平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2011年11月6日 神様の歴史への参与

2012-02-22 18:54:08 | 2011年
申命記34章1~12節
神様の歴史への参与


 モーセは、エジプトの地よりイスラエルの民を導き出して以来、40年もの間、荒野の放浪の旅を続け、いよいよ神様の示す目的の地にたどりつこうとしていました。ところが、神様は、モーセに約束のカナンの地に入ることをお許しになりませんでした。それは、かつて、モーセが、荒野において、水を求め、つぶやくイスラエルの民をしっかりと教え諭すことができず、それだけでなく、そのときに神様の聖なる御名を汚すようなまねをモーセ自身もしたことがあり、そのために、神様の怒りを招いたからでした。
 そのことが、直接には、彼が約束の地に入ることができなくなった原因でした。しかし、そうでなくても、彼は、このときすでに120歳となっていました。ヨルダン川を渡って、約束の地に足を踏み入れたならば、すでにその土地に住んでいる人々と摩擦が生じるのは、目に見えておりました。人が住んでいないところへ行くのではありませんから、そこでは、さらに、かなりのエネルギーが必要となります。モーセは、そのことを成し遂げるためには、あまりにも年を取りすぎていたのでしょうか。神様のご配慮が、そこにはあったのかもしれません。
 しかし、モーセについては、このように書かれています。「モーセが死んだとき120歳であったが、目はかすまず、活力も失せてはいなかった」。ですから、モーセは、まだまだやろうと思えばできる人ではありました。しかし、それは許されぬことだったのです。そして、モーセの後を継いで、指導者として立ち、イスラエルの民を率いて、ヨルダン川を渡り、約束の地に導いていくのは、ヨシュアということになっておりました。
 神様は、モーセに、あなたは、約束の地に入ることはできないと告げられました。モーセは、申命記の3章25節で、次のように言っています。「どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください」。
 このとき、神様はこのように言われたというのです。「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。」
 モーセは、イスラエルの人々をエジプトの地から導き出し、それから40年もの間、彼らの指導者として、働きました。彼の目的は、いつの日か、神様の約束の地に、このイスラエルの人々を導き入れることでした。そのただ一つの目的のために、彼は、荒野の旅を忍耐し、それも、いつも大勢の人々から苦情や非難を受けつつも、それに対応しながら、神様との間にたってなす、ほんとうに骨の折れる仕事をなしたのでした。
 ところが、彼には、約束の地に入ることは許されないのです。
 実に厳しいお話です。モーセは、自分の楽しみのために生きた人ではありませんでした。お金儲けのために、人生を過ごした人でもありませんでした。80歳になったときに、明確な使命が与えられました。奴隷状態のなかで、過酷な労働を強いられて、あえぎ神様に助けを求めていたイスラエルの人々を救い出すように、そのための指導者として立つようにとの招きを受けて、彼はその任に就いたのでした。
 ファラオとの交渉は、幾度も続きました。神様の大いなる御業をみて、すぐにでも解放するだろうというのはとても甘いことで、ファラオは頑なに解放することを拒否するのでした。そうしたファラオとの対立をはじめ、イスラエルの人々の度重なる不平不満に対応していかねばなりませんでした。その都度、神様に問い、願い、そのたりないものを満たしていただきました。
 自由を得られ、食べ物は与えられても、水の問題など、荒野の厳しい、いつ終るともわからない旅は続いていくのでした。旅する途中で、出会う国や民族との争いもありました。何のために、放浪の旅を続けているのか、それは、約束の地に入るための旅であったことは間違いありません。
 しかし、この旅の目的は、もう一つあったのではないでしょうか。それは、この40年もの長い厳しい放浪の旅を通して、神様にのみ従うことを教えられ、また、神様が、イスラエルの民を養うお方であることを知ることになったのです。この重要な歴史の一こまに、モーセは、指導者として立てられ、彼らを導く務めを負わされました。彼の務めは、ここまででした。その旅が終ってから後のことは、ヨシュアに委託されたのでした。
 モーセは、120歳になっておりましたが、目はかすむこともなく、活力もうせてはいなかったのです。やろうと思えば、できないことはありませんでした。だから、まだ、やらせてください、わたしもヨルダン川を渡り、カナンの地に行きたいと思います、と言いましたが、それは叶えられることはありませんでした。
 モーセは、自分こそは、その権利を十分に持っている、そう思わなかったでしょうか。少なくとも、ここまで、来られたのは、神様の恵みとお導きによるのは当然であるけれども、遣わされた自分の働きもまったくなかったとは言えないではないか、そう思うことはなかったのでしょうか。
 私たちの中には、自分の人生に設計図をもっている方がおられます。ここに集われている皆さんの中にもおられることでしょう。これこれのことを学ぶためにこのような学校に進んで、それから、こういう仕事に就いて、それから、何歳くらいで結婚して、何歳の頃に自分の家を造って、など、続きます。さすがに、何歳で天に召されて、これは、思うようにはまいりません。しかし、他のことは、計画どおりに行く方も中にはいるかもしれません。でも、多くは、計画していたようには、事は進まないわけです。
 私も鹿児島で教職に就くということは叶えられませんでした。もしその願いが叶えられておりましたら、おそらくわたしはここにいなかったでしょう。しかし、福岡に出てくることになって、そこで、色々な出会いをいただいて、最終的には、神様からの召命をいただくことになって、それに従うという形で西南学院大学の神学部に行き、山梨教会からの招聘をいただき牧師とさせられて11年間、富士吉田伝道所、富士吉田バプテスト教会で働かせてもらい、平尾バプテスト教会からのお招きをいただいて、9年目を迎えているのです。
 すべてにわたり、神様のお恵みとお導きがあってのことだと思います。富士吉田では、8年での教会組織が一つの目標でした。神様は、それを成し遂げてくださいました。平尾教会では、開かれた教会という以外は、とりたてた具体的な目標が示されていたわけではありませんでした。
 しかし、思い返せば、来年度から始まる大名での新たなる伝道活動に至る準備が、開かれた教会を造っていくなかで、着々と進められていたのだなあ、と思わないわけにはまいりません。これまで平尾教会で繰り広げられてきた神様の御業を思わされるのであります。しかし、今日の聖書の箇所からは、行け、というときと、行くなというときと、ここまで、というとき、そうした大切な時があることはわかります。
 来年度、新しい建物が建ち、そこでなされる伝道活動が、いかに多彩で豊かなものになるか、地域だけでなく、他の諸教会や各種団体にも用いられ、福音宣教がいろいろな方向から展開されていくでしょう。
 否、そのような場所になるように、私たちは神様に祈り、神様から知恵をいただかなくてはなりません。ある意味では、ヨルダン川を渡って、約束の地に導かれるイスラエルのようなものです。これからは、ヨシュアに期待されたように強く雄雄しいタッフが新たに必要になるかもしれません。
 神様のつかさどる歴史があります。その歴史は、地球規模のものもあれば、一国家の歴史もあるでしょう。地域の歴史、一族の歴史、個人の歴史もあります。また、ある物や事項についての歴史もあるでしょう。教会の歴史もあるのです。しかし、それらの歴史全体を大きいものから小さいものまで、支配しておられるのは神様です。神様が、歴史をつかさどっておられます。
 私たちの人生は、私たちの意志を超えて、この神様の目的のなかで、動いていくことになります。なぜ、それが、今なのか、私たちの思いと神様の御心が異なることは多々あります。私の人生設計においては、これからが、いよいよ楽しい人生のときの始まりであって、言わば、これまでは、そのための準備のときと言ってもよいようなものであった、と捉えていたとしても、神様は、ここまでが、言わば、神様とあなたの関係をしっかりと紡ぐ重要なときであって、これからは、付録のようなもです、と言われるかもしれません。或いは、これからと思っていた部分の前で、私たちのときは終ることになっているかもしれないのです。それは、誰にもわかりません。
 私たちは、人数に広がりが生まれてきた段階で、この平尾で二部礼拝、面責拡張などを検討しました。そして、礼拝堂に入りきれない方々は、多目的ルームで、映像をとおして、一緒に礼拝を守る道が示され、それを選んだのでした。大名は、神様から与えられたとしか言いようのない形で、群れの広がりという延長線上に浮上したヴィジョンだと言えるでしょう。大名は、私たちには、新しい世界であって、多くのチャレンジを歓迎できる場所となるでしょう。
 モーセが、ピスガのいただきで、まだ足は踏み入れてはいないけれども、広大な土地を見させたように、私たちもまた、大名や天神の町並みを見渡しながら、そこでなされるであろう、いろいろな活動の可能性を今見ているのです。しかし、私たちは、モーセではありません。こぞってヨルダン川を渡っていけるのではありませんか。
 新しい指導者となるヨシュアは、知恵の霊に満ちていた、と聖書には書かれてあります。大名ではさらに知恵が必要です。知恵の霊に満たされることが必要となるのではないでしょうか。
 しかし、今日の聖書の箇所のポイントは、モーセであります。つまり、歴史を司る神様は、私たちを必要に応じて、用いられるということです。モーセの思いの実現などは、神様のご計画の前では、何の意味もありませんでした。自分もヨルダン川を渡って約束の地に行きたいと言ったモーセに、神様は、そのことを二度と口にしないようにと、びしっと言われたのでした。神様がなさろうとされることだけが、実現していくことになります。
 モーセは、約束の地をピスガの山頂から見渡して、口惜しい気持ちがしたでしょうか。彼は、満足ではなかったでしょうか。ここまで来たのです。彼は、これからの歩みをヨシュアに託そうときっと思ったはずであります。「モーセが死んだとき、120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」のでした。
 できなくなったから、これで御仕舞いという場合もありますが、モーセの場合のように、まだできるけれども、神様のご意志によって、これであなたの仕事は終わりました、ということもあります。そして、神様のご計画だけが、先に進んでいくのです。その歴史に参与させていだく、これこそが、光栄なことであり、私たちの喜びではありませんか。
 大名のヴィジョンにかかわれることを私たちは喜びましょう。この大名での歴史の始まりに、私たちが、着手させていただいことを光栄に思い、喜んで歩みを共に致しましょう。あなたの働きはそこまで、と言われるそのときまで、私たちは、目標を定め、つまり、大名における若者をはじめとするいろいろな大勢の方々の救いを見られるようになるまで、この大名の歴史に参与させていただきましょう。
 たとえ、もし、私たちの生きている間に、大きな実りを見ることはできなくても、神様のご計画であるならば、教会の業は続きます。神様の創造なさる歴史は続くのです。誰かが、用いられて、私たちの働きを継いで言ってくれるのです。神様が、そのような人々を次から次に起されるのです。ですから安心です。私たちは、私たちに与えられたこのときを精一杯、神様のために、仕えていくことに致しましょう。


平良師

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