平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2008年3月23日 復活のキリストに呼ばれて

2008-05-31 21:37:28 | 2008年
ヨハネ福音書20章1~18節
  復活のキリストに呼ばれて(イースター礼拝)

 ヨハネによる福音書では、復活のイエス様に最初に出会うのは、マグダラのマリアです。このマグダラというのは、ガリラヤ湖西岸の漁港の町の名前でして、マグダラのマリアというときには、マグダラ出身のマリアということですが、そこに住んでいたマリアは、十字架にイエス様がつけられたときに、十字架のすぐそばで他のイエス様の母マリアなど、2,3人の女性たちと一緒に、イエス様を見守っていたとヨハネによる福音書には記されています。

 それ以外のことは、ヨハネによる福音書には、このマグダラのマリアについては、触れられていません。ただ、ルカによる福音書の8章のはじめの方に、短く彼女のお話が出てまいります。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、7つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、その他多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」とあります。

 マグダラのマリアは、七つの悪霊を追い出していただいた女性だったということです。そして、7つというのは、完全数ですから、ほんとうに最強の悪霊の餌食になっていたことがわかります。当時のことですから、その悪霊に苦しめられていたというのが、どのような状況を表していたのかは定かではりません。ただ、彼女を取り巻いている状況が最悪だったこと、精神的にも、ずたずたの状態になっていたことは想像できないことはありません。彼女の悩みや苦しみがいかに深いものであったかがわかるのです。その彼女の悩みと苦しみをイエス様が取り除いてくださったのでした。

 それ以来、マリアは、イエス様一行と行動を共にし、彼女だけでなく、他にも何人かのそうした女性たちがいて、イエス様と弟子たちを助けていたのでした。しかも、こうした女性たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していたのでした。

 マリアは、週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、墓へ行きました。他の福音書では、数人の婦人たちと一緒に墓に行ったことになっているのですが、ヨハネでは、マグダラのマリア一人で、墓にでかけたことになっています。香油を塗りにいったのでしょうか。マリアは、墓の入り口の石が取りのけてあるのを見て、中を見ました。そうしたら、イエス様の遺体がありません。

 マリアは、まず、ペトロのところへ行きました。それから、イエス様が愛されていた、いわゆる愛弟子と呼ばれている人物ですが、そして、この愛弟子と言われる人物が、このヨハネによる福音書を書いたとあとで説明されているのですが、その愛弟子のところへ行って、イエス様の遺体がないことを伝えたのでした。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません」。

 マリアの理解では、誰かが、イエス様の遺体を持ち去ったということでした。そして、その遺体が、どこかに置かれている、早く何とかしないといけない、そう思ったのです。知らせを聞いた、ペトロとその愛弟子は、墓へ急ぎます。そして、実際に、イエス様がいないということを自分の目で見て、話の内容を信じたのでした。

 二人は、まだ、聖書の言葉を理解していなかったのである、とありますから、復活されたということを考えるということもなく、そのまま家に帰っていったと読めるのですが、ただし、8節の「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」という表現には、この愛弟子の方は、ペトロと違って、イエス様が復活されたことを、遺体がないこと、そして、頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所にではなく、丸めてあった、というところから、復活なさったイエス様がご自分でそのようになさったと理解したのか、それらの様子を見て、イエス様の復活を信じたというようにもとれないことはありません。いずれにしても、この二人は、さっさと帰ってしまったのでした。

 そのあと、マリアだけは、墓に残ります。マリアには、イエス様への愛の深さと執着があります。しかし、この場合、そうしたマリアだったからこそ、復活のイエス様に出会うことにもなるのです。マリアは、墓の外で泣いておりました。イエス様は十字架につけられ、あっけなく死んでしまい、遺体までもが、取り去られた、どうなったのだろうと、考えると、とても悲しくなって、泣いていたのでしょう。

 弟子たちは、男たちと言った方がいいでしょうか、あっさりとしたものです。イエス様に心があるのだろうか、と思うほどです。それからしばらくして、ふと、マリアが、墓の中をのぞいてみると、白い衣を着た二人の天使が座っていました。天使たちのなぜ泣いているのか、との問いに、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」。イエス様への気持ちが強まっているのでしょうか、わたしの主が取り去られた、わたしの主と、そのような言い方になっています。

 どこに置かれているのか、わかりません、マリアは、叫ばんばかりに嘆いています。そういって、振り返ると、イエス様が立っておりました。マリアは、それが、イエス様だとは最初気づきません。園丁だと思っていたとあります。

 イエス様は、尋ねられました。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。それで、マリアはこういうのです。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」。ここらのお話は、エマオ途上で、二人の弟子が復活のイエス様に会って、イエス様に自分たちの失望している胸の内を聞いてもらっている場面と似ています。

 イエス様との会話は、前の弟子たちや天使たちへの話しぶりと比べると、かなり強いものになっています。あなたが、運び去ったのですか、わたしが引き取ります、マリアの少々怒りともとれるような強い響きが感じられます。イエス様には、私たちは、ほんとうに甘えられるのです。自分の思いのたけを、ぶつけることができるし、私たちはそうしたくなるのでしょう。

 あのエマオ途上の二人の弟子たちも、共に歩いてくださり、話を聞かれているイエス様に、夢中になって、自分たちがイエス様をどのように考え、どのようにしたっていたか、そしてそのイエス様の墓が空っぽになっていた不思議な話を初対面のお方に堰を切ったようにして語るのでした。マリアもそうだったのではないでしょうか。イエス様に、イエス様とは知らないで語っていたのでしょうが、つい、熱く語りたくなったのです。あなたが持ち運んだのではないですか、わたしが引き取りますから、早く返してください、そんなニュアンスですね。

 そこでイエス様は「マリア」と呼ばれたのです。そのイエス様の声は、優しく、なつかしい響きを持っていたことでしょう。彼女は、それがすぐにイエス様だとわかりました。マリアは振り向いて、「ラボニ」ヘブライ語で先生という意味の言葉で返事をしたのでした。マリアと普段からイエス様は彼女の名前を呼んでいたのでしょう。いつも言われていた名前の呼び方で、いつもと同じ声の質、抑揚、その声で、イエス様から語りかけられたときに、マリアは、それがイエス様だとはっと気づきました。

 あの、エマオへ向かっていた弟子たちが、イエス様がパンを裂いたときに、その仕草でそれがイエス様であると気づいたように、いつもそうされていたあのイエス様に気づいたのでした。

 イエス様は、マリアに自分に触れないように言われます。それは、まだ、神様のところに上っていないからだということでした。そして、イエス様は、マリアに「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへ、わたしは上る」と弟子たちのところへ行って伝えなさいと言われたのです。そこでマリアは、弟子たちのところへ行き「わたしは主を見ました」と伝え、また、イエス様が、告げるようにと言われていた内容を伝えました。

 マリアが、イエス様だと気づいたとき、触れてはならないと言われました。これは、エマオ途上の弟子たちが、自分たちが道中でひっしに語りかけていたその人が、同じ宿をとり、そこで、パンを裂いたときにそれがイエス様だとわかったとたんに、イエス様のお姿が見えなくなってしまった、そのことと似ています。復活のイエス様は、それまでとは違う接し方を私たちに要求しているということは言えるのでしょう。復活のイエス様には、この世の人々と同じような接し方では接せられないということです。

 そして、イエス様の復活を最初に、他者に、ここでは弟子たちにでしたが、告げ知らせたのは、ヨヘネによる福音書においては、マグダラのマリアだったことになります。彼女がイエス様から、復活の主を告げ知らせるように派遣されたのです。彼女は、見たので、イエス様を見ました、「わたしは主を見ました」と伝えました。

 ところで、私たちは、復活のイエス様をどのように伝えたらよいのでしょうか。復活なさったことをどのような手立てで、或いは、言葉で他者に伝えていったらよいのでしょうか。私たちは、復活のイエス様を、マリアが見たようには、見たわけではありません。しかし、この復活のイエス様から生かされているのは、確かなのであります。そして、私たちは今、復活のイエス様と確かに会っているのです。このイエス様が共に歩んでくださっているのです。

 小野保兄が、愛されていた讃美歌というので新生讃美歌244を葬儀で歌いました。この1節などがまさに、今、復活の主が共におられることを表しているものだと言えます。「救い主にぞ、われは仕えん。主はいま生きて、この世にあり、あたたかきみ手、優しき声、わがかたわらに、あるなり、主は生く、今日も共に、語らい歩みて、われを助く、主は生く、救いの主、われ知る主は生く、わが心に」。

 私たちは、聖書の中に、復活のイエス様をみることができます。復活のイエス様とお会いできるのです。それは、福音書の中に描かれているイエス様のお姿をたどりながら、そのお姿、お言葉を心のうちにとめるのです。マルコによる福音書は、婦人たちに、天使が、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる、と」、マルコによる福音書のもともとの形はここで終わっていたと言われています。

 つまり、あのガリラヤで復活のイエス様に出会える、もう一度、あそこへもどりなさい、あそこに復活のイエスはおられる、と言ったというのです。ガリラヤというのは、イエス様がいきいきと神の国を宣べ伝え、病を癒やし、奇跡をされた、そのような場所でした。もう一度、聖書にもどるように、というのがこのマルコのメッセージだというのです。

 そのイエス様は生きておられるのです。私たちの心の中で、聖書のあの場面、あの場面、たえず、語り、たえず、行為している、そうしたイエス様なのです。しかし、それは、決して過去の中にイエス様を押し留めようとすることではありません。イエス様とわかったとたんに見えなくなった、イエス様に触れてはならない、それまでのイエス様との接し方をゆるさないというのは、そういうことではないでしょうか。

 それは、聖書の中のイエス様のお姿が、今生きる私たちの生活の場の状況に、投影されて、その主に従おうとしたり、励まされたり、慰めを得たり、勇気をいただいたりするのです。前に前に、私たちを押し出していかれるのです。なつかしいという、その時点に留まることはないのです。

 もう一つの復活のイエス様は、生前のイエス様のお姿というわけではありません。パウロが、キリスト者たちを迫害しようとしてダマスコヘ向かっていたときに、「どうして私を迫害するのか」と語りかけられたように、霊として働かれるイエス様です。あのときのパウロは、声だけが聞こえていた、と言いますが、私たちには、おそらくその声も、実際に耳に出来るものではないでしょう。心の内に聞こえる声でしょう。

 その声の主は、いま私たちの人生の旅の途上で、そのときそのときに出あわれるイエス様です。否、いつも共にいてくださって、守り、導いておられるイエス様です。優しく名前を呼んでくださり、道々、語りかけられる、そのようなお方です。弟子たちを宣教へと遣わした聖霊としてのイエス様であるという言い方もできるでしょう。

 ですから、わたしたちは、聖書の中のイエス様を語ることで、復活のイエス様を語ることもできます。また、今のわたしに働きかけてくださっているイエス様を語ることで、復活のイエス様を語ることもできるでしょう。両方のイエス様を語ることがもっともよいことなのかもしれません。

 しかし、主は生きておられるということを知った人は、否、知らされた人は、宣教に遣わされるようになる、これは、誰に対しても言えることではないでしょうか。

 復活のイエス様は、マリアを最初の宣教者として遣わされました。「マリア」と優しく慈しみに富む主の声を、つまり、それぞれの名を呼んでくださるその声を、キリスト者たちは、それぞれに聞いたはずであります。復活のイエス様に出会ったという喜びは、私たちを宣教へと駆り立てるのです。「わたしは主を見ました」、復活のイエス・キリストに出会わされました。

 イースター(復活祭)のこの日、私たちは、声高らかに、そう語っていこうではありませんか。否、私たちが復活の主を語るときが、すなわち、天の国では、イースターの喜びがわきあふれるときである、そう言えるのでしょう。


平良師

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