ろ側)はどちらの国でも同一である。
では何があべこべなのか?
あべこべになるためには、現実の国と鏡の国に共通する方向を想定する必要がある。それぞれの国単独では、現実の国で私が前に進むと、鏡の国の私も前に進む。
しかし共通の方向を想定すると、現実の国の前方向は鏡の国の後方向。前者の後方向は後者の前方向となる。つまり前後方向は現実の国と鏡の国とであべこべとなる。
(あるいは現実の国の方向を基準にすると、鏡の国の前後方向は現実の国とあべこべになる。)
PS2:「物があべこべになる」とはどういうことだろうか?(その2「左右」)
現実の国で私の心臓は左側にある。すると鏡の国で私の心臓は右側にある。左右があべこべである。つまり左右の定義が二つの国であべこべである。現実の国では「心臓がある側は左側、ない側が右側」と定義される。しかし鏡の国では「心臓がある側は右側、ない側が左側」と定義される。
現実の国と鏡の国に共通する方向を想定すると、現実の国の左方向と鏡の国の右方向は、同一の方向である。つまり左右方向は現実の国と鏡の国とで同一となる。
(あるいは現実の国の方向を基準にすると、鏡の国のあべこべの左右方向が現実の国の左右方向と同一になる。)
PS3:「物があべこべになる」とはどういうことだろうか?(その3「上下」)
現実の国で私の頭は上側、足は下側。鏡の国でも頭は上側、足は下側。それぞれの国で頭は上側、足は下側である。上下があべこべではない。つまり上下の定義(頭は上側、足は下側)はどちらの国でも同一である。
さて現実の国と鏡の国に共通する方向を想定するとどうなるだろうか。現実の国の上方向は鏡の国の上方向。前者の下方向は後者の下方向となる。あべこべにはならない。
PS4:「定義」に関して言うと、「前後」の定義は現実の国・鏡の国で同一。「左右」の定義は現実の国・鏡の国であべこべ。「上下」の定義は現実の国・鏡の国で同一。
現実の国・鏡の国に「共通の方向」を想定すると、現実の国・鏡の国それぞれの「前後方向」は共通の方向との関係であべこべ。現実の国・鏡の国それぞれの「左右方向」は共通の方向との関係で同一。現実の国・鏡の国それぞれの「上下方向」も共通の方向との関係で同一である。
PS5:「物があべこべになる」とはどういうことだろうか?(結論)
「前後」「左右」「上下」に関して「あべこべ」と言えるのは次の二つの場合のみである。
①現実の国・鏡の国に「共通の方向」を想定すると現実の国・鏡の国それぞれの「前後方向」は共通の方向との関係で「あべこべ」である。
②「定義」に関して言うと「左右」の定義が現実の国・鏡の国で「あべこべ」である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます