使徒言行録12章1~17節
教会の熱心な祈りの中で
今日のお話に登場してくるヘロデ王は、生まれたばかりのイエス様を殺害しようとしたあのヘロデ・アンティアパスではなく、その孫にあたるヘロデ・アグリッパ1世です。彼は、ローマ側にも幾人かの有力な知人がいたらしく、彼の時代にそれまでローマの属国になっていたユダヤが、一時期解放されることになりました。そのような彼でしたから、ユダヤ人たちからは、結構した . . . 本文を読む
使徒言行録10章9~23節
福音のためなら
ペトロが見た幻は、実に薄気味悪いものでした。天から布のような入れ物がつるされてきて、その中には、あらゆる動物が入っていました。地を這う物、ですからヘビやトカゲなどのハ虫類でしょうか。それから空の鳥もおりました。そして、声がして、「ペトロ、身を起し、屠って食べなさい」というのです。
ペトロは、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ . . . 本文を読む
使徒言行録9章1~19節
主の用いられる器
神様、イエス様に用いられる私たちは、自分たちの評価をいったい、どのような形で、神様が、イエス様がなさったのかを知りません。この世においては、私たちがどこかの学校に入るときには、そこに定員なり、資格のようなものが求められるときには、何かの基準があります。そして、その基準に照らして、入学が受け入れられるのです。また、何かの仕事に就く場合、採用されるにあた . . . 本文を読む
使徒言行録3章1~10節
わたしが持っているもの
ペトロとヨハネは、まだ、ユダヤ教の慣習の中で生きています。というのも、午後3時の祈りの時に神殿に上って行ったとあるからです。このときはまだ、キリスト教として、はっきりとしたものが確立していたわけでもなく、ユダヤ教からキリスト教に移行する、ちょうどその途中にありました。少しずつ、少しずつ、キリスト教の大事にしていることやユダヤ教との違いが、はっ . . . 本文を読む
ルカによる福音書19章28~40節
讃美すべき方
日本社会には、私たちが褒め称えたくなる人は、数限りなくいます。世界中ということになりますと、これまた膨大な数にのぼります。褒め称えられる人々は、世のため、人のために何かをなしえた人々です。身近にいる方々の中にも、賞賛したくなるような、いわゆる立派な人は、いくらでもいます。ただし、よく考えてみますと、誰からも賞賛されるかどうか、ということになりま . . . 本文を読む
(会堂記念日礼拝)
ルカによる福音書17章11~19節
恵みへの応答
私たちは、神様から一方的な恵みをいただいています。一方的というのは、こちら側が何かしたので、それに報いる形で恵みがあるとかではないということです。何らの条件もなしに恵みをいただいているということです。このお話も、わたしたちを憐れんでください、という重い皮膚病を患っていた者たちの願いにイエス様が、お応えになられたのですが、そこ . . . 本文を読む
ルカによる福音書16章19~31節
真実に聖書に耳を傾ける
このたとえ話は、私たちに天国と地獄のイメージを鮮明にさせるものであると、考える人もいるでしょう。或いは、生前によい行いをしていないと地獄に落ちる、特に、貧しい人々や弱っている人々には親切にしておくことが必要だ、そう考える人もおられるでしょう。あるいは、この世で、富んでいた者、よいものを得ていた者は、地獄におち、この世では貧しかっ . . . 本文を読む
ルカによる福音書10章38~42節
良い方を選ぶ
つぶやきは、誰の人生にも必ずといっていいほど生じます。つぶやいたことなど、一度もないという人は、よほどの悪い人です。つまり、その人は、我慢したこと、忍耐をしたことなど一度もないに違いありません。つぶやきの多くは、不当な苦しみを与えられ、それを我慢したり、忍耐させられたときに、それに耐えられなくなって起こります。つぶやきは、不当な扱いをされたとき . . . 本文を読む
ルカによる福音書9章10~17節
あなたがたが食べ物を与えなさい
イエス様は、弟子の12人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになられました。そして、彼らは、神の国を宣べ伝え、病気をいやすために、近隣の町や村に遣わされたのでした。6節には、「12人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした」とあります。そして、10節に . . . 本文を読む
ルカによる福音書2章41~52節
新しきキリストの宮
新しい年の初めは、イエス様が、12歳のときに神殿の境内で、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられるのを両親が見つけて、驚いたという物語から始まります。
2012年は、新しい平尾教会の伝道のための建物が建つ年となります。それで、私も、釣りを若干断つ覚悟をしなければならないかもしれません。そして、私たちは、信仰者として、さ . . . 本文を読む