配視的配慮は、予期的=把持的な現持という時間性の様態にもとづく!予期し把持しかつ現持する配慮は、なにかかにかで時間をかける!ハイデガー『存在と時間』「第1部」「第2編」「第6章」「第79節」(その2)
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性」「第79節 《現存在の時間性》と《時間の配慮》」(その2)
(6)配視的配慮は、時間性にもとづき、そして予期的=把持的な現持という時間性の様態にもとづく!
F 「配視(Umsicht)的な常識的な配慮(Besorgen)は、時間性にもとづき、そして予期的=把持的な現持という時間性の様態にもとづいている。」(406頁)
F-2 「それ(※配視的な配慮)は・・・・いつもすでに『《そのとき》(※予期)あれをしよう』・・・・『《いまこそ》(※現持)は、《あのとき》(※把持)うまくいかずにできなかったことのとりかえしをつけよう』などと言っている。」(406頁)
F-3 「配慮はこのように、《そのとき》においては予期的に、《あのとき》においては把持的に、《いま》においては現持的に、おのれを語りあらわしている。」(406頁)
(6)-2 日付け可能性(Datierbarkeit)!
G 「《いま》(※現持)《あのとき》(※把持)《そのとき》(※予期)には、なにごとかが起こったりおこなわれたりする《・・・・の際》という関係構造がそなわっている。」
G-2 つまり《・・・・するいま》、《・・・・したあのとき》、《・・・・するそのとき》。(407頁)
G-3 「この構造をわれわれは、日付け可能性(Datierbarkeit)となづける」。(407頁)
(6)-3 「予期し、把持し、かつ現持している配慮は、なにかかにかで時間をかける」!
H「予期し、把持し、かつ現持している配慮は、なにかかにかで時間をかけており、この時間を配慮的に述べている。」Ex. 《いまはまだない》、《まだ間がある》、《・・・・がある間》、《そのときから――そのときまで》。(409頁)
H-2 それには、特に「計数的な時間規定」は必要でなく、それ以前にすでに「時間を配慮的に述べている」。(409頁)
H-3 「現存在が時間をかけたりひまをとったりするさまざまな様式は、現存在がそのつどの実存に応じてどのように時間を《有して》いるのかという点から原義的に規定される。」(410頁)
《感想6》「計数的な時間規定」つまり時計や暦がなくても、それ以前にすでに、「配視」する日常的現存在の「実践的」態度において、つまり日常的現存在が「配慮」において出会う存在者との配慮的交渉のうちで、「時間を配慮的に述べている」(409頁)。
(6)配視的配慮は、時間性にもとづき、そして予期的=把持的な現持という時間性の様態にもとづく!
F 「配視(Umsicht)的な常識的な配慮(Besorgen)は、時間性にもとづき、そして予期的=把持的な現持という時間性の様態にもとづいている。」(406頁)
F-2 「それ(※配視的な配慮)は・・・・いつもすでに『《そのとき》(※予期)あれをしよう』・・・・『《いまこそ》(※現持)は、《あのとき》(※把持)うまくいかずにできなかったことのとりかえしをつけよう』などと言っている。」(406頁)
F-3 「配慮はこのように、《そのとき》においては予期的に、《あのとき》においては把持的に、《いま》においては現持的に、おのれを語りあらわしている。」(406頁)
(6)-2 日付け可能性(Datierbarkeit)!
G 「《いま》(※現持)《あのとき》(※把持)《そのとき》(※予期)には、なにごとかが起こったりおこなわれたりする《・・・・の際》という関係構造がそなわっている。」
G-2 つまり《・・・・するいま》、《・・・・したあのとき》、《・・・・するそのとき》。(407頁)
G-3 「この構造をわれわれは、日付け可能性(Datierbarkeit)となづける」。(407頁)
(6)-3 「予期し、把持し、かつ現持している配慮は、なにかかにかで時間をかける」!
H「予期し、把持し、かつ現持している配慮は、なにかかにかで時間をかけており、この時間を配慮的に述べている。」Ex. 《いまはまだない》、《まだ間がある》、《・・・・がある間》、《そのときから――そのときまで》。(409頁)
H-2 それには、特に「計数的な時間規定」は必要でなく、それ以前にすでに「時間を配慮的に述べている」。(409頁)
H-3 「現存在が時間をかけたりひまをとったりするさまざまな様式は、現存在がそのつどの実存に応じてどのように時間を《有して》いるのかという点から原義的に規定される。」(410頁)
《感想6》「計数的な時間規定」つまり時計や暦がなくても、それ以前にすでに、「配視」する日常的現存在の「実践的」態度において、つまり日常的現存在が「配慮」において出会う存在者との配慮的交渉のうちで、「時間を配慮的に述べている」(409頁)。