平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2011年2月13日 主御自身が建ててくださる

2011-03-23 00:39:05 | 2011年
詩編127編1節
    主御自身が建ててくださる

 私たちは、今日、献堂記念日礼拝を守っています。神様に今の会堂を新築して、お献げしたのが、16年前です、1994年12月15日に竣工し、1995年の2月19日に献堂式を行いました。平尾教会のこの建物は、連盟の教会の中でも、しっかりとしたものであり、使い易さの点でも上手にできていると思います。
 私は、2003年の4月からこの教会の牧師をさせていただいていますから、この建物と8年を共に過ごしてまいりました。落ち着いた感じを与える気品ある建物であると、誇りに思います。音響の点でも、優れています。この礼拝堂は、108名を満席として、造られています。満席状態となって、4年が過ぎようとしています。いつも言うことでありますが、その建物の7割から8割の席がうまると、いっぱいといった印象を人間はもつようで、そうなると、もうそれ以上は、その群れは、増えないのだそうです。
 確かに、平均の礼拝人数は、この3年間変動なく、101人となっています。2010年度は、このままでいきますと昨年度よりは若干増えるでしょう。この礼拝堂は、十分に私たちの願いと祈りを達成してくれています。私たちは、私たちの思いを遥かに超えて、私たちの願いを叶えてくださる神様に感謝し、そのご栄光を拝するばかりです。
 私たちは、この礼拝堂で、礼拝を捧げる数が100名を超えたあたりから、次のステップを考え始めました。二部礼拝をしようか、或いは、この礼拝堂の後ろのしきりを常時開放して、空調や音響は十分でなくなるけれども、致し方ないと考え、試験的にそうした時期もありました。しかし、しばらくやってみて、やはり、音、空調の点で問題があり、いつもは閉めておきましょうということになりました。礼拝堂や多目的ルームを拡張できないものか、と考えたときもあったと思います。
 それから、次は、多目的ルームにスクリーンを置いて、そこで、礼拝堂の礼拝風景をライブで流し、共に礼拝に与るということを考えましょう、ということになり、現在は、それに落ち着いているのです。その結果、遠くの兄弟姉妹たちも私たちと時を同じくして、礼拝に与れるようになりました。私たちには、あのときからずっと、何とかしなければ、何とか、道が開かれないだろうかといった祈りに似た思いがあったのではないでしょうか。
 ところが、一昨年、松村先生より大名の土地を平尾教会をとおして、神様にお献げしたいとの申し出を受け、私たちは、感謝のうちにその思いを受け取らせていただきました。それは、神様が、この平尾教会を用いて、その土地で新たなる伝道の業を用意しておられるのだと考えたからではないでしょうか。
 神様は、このキリスト教のなかなか根付かない不毛の国で、これからの時代を担う若者をまず対象に、キリストの福音を宣べ伝えよと、私たちに命じておられるように、受け取りました。なぜなら、この福岡市大名の土地は、若者に人気のある天神の西どおりの近くに位置しているからです。私たちは、この建物の返済をあと8年と半年続けていかねばなりません。2012年度から活動が始まる大名の建物は、建物の建築費用については、ほとんどの部分が、すでに献金されていますので、あとは、建ったあとの運営費用を私たちが、どう捻出していくかを考えていくだけです。
 だけと言いますが、実は、こちらが私たちのほんとうになす、労苦になっていくのです。それはプログラムの問題とも深くかかわってきます。私たちは、しかし、現在のこの建物の建築費借財の返済がまだ8年半年残っていることで、神様からこの建物のこともゆめゆめ忘れないようにと、釘をさされているかのようです。あちらはあちら、こちらはこちらではなく、私たちは、これから二つの教会の建物、二つの場所をいつも同時に思い浮かべながら、ことを考えていくことになります。
 神様は、私たちが、願っていた以上のものを私たちに与えてくださったのだと、私には思えてなりません。この平尾教会の建物を拡張しよう、二部礼拝をしよう、などと考えていたことがこのような形で叶えられることになったのです。私たちは、あちらで、幾つかの礼拝、集会をすることになるでしょう。ここよりも広い、そしてパイプオルガンのある礼拝堂と多目的ルームが与えられます。
 若者、サラリーマン、若い母親たちを意識した、工夫がこらされた建物が用意されます。福岡地方連合と九州バプテスト神学校の占有スペースも用意されます。連合とそのバプテストの諸教会、九州バプテスト神学校などの活動、その他の団体もそこを用いて、直接的、間接的に宣教を行っていくことでしょう。ここに、バプテストの、センター的な機能をもった施設ができるのです。一つの教会を超えた共同体も生まれることでしょう。
 詩編の127編の1節に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」とあります。主のご意志がそこになければ、私たちのなそうとしていることは、なんとむなしいでしょうか。ところが、私たちは、少なくとも大名の施設は、まさに、神様が用意され、建ててくださるものでなくて、何だと理解できるでしょうか。神様は、ご自身に献げられたものをご自身の栄光のために用いられるのです。
 そして、神様は、私たちの群れにその具体的な務めを託そうとされておられます。大名の建物は、神様ご自身が建てられるのだと、私たちは、そのように認識しておきましょう。そして、これから行う労苦は、すべて、決してむなしいものになることはないのだと、確信したいと思うのです。
 ところで、平尾教会のこの建物ができるときに、どんなにか多くの時間を費やし、多くの知恵を結集しただろうかと思っていました。実際、建物について、毎日のように話し合ったと聞いておりますから、そうだったのだろうと思います。
 しかし、調べてみてわかりましたことは、1993年10月31日に建築委員会が発足して、その年の12月5日の総会で、会堂新築設計概要と資金計画を承認しております。たった、1ケ月あまりで、そこまでのことをやっております。驚きでした。それで、そのことを昨日、大名設立委員の皆様に言いましたら、嫌々、その建築委員会ができる前から、話し合いをずっとしていたとのことで、やはりそうであったかと思った次第です。また、前は、普通の礼拝堂を建てる話しだったので、的もしぼりやすかったのだと、いうことではありました。
 大名クリスチャンセンター設立委員会が発足したのは、昨年の9月12日です。ちょうど、5ヶ月くらいになるのですが、先週の常会ででた意見なども検討しながら、ようやく、平面図について、委員会の意見がまとまってまいりました。そして、できますならば、3月6日(日)の常会で、平面図、いわゆる新築設計概要を承認していただけたらと願っているところです。これが決まりましたならば、一気に、いろいろな事柄が具体的となり、事は進むことでしょう。否、やはり、その段階において、具体的になればなるほど、人数の分だけ、おそらく意見が出てきて、さらに着工が伸びることになるのでしょうか。
 もし、そうなったとしても、そのプロセスで、私たちが立ち返るべきは、神様が建ててくださるという視点です。私たちは、確かにああでもない、こうでもないと話し合うことになるでしょう。しかし、神様が、建ててくださるのだ、といった信頼を忘れずにおきましょう。神様が、神様のご栄光が現れるように、きっと、すばらしいものを用意してくださると思うのです。
 さて、教会の建物とはいったい何でしょうか。この詩を作ったのは、ソロモンということになっています。ソロモンは、イスラエルが建国されて以来、最高の繁栄の中にあった王でした。彼の時代に、壮大な神殿が建設されたのでした。建物が完成したとき、ソロモンは、言いました。
 歴代誌下6章18節からのところですが、「神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、昼も夜もこの神殿に、この所に、御目を注いでください。ここはあなたが御名を置くと仰せになった所です。この所に向かって僕が、ささげる祈りを聞き届けてください。僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください」と祈っています。
 ソロモンは、神殿に神様が住まわれることはないけれど、しかし、祈りの中継基地として、位置づけておりました。このときの彼の謙虚な姿勢に学ぶものはあります。しかし、彼は、晩年、多くの異教の神々の偶像を作り、多くの異教の神々を祀る施設を作りました。そして、神様の怒りをかうことになりました。それは、たくさんの王妃や側室を周辺の国々から迎え入れた結果でした。彼女たちの持ち込んだ異教の偶像の神々をソロモンも積極的に容認したのでした。神殿と偶像崇拝は結びつきやすいのでしょうか。人間は、神様をむしろ自分たちの手の中に置こうとするのでしょうか。気をつけなければなりません。
 教会の建物、とりわけ礼拝堂は、神様を合同で礼拝する一つの場所に過ぎません。それは、ある教会の群れは、それを家庭の一室で行っています。しかし、礼拝を献げるときは、そこで神様をおぼえるのですから、そして、そこで捧げられる礼拝は神様に捧げられるものであるのですから、少なくとも礼拝を捧げるそのときには、そこは今、聖なる場所であるといった意識を持たねばなりません。そこで、礼拝を捧げるとき、そこは聖なる場所になるのです。
 神殿ということで言えば、パウロが、アテネで行った説教を想い起こします。使徒言行録17章24節、25節「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」。
 そして、パウロは、エフェソの信徒への手紙の2章19節から21節からのところで、はっきりと、教会は、実際の目に見える建物ではなく、その中身、群れそのものであることを告げております。「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石は、キリスト・イエス御自身であり、キリストにおいてこの建物全体は組み合わせられて成長し、主における聖なる神殿となります」。
 私たちは、あちらにもう一つの群れ、教会を形成しようとして、活動を展開していくのではありません。そうではなくて、伝道の活動拠点がもう一つ増えるということなのであります。あちらの建物には、平尾バプテスト教会大名何何と名前がつくことになります。だからこそ、この二つが有機的な結びつきをしなければならないわけです。あちらはあちら、こちらはこちら、という形ではなく、あちらのことがこちらとどうつながり、こちらのことがあちらとどうつながっていくのか、そこを作り出していくことがポイントになってきます。
 それから、あちらでは、こちらと趣を変えた伝道活動が展開されていくことになります。こちらではしてこなかった新しい試みもしなければならないでしょう。ターゲットは、絞られています。また、一つの教会の枠を超えた、幅広い活動がなされることでしょう。私たちは、それをもまた、自分の教会に起こった出来事として喜ぶことができるのです。
 ただ、神様はどのようなことを最終的にお考えになられているのか、私たちにはわかりません。神様の思いは深く、私たちには及びもつかないのです。私たちの予想だにしなかった、例えば、いろいろな社会の問題や課題が、大名では持ち込まれるかもしれません。社会の中で、ほんとうに隣人を必要としている方々の傍らに立つ教会にならなければならないかもしれないのです。そのことを神様は切に願い求めておられるかもしれないのです。
 否、それは、今に限らず、いつの時代も、キリストの教会であれば、必ず求められることであるでしょう。しかし、今の段階で一つ言えることは、神様が私たちの願っていたことを、このような形で叶えてくださったということです。そして、そこに、福岡地方連合が長年求めていたもの、九州バプテスト神学校が願っていたものが同時に与えられることになりました。こうして出発したものが、次の段階では、どのようになっていくのか、楽しみであります。どのような労苦を神様は私たちに期待されているのか、わくわくどきどきでもあります。
 神様が建てられたものであるなら、神様のご栄光を表すしるしが、至るところで輝き始めると、私たちは信じて、そのことを祈ってまいりましょう。そのことのために、私たちの教会が用いられる、そのことを喜んでまいりましょう。私たち一人ひとりが、神様に仕える者として、さらに豊かに整えられるように、祈ってまいりましょう。
 16年前に平尾教会の新しいこの建物が完成しました。その建物が完成してから、18年目の2012年に、もう一つの建物が、大名にできます。平尾の建物は、神様が建ててくださったものであり、私たちの労苦はむなしいものとならず、多くの実りを生みました。そして、今度できる大名の建物もまた、神様が建ててくださるものであって、私たちのなすそこでの労苦もまた、むなしいものとはならず、必ずや大きな実りを生むはずであります。
 平尾の建物では、10の実りをいただいたと仮に考えるとしたら、二つになって、20ではなく、その倍の40にという実りをいただけることになるかもしれません。二つになって、2倍ではなく、4倍になった、そうしたことを願いましょう。もちろん、その40という数は、単なる救われる人々がそれだけ与えられたというだけでなく、誠に地域になくてはならない教会になった、いろいろと課題を抱えて弱り果てている人々の支えにもなった、誠にイエス・キリストの教会になった、そういう内実も含めてのことであります。二つの場所、二つの建物が合わさって、そういうことが可能になるのです。
 二つのものを一つにして、建ててくださる。それは、主御自身が建ててくださる、そのことが私たちには唯一の頼みなのであります。


平良師

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