教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

生徒指導主事の仕事を振り返って① 電話の取り次ぎ方にみられる心意気

2011年12月24日 | 生活指導
「先生、電話です。」「要件は?」「分からないですが、生徒指導の先生いてるかって言って怒ってはります。」

こんな形で渡される電話ほど戸惑うものはない。電話を受け取るまでの数秒の間にこの電話は未解決のP事件についての苦情か、学校が把握していない新たな事件についての連絡か、それとも先日蹴散らしたばかりのQ公園でまたまた生徒たちが騒いでいるのか、はたまた先月万引き事件で謝罪したばかりのR商店でまたもや万引き事件が発生したのか、それら事件の性質の差によって微妙に異なる対応の仕方について思いを巡らせながら手を伸ばすのである。

この時、電話応対をした同僚が「先生、Q公園の件について地域の方からのお電話です。」と伝えながら電話を繋いでくれれば、どれだけ嬉しいだろうか。「生徒指導担当者をお呼びしますが、どのようなご要件でしょうか。」同僚のこの一言が、共に生徒指導を担おうとする者の心意気として胸に沁みるのである。

火球~12月9日

2011年12月12日 | 話題
12月9日21時45分頃、大阪の南の空から西に向かって落下する流星(火球)を眺めることができました。世間は皆既月食の話で賑わっていましたが、仕事帰りの路上で思いもかけない幸運に遭遇したのです。

火球はひときわ大きく輝いたと思うと、『すすき花火』のように弾け、十数個の小さな星屑となり闇に消えていきました。その間約3秒。この流星を眺めることができた人は、どれだけいたのでしょうか。

教育基本条例③池田香代子さんのブログより

2011年11月13日 | 教育行政・学校運営
みずから独裁への道の敷石となる者 大阪府教育基本条例案とわたし
ある新聞の記者さんから電話がありました。

「大阪府の教育基本条例案についてお話を伺いたいのですが」

わたしはこうお答えしました。

「ばかばかしすぎて、ちゃんと報道を追ってないのです。ですから、まとまった意見らしいことは申し上げられそうにありません、ごめんなさい」

けれど、電話を切った瞬間、自分の声が澱(おり)のようなものとなって沈んでいき、心のどこかにひっかかりました。それから何日かたったある日、別の新聞社から同じ取材依頼の電話がきました。こんどは受ける気になりました。あの断った取材が気になっていたからです。そして初めて大阪府教育基本条例案を読み、澱の正体がわかった気がしました。

条例案の7割は、いかに「問題教師」を排除するかに文言を割いていました。教育委員会への、敵愾心の表明としか言いようのない文言も目につきます。あとは、上意下達と相互監視を義務づける組織論で、「上司」「部下」という言葉が頻出します。そこからは、子どもの育ちと学びをいかに支えるか、といった教育の理念は読み取れません。

一般に前文とは、その法律の理念を高らかにうたうものでしょう。ところが、この条例案の前文は、まるでまざまざと敵を見据えているようなマイナスの情念がその論理を支えています。いわく、教育は民意を受けた議会と首長の主導のもとで行われるべきものなのに、政治が教育の場から遠ざけられてきた結果、好ましくない状況を生んでいる、だから民意を反映させるために、政治が教育に乗り出すのだ…これを最もよく表しているのは、学校の目標は知事が定める、とする第6条でしょう。

この論法に思い出すものがありました。去年の初め、高校授業料無償化から朝鮮学校を除外すべしという声が上がったとき、いちばん声高だった1人が橋下徹大阪府知事でした。その危険性を、わたしはブログのなかで「ハシズム」と呼んでみました(「さむい政治家、世論を煽る 高校無償化と朝鮮学校」)。今、大阪で「反ハシズム」という言葉が躍っていますが、わたしもけっこう早い時期に思いついていたわけです。その言わんとするところは、まず敵を作り、攻撃して喝采を集める、その喝采を「民意」であるとして、「民意に従うのは政治家としてのわたしの務めだ」と大見得を切る、これは独裁者のふるまいだ、ということでした。教基条例案前文は、まさにこの1年半前の論法をそっくりなぞっています。きっと橋下さんご自身が気合いを入れて書いたのでしょう。

わたしはドイツに関わり、ナチス時代の作家、ケストナーの子ども向け作品なども訳しています。当時最も民主的といわれたワイマール憲法のもとでなぜナチスが政権をとったのか、知っているつもりでした。そこでは多くの人びとが、「あんなばかばかしい主張をする連中が政権などとるはずがない」と高をくくったことが、ナチスの政権奪取を助けたのでした。

なのに、それとそっくり同じ反応を、わたしはしていました。大阪府教基条例? ばかばかしい…この軽視、この訳知り顔の無関心が、独裁への道の敷石となるのです。わたしは今、一番目の取材をお断りしたことを恥じ、反省しています。メモを取らなかったので、記者さんのお名前がわからず、困っています。記事の参考にしていただくにはもう遅いでしょうが、せめてお詫びがしたいのです。

大阪府教育基本条例②

2011年10月05日 | 教育行政・学校運営
教育基本条例について      「内田樹の研究室」より(見出しは教育相談員です)
大阪維新の会が教育基本条例の素案をまとめた。知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。その趣旨は基本条例の冒頭に示されている。「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。
《橋下知事の考える「民意」》「教育の政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法(平成18年法律第120号)第14条に規定されているとおり、『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の手出しをできないということではない。」
 ここに貫かれているのは「政治家は選挙で選ばれ、民意を代表しているので、公的な制度の最上位に置かれるべきであり、選挙で選ばれた政治家の選択する政策に反対するものは民意にそむものである」という、いわゆる「政治主導」の考え方である。この「政治主導」という考え方は民主党が政権交代のときに持ち込んだもので、その無残な失敗はこの2年間の経験であきらかになったと思っていたが、どうもそうではなかったようである。2009年9月の総選挙において「民意」は民主党に308議席を与えた。議席占有率は64%。けれども、そのあと失政が続き、政党支持率は2011年8月現在で10%にまで落下した。このあとさらに低下するかも知れない。いま解散総選挙を行った場合、民主党は高い確率で政権を失うだろう。つまり現政権は「民意を代表している」とはすでに言いがたい。けれども、擬制的には「民意を代表している」とみなされている。そうしないと、外交も内政も立ちゆかないからである。
《「民意」の限界》「民意」は極端から極端に急変するが、擬制的には「システム」は惰性を保っている。「民意」と「システム」は違う時間を生きており、違う波動で動いている。これを不条理と思う人もいるかもしれないが、この「ラグ」は制度的に作り込まれたものである。もし「民意」がただちにあらゆる場面で実現されるべきであるというなら、「政治家人気ランキング」を毎日実施して、その日のトップの人間に総理大臣を依嘱するというのがいちばん民意に忠実な統治方法である。けれども、誰が考えても、そのようなめまぐるしい統治者の交代は国益を増大するよりも損なうことの方が多い。
 私たちの社会に存在する制度文物のうちには、そのつどの「民意」を受け入れて即時に制度改変をすることが可能であり、かつその方がよいものもあり、「民意」に応じて、制度改変すべきではないものがある。これまでも繰り返し書いてきた通り、学校教育は惰性のつよい制度であり、また惰性がつよいということが必要な制度であり、軽々に「民意」(すなわち政治イデオロギーと市場の要請とメディアの作り出す世論)に応じて改変すべきものではない。宇沢弘文先生の「社会的共通資本」論によれば、「共同体の存立に必要不可欠のもの」は社会的共通資本と呼ばれ、専門家による専門的な管理運営にゆだねるべきものであって、そこに政治と市場は関与してはならない。
《「民意」から距離を置くべき制度》社会的共通資本の第一は自然環境である。大気、水質、土壌、海洋、河川、湖沼、森林などは人間が生きてゆく上で必須の資源であるので、「政治的に正しい環境論」や「収益率の高い環境利用」といったものに管理をゆだねてはならない。
 第二は社会的インフラストラクチャーである。交通、通信、電力、ガス、上下水道なども社会生活を営む上での基本であり、政権交代のたびに新幹線の停車駅が変わったり、株価が高下するたびにライフラインが動いたり止まったりされては困る。
 第三は制度資本である。司法、医療、教育などがこれに相当する。「裁き」と「癒やし」と「学び」のためのシステム、それなしでは人間集団が機能できない基本的なシステムである。これらの制度の原初的な形態が整備されたのは人類史の黎明期に遡る。忘れてならないのは、国民国家より資本主義経済システムより、司法や医療や学校の方が制度的にはずっと古いということである。
《教育は「民意」から独立しなければならない》だから、学校教育について、これが現在の政治イデオロギーになじみが悪いとか、市場の要請にジャストフィットしていないとかいう理由でクレームをつけるのは、裁判官に向かって「愛国心に富み、伝統文化への造詣の深い被告に対しては量刑を軽くしろ」と命じたり、「刑務所の管理コストがかさむから、執行猶予をふやせ」と要求するのと同じようなナンセンスなのである。
社会的共通資本としての学校の目的はただ一つである。それは「集団を支える成熟したメンバーを再生産する」こと、要するに「大人を作り出す」ことである。これに尽くされる。自余のことはすべて副次的なものに過ぎない。だから、教育制度に改変を試みる場合は、それによって「子供たちを成熟に導く」という目的にどのようなプラスが加算されるか、それだけが適否の基準になる。子供たちの成熟にかかわらないもの、あるいは成熟を阻害するものを、学校は受け入れるべきではない。これが私の教育論の基本にある判断基準である。その上で維新の会の提言を見る。
《橋下流「愛国心」は敵をあぶりだすための道具》維新の会の提言している一連の教育改革は「効率的な上意下達組織の形成」にある。素案には、「我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること」という基本理念が掲げてあるが、これを書いた人は別に愛国心や郷土愛を高めたいと切実に思っているわけではないだろう。私が経験的に知っているのは、「愛国心」とか「郷土愛」ということをうるさく言う人間に、同胞や同郷者に対する寛大さや愛情の深さできわだつ人間を見たことがない、ということである。彼らはむしろ「愛国心のない人間」や「郷土愛を欠いた人間」をあぶり出して、彼らを攻撃し、排除することの方に興味がある。ほんとうの愛国心というのは、その人間がどんな政治イデオロギーを信じていようが、どんな宗教を信じていようが、どんな道徳律に従っていようが、「同国人である」というただそれだけの理由で「思わず抱きしめたくなる」という感情に依拠しているはずである。そのような身体実感の上にしか、持ち重りのする愛国心は築かれない。
「非国民」とか「売国奴」というようなフレーズを軽々しく口にする人間は、同胞の数を減らすこと、つまり彼らの愛国心発露の機会を減らすことに熱心なので、私はそういう人間を「愛国者」には算入しないのである。だから、こんな文言を条例に書き入れたら子供たちの愛国心や郷土愛が高揚するとほんとうに起草した人間が思っているなら、彼の知性にはかなり問題があり、このような条項を書き入れておくことで、学校において「非国民」や「売国奴」のあぶり出しがやりやすくなると思ってそうしているなら、彼は愛国心に大きな問題を抱えている。だが、これはたぶん「ちょっとアリバイ的に書いてみました」というだけの文言で、次の項目ほどには本気で書かれたものではあるまい。
《橋下改革が育てようとする青少年》「グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること」これはまぎれもなく、彼らのかなり切実な「本音」である。平たく言えば、「金を儲けさせてくれる人間」がもっと欲しいということである。企業にたくさんの収益をもたらし、かつ劣悪な労働条件に耐える「人材」に対する欲求は彼らにおいて(そして、一部の府民にとっても)きわめて切実である。「愛国心や郷土愛」は、たぶん、そのようなハードワーカーたちに「気合い」を入れるためのイデオロギー「小道具」に過ぎないのであろう。だが、私はこのような功利的なマインドで教育を語ることには反対である。その所以を述べる。
《子どもの学力低下をもたらした仲間を蹴落とす功利主義教育》ここ30年、子供たちの学力はとめどなく劣化してきた。この事実に異議のある人はいないだろう。同年齢集団を東アジア諸国と比べた場合、日本の子供たちの「社会的向上心」はすでにはるか下位に位置づけられる。修身斉家治国平天下というような大ぶりな目標を掲げて生きている子供は私たちのまわりにはもうほとんど存在しない。「国を背負って立つ」というような気概を持つ子供がいたら、現在の学校環境では気味悪がられるだけだろう。イジメの対象になるかも知れない。残念ながら、今の日本の教育がここまで劣化したのは、維新の会のかたがたが考えているように、「民の力」が教育行政に及んでいないからではない。及びすぎたせいである。子供たちは、いま学校の教師からも親からも塾の教師からもメディアからも、勉強するのは、自己利益の増大のためだと教えられている。同学齢集団の仲間を蹴落として、相対的な優位に立てば、社会資源の分配において有利になると教えられている。いい大学に行き、いい企業に入り、いい地位に就き、いい年収を獲得するために勉強するのだと教えられている。それが常識だと思う人もいるかも知れないが、これは一つのイデオロギーである。私たちの社会において支配的になったイデオロギーである。そして、このイデオロギーは、そのような単純な思考と規格化された欲望をもつ労働主体と消費主体の大量供給を切望するマーケットの要請によって生まれたものである。
 この教育観の中には「子供を、いずれ共同体を支えることのできる成熟した公民たらしめる」という教育目的はまったく含まれていない。「公民」というのは「公共の福利を自己利益よりも優先的に配慮する人間」のことである。これは形成することのきわめて困難な社会的存在である。マルクスはかつて「公民」(citoyen)を「類的存在」と呼んだ。孔子は「仁者」と呼んだ。求めて得がたいものであるが、そのようなふるまいをする人物が一定数供給されないと、社会集団は維持しがたい。そのために学校はある。自己利益を専一的に求める人間(マルクスの言う「私人」)を作り出したいなら、学校はもとより不要のものである。学校に限らず、あらゆる制度資本は不要のものである。
《学びの場を崩壊させた弱肉強食主義》弱肉強食ルールで、欲しいものはすべて力のあるものが占有できるという社会なら「裁き」は要らない。けがをしたり病気をしたりするのは自己責任だから、不運にも心身の能力を損なわれたものは野垂れ死にしろという社会に「癒やし」のシステムは要らない。同じように、仲間をおしのけて、自分だけ社会的資源の有利な配分にありつきたいと思う人間だけでいいなら、「学び」の場は要らない。
 学校は自分は「公民」あるいは「大人」にならなければならないという責務の感覚を(一部の)個人のうちに扶植するための装置である。一定数の「大人」が存在しないと社会は維持しがたいから、「大人」は制度的に作り出さなければならないのである。そして、政治イデオロギーと市場は「大人の育成」にもっとも不向きなものなのである。政治イデオロギーは(維新の会が典型的にそうであるように)徹底的な上意下達の組織を作り上げ、すべての社会成員が上位者の顔色をうかがい、報償を求め、処罰を恐れる「うつろな人」(hollow men)であることを願う。
《資本の言うグローバル化は世界的規模での労働条件切り下げ》グローバル資本主義は、すべての労働主体に対して、同じような能力を備え、それゆえ容易に査定可能、格付け可能であることを求める(そうすれば労働条件を限りなく切り下げることができるからである)。同時に、消費主体としての社会成員に対しては、同じような欲望をもち、同じようなライフスタイルを送り、それゆえ市場が用意する同一商品にあらそって群がる人間であることを求める(そうすれば最低のコストで最高の利益を上げることができるからである)。政治イデオロギーも市場も、どちらも社会成員の知性的・情緒的成熟を求めない。社会成員が幼児的であり、利己的であり、模倣的であり、「うつろ」であることはそうでない場合よりも政治家と資本家に多くの利益をもたらすからである。
《拙速な政治と市場は教育には有害》政治と市場は子供たちに「成熟しないこと」を要求する。学校に政治と市場を介入させてはならないと私が言うのはそのためである。別に政治や市場が本質的に邪悪であるとか有害であるとか言っているわけではない。政治と市場は社会成員の成熟を望まない。それは先方の事情であって、私がとやかく言う筋のものではない。どうしてもそうしたいというなら、そうされればよい。私はただ「お願いだから、学校にはこれ以上入り込まないで欲しい」と懇願しているのである。このまま政治と市場の介入が進めば、学校の本質的機能は遠からず回復不能なまでに破壊されてしまうだろう。だが、「大人」を作り出す制度を失えば、そのときには、共同体そのものが壊滅してしまうのである。政治が支配する相手も、市場が収奪する相手もそのときにはもういないのである。それでは政治家のみなさんもビジネスマンのみなさんもお困りになるだろうから、みなさんの明日のたずきのためにも、司法と医療と学校には口を出さない方がよろしいですよと申し上げているのである。

大阪府教育基本条例

2011年10月03日 | 教育行政・学校運営
橋下知事の提案した教育基本条例について朝日新聞の報道と、神戸女学院大学の内田樹さんの意見を紹介します。
①朝日新聞報道(9月16日)
大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の9月議会に提出を予定している「教育基本条例案」について、16日に開かれた定例の大阪府教育委員会会議で異論が噴出。なかでも「百ます計算」で知られ、学力向上を掲げる橋下知事の要請で教育委員に就任した陰山英男委員が、教員の管理を強化すれば現場がよくなるという発想は根本から間違っているとして、「(可決されれば)辞めますよ」などと激しく反発した。 約90分の話し合いのうち、大半を条例への反発と疑問が占めた。 特に異論が相次いだのが、一定の比率の教員に最低評価を行わなければならないなどと定めた管理強化の規定。陰山委員は「あの先生を辞めさせたいといういじめが始まる」「評価者の方向ばかり向く教員や、一部の保護者とつるむ教員も出てきます。(現場は)むちゃくちゃになりますよ」などと反対理由を述べ、「これで学力が上がりますか、先生のやる気が上がりますか」と訴えた。

同窓会のご案内

2011年08月10日 | 話題
22期生の皆さん。1971年3月の卒業から40年という月日が流れました。高度経済成長の真っ只中で生まれた私たちは、千里万博の年に中学3年生となり、タイガースが解散コンサートを行なった1971年に○中を巣立ちました。15年という人生しか経験していなかった私たちには、21世紀がどんな世界になるのか、40年後の私たちがどんな人生を送っているのか、十分に考えることもできなかったことと思います。前回お約束した4年後の同窓会という約束は守れず、5年が経ってしまいましたが、五十路の半ばを過ぎた顔を久しぶりに披露し合いましょう。

非常ベルへの対応

2011年05月20日 | 生活指導
《位置づけ》
1.非常ベルが鳴るということは、「誰かが命にかかわる非常事態が起きた、または起きようとしていることを連絡しようとしている」という認識を職員および生徒全員が持つ
※非常事態=火災・事故・事件・または生徒職員が何らかの助けを求めている場合が考えられる
2.非常ベルが鳴れば、どんな場合も臨機応変の対応が職員および生徒全員がとれるようにする
3.以上を踏まえ非常ベルへのイタズラを無くすとともに、互いの安全と命を尊重する姿勢を養う

《対応マニュアル》
01 非常ベルが鳴る
02 職員室で非常ベルの鳴った場所を確認する
03 a放送指示する職員(全体指揮)を決め緊急放送を行なう
   「全校生徒の皆さんに連絡します。ただいま○館○階○前の警報が作動しました。生徒の皆さんは静かに放送の指示を待って下さい。非常ベルを押した者はすぐに職員室に連絡して下さい。」(2回繰り返す)
    全体指揮は放送終了から時間を計測し2分間待つ(2分は職員室から一番遠い教室から走らず急ぎ足で職員室に来る時間の1分40秒を上回る)
  bその他の職員は携帯電話を持ち現場に駆けつけ①非常事態が生じているのか②非常ベルを鳴らした者を確認し押した理由を確認する③非常ベルを押した者が分からない場合は周囲の者から状況を把握する
  c間違い・あるいは明らかな機械の誤報が把握できた場合→その内容を全体指揮に連絡する
  d非常事態が把握された場合→全体指揮に連絡
   把握できなかった場合→全体指揮に連絡
      └何らかの異常事態が起きていると想定する
04 全体指揮による緊急放送
  c「ただいまの非常ベルは間違いでした。生徒のみなさんは次の(授業・終礼など)の用意をして下さい」
  d「ただいまから避難します。先生方は各ポイントに立ち生徒の避難を誘導して下さい。全校生徒の皆さんは、先生の指示のもとに運動場に避難して下さい」
05 避難開始 全体指揮は時間を計測する
06 避難終了
   生徒指導部から講評
07 避難に要した時間については時間を繰り下げて授業を実施する

《準備》
1.放送マニュアルはマイクの前に貼り付け、誰でも放送できるようにする
2.避難訓練の際にこの方針を生徒に連絡する

新学期に向けて

2011年04月08日 | 学校の話題
【当たり前に春を迎えられるってスゴイ…見えないつながり】4月になり、私は多くの桜を眺めながら○○中に出勤する毎日です。いつまでも寒かった冬が終わり(大阪では珍しく3月下旬になっても雪が降ったね)、春になり、新学期が始まり、皆さんは2年生になり、私は一つ年齢を重ねました。これといった努力をしたわけではないのに、こうして皆さんと再会できたことを、とても凄いことだと思っています。冬が終われば春が来る…当たり前のことと思うかもしれませんが、しかしこの春を迎えることができず、ピリオドを打たされた命がたくさんあったのです。
 3月11日、私は皆さんと一緒に体育館で卒業式の準備をしていました。その作業の最中に地震が起きていたことを何人かの先生から聞きました。でもそのときは、こんなに深刻な事態が進行しているとは知りませんでした。死者行方不明者合わせて2万7343人(4月7日午前10時現在警察庁発表)。この地震による最終的な犠牲者は3万人を越えるとさえ言われています。宮城県や福島県の中には、入学式や始業式の目処すら立たない小中学校もあり、○○中にも被災地からの転校生があったのです。偶然に被災地にいたために命を終えた人がいるということは、偶然に被災地以外の場にいたために救われた命があるということです。その一つひとつが私たちだと思うと、よりお互いを大切にしようと思うのではないでしょうか。皆さんが3月に集めた被災地への募金は256521円でした。見たこともない人達にさえ多くの義援金が届けられたのです。クラスの中で、目の前で困っている人がいれば気軽に手を差し出すことができる、そんな2年生になって下さい。

【ゴールから逆算する】中学校生活も既に三分の一が終わりました。一年生の終わりには2年後の自分への手紙を書きました。2年後とは中学校生活のゴールを迎える時期です。2年生のこの一年を、常にゴールを頭のどこかで意識して生活を送って欲しいと思います。ゴールを目指してドリブルをするものだけがシュートを決めることができます。何も目指していなければ、卒業はゴールでなく単なる出口になってしまいます。二年生になった今、ゴールを意識する=目標を持った中学校生活を送ることが大切です。中学校入学時に考えた目標が見えなくなっている人は、これを機にもう一度目標を立て直すのも良いでしょう。熟慮の結果、違った目標になっても構わないのです。

二学期を振り返って

2010年12月21日 | 学校の話題
【クラスの良いところ】
《◎◎》みんなすぐに協力できる。《◎◎》明るい。《◎◎》男女関係なく話せること。《◎◎》平和。《◎◎》あまりさわがしくない。《◎◎》明るいところ?《◎◎》みんなが助け合うのが良いと思います。《◎◎》毎日明るくて楽しく過ごしているところです。《◎◎》静か。《◎◎》よくケンカするところ。《◎◎》優しいところ。《◎◎》なんやかんやで引っ張ってくれる人がいる。
コメント:「優しい」「ケンカする」「助け合ってる」「明るい」「静か」・・・一見すると正反対の意見が出ているようですが、場面場面をとると、その時々のクラスの様子を表しているのだと思います。でもいろんなことがありながらも、「平和」を実感できるのは、「なんやかんやで引っ張ってくれる人がいる。」、しかもその人たちの人数が多いからだと、私は思います。


【自分が頑張ったこと】
《◎◎》頑張ったのは掃除と勉強です。《◎◎》議員だから鍵閉めや号令などをしっかりした。《◎◎》ずっと笑っていようと心がけた事。《◎◎》みんなが係とかで手を上げていなかったとき、すすんで手を上げたことです。
【クラスの中で頑張っていた人】
《◎◎》◎◎君が先生のいないときに先生みたいに頑張っていた。《◎◎》◎◎君が体育大会やクーラーの掃除を頑張っていた。《◎◎》◎◎君が体育大会の時に皆を引っ張ってくれた。《◎◎》◎◎君がクラスのために色々な立候補をしてくれクラスの役に立っていた。《◎◎》◎◎君が体育大会で大きな声を出していた。
コメント:みんなが一歩踏み出すことに戸惑った時に、「僕がやってもいいよ」と声を出せることは、とても素晴らしいと思います。そんな仲間に対して「イキッテル」などとジェラシーを抱くことなく、協力し、今度は自分が声を上げようと思うことが、良いクラスや良い学校を作っていくことにつながります。

父親そっくりに・・日航機墜落事故から25年

2010年08月31日 | ニュースを読む
【世界最大の航空機事故】
8月12日は、日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落し25年目にあたる日でした。お盆の帰省客や旅行者、家路を急ぐビジネスマンで満席だったジャンボジェットは、羽田空港を夕方の6時に出発し、その約1時間後には、伊丹空港に到着するはずでした。乗員乗客合わせて520名もの命が失われた世界最大の航空機事故が起きようとは、誰も思っていなかったのです。

【事故が切り裂いた家族】
遺族となったのは、401世帯。そのうち22世帯は、一家全員が亡くなりました。一度に8人の家族を亡くした方もいました。母子家庭になったのは189世帯で、およそ半分を占めていました。妻だけになった家庭は37世帯、子供たちの一部を亡くしたのは35世帯、夫婦だけになった家庭が24世帯、父子家庭が13世帯、夫だけが残されたのが14世帯、そして子供だけが残された家庭は7世帯でした。

その中で、この日、テレビや新聞各紙は、今年24歳になった会社員小沢秀明さん(T市在住)の『25年』を報道していました。秀明さんは、母親である紀美さんのお腹にいたときに父親の孝之さん(当時29歳)を失いました。それ以来秀明さんは、毎年母親と一緒に慰霊登山を行ってきました。小さな頃は「僕のお父さんはいつ帰ってくるの?」と言って母親を困らせたとのことでしたが、「今になって、ようやく父の死後、一人で僕を産み育ててくれた母親の気持ちが、少しは考えられるようになった。」とテレビの中で話していました。お父さんに、そっくりになって・・・。

【伊丹空港に近いT市は日航機事故の「地元」だった】
秀明さんの父親である小沢孝之君は、私にとって中学校の同級生でした。バレー部に所属していたスポーツマンで、勉強も頑張っていました。奥さんの紀美さんとは、バレーボールを通じて知り合ったと聞いていました。出張先の東京から帰る際の思わぬ事故により、新婚生活を始めたばかりの小沢君は、生まれてくる子どもの顔を見ることなく無念の死を遂げたのです。

T市は、伊丹空港が地元なだけあって、多くの遺族が残されました。新聞には、一人息子・嫁・孫を一気に失い、独りぼっちになった市内在住83歳の女性の声も載せられていました。「昨年までは慰霊登山を欠かさず行っていたのですが、今年は山に登る体力が無く・・」本当に辛い言葉でした。

【御巣鷹山で開かれた日航社長記者会見】
25年という節目でもあり、御巣鷹山には前原国土交通大臣や日航社長も慰霊登山に出かけ(担当大臣も日航社長も慰霊登山に出かけるのは初のこと!)、手を合わせている姿が報道されていました。経営破綻(はたん)し、再建中でもある日航社長が慰霊碑の前で記者会見をしていました。社長は、「松尾静麿初代社長は『臆病者と言われる勇気を持て』、こう言ったんですけど、本当に我々はそれにもう一度、立ち返って安全を担保しきる、もうこれしかないと思っています」と声を振り絞るように語り終えると、マイクの前で号泣しました。大企業のトップが、カメラの前で気持ちをさらけ出し号泣するという場面は、あまりないことなので私は驚きテレビに釘付けになってしまいました。そして社長の顔をもう一度見て、「お前、大西やないか!」と叫んでしまいました。

日航社長大西賢は、やはり中学校の同級生だったのです。中学校ではサッカー部に属し、恵まれた体格で活躍していました。神戸市にあるN高校に進学し、T大学工学部に入学したとまでは聞いていました。

大西君について詳しい事情を知っている友人に聞くと、日航に入社後は整備部門を担当し、事故時には遺体収容所となった御巣鷹山地元の体育館に派遣され、遺族との対応に追われる日々が続いたそうです。当然、大西君は、小沢君の死も知っているだろうし、その後生まれた秀明君のことも十分承知していたはずです。安全を誓った社長記者会見の言葉の重みを信じたいと思うとともに、未だに様々な疑問を残していると言われる墜落事故の真相を、ぜひ究明して欲しいと思ったのです。