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行雲流水

2015-07-20 15:58:50 | 日記
 雨の朝  ほととぎす声  目を覚ます

        大地に埋めし   種子や生きずく



                   ひのひら  ろくべえ







   雲は行く、水は流れる。人間の生きざまを例えた言葉だろうが、自分が対人援助職

  に就いたころ、若い時だが自分の理想として、空気みたいな存在になりたいと思って

  いたころがあった。若気の至りとでもいうか、世間を知らないとでも言うか、自分を

  知らないとでも言うか、大胆なことを理想としていたことを今になって知ることとな

  る。なりたくてもなれない自然体、その代表的な言葉の一つが「行雲流水」ではない

  だろうか。対人援助職は自分を偽って、仕事だからと我慢していい恰好しても、その

  ことは、すぐに見破られてしまい。本当の意味の信頼関係は築けない。大切なのは、

  ありのままの自分を日々表現して、自分の姿を知ってもらうことが、とても大切なこ

  と、万人に好かれることではなく、一人の人でも信頼を築くことが大切なのである。

  いい人になることは簡単でも、本当の自分の姿を曝すのは大変である。日々の人間と

  しての修行がないと、なかなか姿を曝すことができない。そうなると自分的にも我慢

  してしまい、自分にもストレスを蓄積してしまい。メンタルコンデションを崩してし

  まう事になってしまう。このことが対人援助職の難しいところなのかもしれない。

  着飾るのでなく、裸になる、その奥に「行雲流水」の真の姿があるのかもしれない。

  いい人はではなく、信頼される人を目指したいものである。

自由闊達

2015-07-17 16:08:16 | 日記
  青空と  爽やかき風   夢心地

         嵐過ぎ去り   明日の予定か


          
      ひのひら  ろくべえ      





  対人援助という職業はなんといっても、その援助活動の中で問われることは、人間力

 であろう。この抽象的な人間力が最も大切であり、利用者様から問われることなのである。

 この人間力の中で、自由闊達な態度というものが信頼を得るために物を言う。自由闊達と

 は、心が広く、物事にこだわらず、のびのびとしていて、物事にこだわらない様子という

 事らしい。人とかかわる時、自分の価値観でなく、相手の価値観を受け入れたり、寛容に

 受け止める力、それが人間力と言うものではないだろうか。コミュニケーションの技術に

 アサーションというのがあるが、相手に添って、相手を受け入れ、認めたうえで、自分も

 受け入れてもらう、認めてもらうという事なのだが、自分が先に相手を認め、受け入れ、

 相手に添う気持ちを持つことが大切なのであろう。そのことが相手に伝われば、相手も必

 ずや、同じように対処してくれるに違いない。そう信じる力もまた人間力なのではないだ

 ろうか。人間力を磨いて、プロの対人援助職者になりたいものである。

  自由闊達を胸の奥に持ち、援助活動をしたいものである。

八方塞

2015-07-15 15:41:21 | 日記



  久方の  青空覆う  野里かな


         白雲走る  青葉縁側



                   ひのひら  ろくべえ




   人との関係はうまく行かなくなると、もうダメ八方塞などの言葉が、頭を過ぎり

  ますますダメな関係になって行くことが多くある。小説家の吉川英治の言葉に、こ

  んなのがある。「行き詰まりは、展開の一歩である」なるほどである。前向きなか

  かわりがあるからこそ、行き詰まるのであって、消極的なかかわりであれば、行き

  詰まる事もなければ、学びもない状態であろう。

   行き詰まったことを、大切に考えることができるならば、それは次に躍進できる

  手掛かりとなるはずである。とかくコミュニケーションは自分の問題でなく相手の

  問題とすることが多いが、そうではなく、自分の問題と捉え、次の展開を導き出す

  そんな思考経路が必要なのではないだろうか。

   対人援助の場は、一度に多くの人とかかわることが多い、一人の人とのかかわり

  が、うまく行かなくなると、すべての人とのかかわりが、うまく行かなくなること

  は、よくある。そんあ時、この言葉を思い浮かべてほしいものである。

  「行き詰まりは、展開の一歩である」

  成長というものはこのような、考え方、思考の中に埋もれているのかもしれない。

  そのことに早く気づき、苦しむのではなく、楽しみ成長の糧にしてほしいものであ

  る。八方塞は、成長している、前向きに生きている証拠、そのことを心に置いて、

  対人援助職に誇りと自信を持ってほしいものである。


帰りたい

2015-07-08 15:42:22 | 日記
 久方の  光届きて  汗ばみて
  
           初夏の味わい  胸や膨らむ

                    ひのひら  ろくべえ





   認知症の周辺症状に、帰宅願望が強い人が多くいる。この帰宅願望は介護する者

  にとっては、対応に苦慮する一つの症状であろう。帰りたいと訴え、一晩中歩き回

  る。昼間も帰りたいと施設の出口を探し回る。独りでに施設を出て行くなどの行為

  を繰り返す。家族や介護者はその対応にふりまわされることも、しばしばであろう

  振り回されるが故に、その本を質が見えない時がある。そんな時は、制限したり、

  行動規制をする方向になる。気をつけたいものである。大切なのはその本質を解

  ろうとして、かかわることではないだろうか。共通課題として生物が本来持って

  いる帰巣本能との関係である。帰巣本能とは生物、人間や哺乳類、鳥類、魚類、

  昆虫類など、多くの動物が、以前住んでいた場所、生まれた場所、生活を多くし

  ていた場所、などに本能的に変えるという習性を言ううらしい。この習性は人間

  にも備わっていて、知的コントロールが困難になると、その本能のままに行動をと

  り始める。だから周りの人が、いくら言葉で説明説得しても通じない。通じないば

  かりか、相手を不愉快にさせてしまう。そんな状況下でも、相手のためにと家族や

  介護者はかかわり続けている。しかしこのかかわりが、相手に届かない表面的なか

  かわりとなってしまえば、不愉快な存在となってしまう。そうならないためには、

  時間をかけて、相手の思いを理解しようとする姿勢を持ち、相手と共に生活する

  意識を高め、共に行動し、自ら不自然さを感じてもらう事に努力できたらいいの

  ではないだろうか。介護者の価値観でなく、相手の人の価値観を受け入れるエネ

  ルギーを持ち合わせたいものである。帰りたい、帰りたい。解りたい、解りたい。
  

てげてげ

2015-07-06 15:16:59 | 日記

 
    長雨や  カビ忍び寄る  胸の奥

             やる気なくして  ごろごろ暮らす
  


                       ひのひら  ろくべえ






   九州鹿児島は、一か月以上雨ばかり、心を病むほどの雨の影響、長い人生の間でも

  経験したことのない長雨、ところどころ地盤が緩み、少しずつ、あるいは大きく、崩

  れ被害をもたらしている。南の海上には三つの台風が、窺っている。まだまだ雨の日

  が続きそうである。天候の神様(てげてげ)にしてくださいと祈りたいほどである。

  極端な気候となった背景はいろいろあるだろうが、それはさておき、この長雨から学

  ぶべきことは、如何なるものでも(てげてげ)がいいという事を教えてくれる。雨は

  必要なものであるが、過ぎたるは及ばざるが如し、被害を出すほどは必要ない、田畑

  に必要な水もがけ崩れを起こすほどはいらない、欲しくない、適当なほど欲しいので

  ある。鹿児島弁で(てげてげ)いい加減、適当に、おおむね、塩梅良く、可もなく不

  可もなく、というような意味があるそうだが、とても大切な考え方であろう。このよ

  うな考え方を専門的には中庸思想というのだそうだが、今の世の中に欠けているのか

  もしれない。対人援助の場であって援助者の価値観を押し付けたケアをするのでな、

  相手の価値観を取り入れ、自分と相手との価値観を取り入れたケアをすることが大切

  なのではないだろうか。言い換えればてげてげケアという事にもなるのかもしれない

  そのぐらいが、利用者にとっても心地よいケア体験となるのかもしれない。

   良い意味で、(てげてげ)ケアを実行したいものである。