第Ⅰ章 妖怪とは何か(小松和彦(1947-))
(1)妖怪
A 妖怪(or怪異)とは、「超自然的なもの」かつ「凶兆」であるもの。
(1)-2 妖怪の分類:①出来事・現象としての妖怪
B 妖怪の分類:①出来事・現象としての妖怪、②存在としての妖怪、③造形としての妖怪。
B-2 ①出来事・現象としての怪異・妖怪。目撃、音、におい、触れる、味で不思議、薄気味悪い。例えば「古杣(フルソマ)」:コーンコーンと夜、木を切る音がするが、朝になって行ってみると、何も起きていない。
B-3 さらに、出来事(①)を引き起こす存在(②)としての妖怪がある。例えば、出来事としての「狸囃(タヌキバヤシ)」(①)を引き起こす妖怪「狸」(②)。
(2)②存在としての妖怪:アニミズム的観念
C あらゆるものに霊魂が宿るとするアニミズム的観念。山、川、木、水、岩の霊魂。さらに言葉にさえ言霊が宿るとする。
C-2 荒れる霊魂が「荒魂(アラタマ)」、静かな霊魂が「和魂(ニギタマ)」。荒魂を和魂に変えるのが「鎮魂」(ミタマシヅメ)。
D 荒魂はしばしば「鬼」と呼ばれた。望ましくない霊的存在。
D-2 鬼を補完する「大蛇」。中国の龍神の観念と混合。
(2)-2 ②(続) 狐・天狗・狸・百足・土蜘蛛・山姥(ヤマンバ)
E 柳田国男は、妖怪は、「神が零落したもの」とする。
F 古代では、狐も神秘的存在だった。安倍晴明の母は狐である。稲荷神の眷属である狐。
F-2 天狗は、僧・仏教の敵。
F-3 祭祀された天狗(鞍馬の「魔王尊」)は、もはや妖怪でない。
F-4 古代末には、狸、百足(ムカデ)。
F-5 時代が下り、土蜘蛛、山姥(ヤマンバ)。
(3)③造形化された妖怪:古代・中世
G 古代:仏教以前には、神々も造形化されず、鬼など妖怪も造形化されなかった。
H 中世(鎌倉時代)になって「絵巻」が登場し、妖怪も図像化する。Ex. 信貴山の護法童子(剣の護法)
I 中世後半(室町時代)になると絵巻・絵本の享受層が貴族・僧侶から、庶民に拡大する。Ex. 酒呑童子、土蜘蛛
I-2 これら妖怪絵巻の多くは娯楽で、信仰の対象でなかった。
(3)-2 ③造形化された妖怪(続):妖怪の増殖
J 妖怪の増殖①:道具の妖怪=付喪神(ツクモガミ)。道具が100年経つ前に捨てられ、恨んで妖怪化する。
J-2 妖怪の増殖②:怪異・妖怪現象の「名付け」。Ex. 山彦、天狗倒し、狸囃、小豆とぎ。
J-3 妖怪の増殖③:鳥山石燕『画図百鬼夜行』シリーズが、妖怪の絵画・造形化流行の引き金。安永年間(1772-81)。
(4)幽霊と妖怪
K 幽霊は妖怪だが、特別である。
K-2 幽霊のタイプ①:死者の世界に行けず、この世に迷い出てきたタイプ。生前と同じ姿なので、知らない者は、幽霊と思わない。
K-3 幽霊のタイプ②:足がなく、死装束を着ている等、絵画・芝居の幽霊。
K-4 死者が生前の姿で現れる幽霊は、すでに『日本霊異記』にある。
L 古来の怨霊は、幽霊でなく、憑依したり、「鬼」として出現した。
(5)妖怪の特徴
①妖怪は、霊魂の「荒れた」状態で、怒っている。Ex. 怨霊、鬼、幽霊。
②妖怪は、巨大で、人間より大きく、恐怖を引き起こす。Cf. 小さな妖怪は恐怖を与えない。
③妖怪は、年を重ねる。かくて神秘的能力を獲得する。Ex. 古狐。Ex. 妖怪化した老母が息子を食べる。
④妖怪は「化ける能力」など神秘的能力を持つ。他のものになったり、大きくなったりする。
④-2 あるいは、姿を消す、速く走る、空を飛ぶ、長生きする等々。
⑤いくつかの生物・道具等の合成による妖怪。Ex. 道具に目鼻を付ける。
第Ⅱ章 妖怪の思想史(香川雅信(1969-))
(1)古代・中世vs近世
A 中世までは、怪異を、神仏からのメッセージととらえる。それを神祇官や陰陽寮が解釈する。
A-2 つまり、妖怪は実在する。
B 近世(江戸時代)は、怪異の公的解釈のシステムを放棄。
B-2 ここから、知識人による妖怪研究開始。
(2)江戸時代:儒学者の鬼神論
C 儒学者は、一方で「怪力乱神を語らず」と言いつつ、他方で、語る。
D 林羅山(1583-1657):『野槌』『本朝神社考』『恠談(カイダン)』。怪力乱神について語るが、但し、必ず訓戒を含める。
D-2 新井白石(1657-1725):『鬼神論』。朱子学の唯物論的世界観に立脚し、陰陽2気の働きで説明。
D-3 荻生徂徠(1666-1728)。鬼神の祭祀は、太古の聖人が人民を統一するためになされたと、機能主義的解釈。
(2)-2 江戸時代(続):無鬼論と有鬼論
E 山片蟠桃(1748-1821)の急進的な「無鬼論」。『夢の代』で、「神仏化物」&「奇妙ふしぎのこと」をすべて否定。
F 国学者・平田篤胤(1776-1843)の過激な「有鬼論」。鬼神(とくに古来の神々)&あの世(幽冥)の存在の証明に心血を注ぐ。
F-2 天狗の世界に行った寅吉からの聞き書き、『仙郷異聞』。
F-3 生まれ変わりした男からの幽冥界の聞き取り、『勝五郎再生記聞』。
F-4 三次藩士が遭遇した怪異の記録、『稲生(イノウ)物怪録』。
G 江戸時代の主流は「弁惑物」。すなわち儒学・心学による怪異の合理的解釈。
G-2 朱子学による怪異の唯物論的解釈と並んで、「怪異は人の心がつくるまやかし」との唯心論的解釈もある。
G-3 江戸時代、庶民は化物を信じない。「ないものは金と化物」。ここから「妖怪娯楽」が出現。(後述)
(3)明治時代以降:井上円了の「妖怪学」
H 儒学者が「鬼神」、江戸庶民が「化物」と呼んだものを、井上円了は「妖怪」と呼ぶ。
H-2 井上円了は、「普通の道理をもって解釈すべからざるもの」をすべて「妖怪」(=「不思議」)と定義する。
H-3 「妖怪」は、「迷信」と同義である。
H-4 迷信に合理的な解釈を与える知の体系が、「妖怪学」!
I 井上円了の目的は、「真怪」の探求である。
I-2 「妖怪」は(a)「虚怪」と(b)「実怪」からなる。
I-3 (a)「虚怪」:(a-1)「偽怪」(人為的故意の妖怪)。 (a-2)「誤怪」(偶然的出来事を妖怪と誤認したもの)。
I-4 (b)「実怪」:(b-1)「仮怪」(人為でも偶然でもなく、自然に実際に起きている不思議な現象。起きる道理がある。) (b-2)「真怪」(超理の妖怪で、人知を超える。絶対の不思議!)
I-5 「偽怪を去り、仮怪を払いて、真怪を開く」ことが妖怪学の目的。真怪は、宗教(Ex. 仏教)または哲学で探求する。このように井上円了は述べる
J 井上円了は、迷信と旧弊に満ちた仏教の改革をめざした。そのための「真怪」(=「真理」)の探究。
(3)-2 大正時代:江馬務(エマツトム)の妖怪研究
K 自然科学的に妖怪の実在の有無を問うのでなく、人文科学的に妖怪研究する。妖怪を表象・想像力の問題として捉える。
K-2 江馬務『日本妖怪変化史』(1923年)。
K-3 風俗史の見地。妖怪が実在か否か問わない。妖怪の歴史的変遷をたどり、また分類する。人々が、どのように妖怪を見、どのような態度を取ってきたかを問う。
L さらに、吉川観方、藤澤衛彦の妖怪画収集。
(4)昭和時代:柳田國男の妖怪研究
M 柳田は、「なぜ人々はオバケがいると思うか?」と人文科学的アプローチをとる。
M-2 かつての信仰の姿の復元。
N それ以前、柳田は天狗の研究。これが、山中の先住民族(異民族)、「山人論」へとつながる。
N-2 『山の人生』(T15)以後は、山人論、後退。
O 妖怪の零落説:妖怪は「零落した神である」。Ex. 片目の神が一つ目小僧となった。Ex. 水の神が河童となった。(『一つ目小僧その他』1934年)
O-2 人類学の文化進化論では、伝承・慣習は前時代の残存とされる。
P 明治末期から大正、昭和初期にかけ文学ジャンルに怪談的なるものが蔓延。都市的な幽霊が中心。
P-2 柳田は農村重視。妖怪を扱う。妖怪と幽霊を区別。(この区別は、今は支持されない。Ex. 妖怪は出現場所が決まっているが、幽霊はめざす相手の所にやって来る。)
Q S13年以降、柳田は妖怪研究をやめ、祖霊神の問題へ。
R 敗戦後、日本人論、日本の神、日本の「家」はどうなるか等の問題に、柳田は集中し、妖怪研究終焉へ。
R-2 民俗学の妖怪研究は、柳田の『妖怪談義』(S31)で、ほぼ終了。
(5)1970年代の妖怪ブーム:水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』
S それまでの鬼、河童、天狗の研究の集大成も出現。
T 谷川健一『魔の系譜』は、死者・敗者の怨念に注目する。また谷川は、一つ目小僧、鬼、河童が、古代の金属技術集団に由来すると述べる。
(5)-2 1980年代の新たな妖怪論
U 小松和彦が、神と妖怪は相互変容すると述べ、柳田の「零落説」を批判。(『憑霊信仰論』)また、妖怪は山の民、被差別民のイメージの反映だと主張。(『異人論』)
U-2 宮田登は、自然との境界(魔所)である都市の妖怪を論じる。(『妖怪の民俗学』)
U-3 1978-79の「口裂け女」の噂が、1980年代、新たな妖怪論のきっかけとなる。
(5)-3 妖怪画への関心:1987年以降
V 1987年『別冊太陽57号「日本の妖怪」』が妖怪画への関心を引き起こす。
V-2 鳥山石燕『画図百鬼夜行』が刊行される。研究としては『百鬼夜行の見える都市』(田中貴子)等。
(5)-4 1990年代:江戸の怪談文化の研究&「学校の怪談」
W 1980年代末から1990年代にかけて、歌舞伎、化物屋敷など江戸の怪談文化の研究。ファッションとしての妖怪研究。
W-2 『さかさまの幽霊』(服部幸雄、1989年、歌舞伎など)、『化物屋敷』(橋爪紳也1994年)、『江戸東京の怪談文化の成立と変遷』(横山泰子、1997年)、『江戸化物草紙』(アダム・カバット、1997年、黄表紙の翻刻・解説)。
X 『学校の怪談』(常光徹、1993年)。
(6)1990-2000年代、人間研究としての妖怪学:小松和彦
Y 小松和彦『妖怪学新考』(1994年):人間研究としての妖怪学を提唱。
Y-2 論文アンソロジーの『怪異の民俗学』全8巻(2000-01年)。「憑きもの」「妖怪」「河童」「鬼」「天狗と山姥」「幽霊」「異人・生贄」「境界」の8テーマ。
Y-3 国際日本文化研究センターによる学際的な妖怪共同研究。『日本妖怪学大全』(2003年)、『妖怪文化の伝統と創造』(2010年)。
Z 学際的「妖怪学」の成果として、娯楽・大衆文化の中の妖怪研究。『江戸の妖怪革命』(香川雅信、2005年)。京極夏彦「通俗的『妖怪』概念の成立に関する一考察」(『日本妖怪学大全』所収。)
(1)妖怪
A 妖怪(or怪異)とは、「超自然的なもの」かつ「凶兆」であるもの。
(1)-2 妖怪の分類:①出来事・現象としての妖怪
B 妖怪の分類:①出来事・現象としての妖怪、②存在としての妖怪、③造形としての妖怪。
B-2 ①出来事・現象としての怪異・妖怪。目撃、音、におい、触れる、味で不思議、薄気味悪い。例えば「古杣(フルソマ)」:コーンコーンと夜、木を切る音がするが、朝になって行ってみると、何も起きていない。
B-3 さらに、出来事(①)を引き起こす存在(②)としての妖怪がある。例えば、出来事としての「狸囃(タヌキバヤシ)」(①)を引き起こす妖怪「狸」(②)。
(2)②存在としての妖怪:アニミズム的観念
C あらゆるものに霊魂が宿るとするアニミズム的観念。山、川、木、水、岩の霊魂。さらに言葉にさえ言霊が宿るとする。
C-2 荒れる霊魂が「荒魂(アラタマ)」、静かな霊魂が「和魂(ニギタマ)」。荒魂を和魂に変えるのが「鎮魂」(ミタマシヅメ)。
D 荒魂はしばしば「鬼」と呼ばれた。望ましくない霊的存在。
D-2 鬼を補完する「大蛇」。中国の龍神の観念と混合。
(2)-2 ②(続) 狐・天狗・狸・百足・土蜘蛛・山姥(ヤマンバ)
E 柳田国男は、妖怪は、「神が零落したもの」とする。
F 古代では、狐も神秘的存在だった。安倍晴明の母は狐である。稲荷神の眷属である狐。
F-2 天狗は、僧・仏教の敵。
F-3 祭祀された天狗(鞍馬の「魔王尊」)は、もはや妖怪でない。
F-4 古代末には、狸、百足(ムカデ)。
F-5 時代が下り、土蜘蛛、山姥(ヤマンバ)。
(3)③造形化された妖怪:古代・中世
G 古代:仏教以前には、神々も造形化されず、鬼など妖怪も造形化されなかった。
H 中世(鎌倉時代)になって「絵巻」が登場し、妖怪も図像化する。Ex. 信貴山の護法童子(剣の護法)
I 中世後半(室町時代)になると絵巻・絵本の享受層が貴族・僧侶から、庶民に拡大する。Ex. 酒呑童子、土蜘蛛
I-2 これら妖怪絵巻の多くは娯楽で、信仰の対象でなかった。
(3)-2 ③造形化された妖怪(続):妖怪の増殖
J 妖怪の増殖①:道具の妖怪=付喪神(ツクモガミ)。道具が100年経つ前に捨てられ、恨んで妖怪化する。
J-2 妖怪の増殖②:怪異・妖怪現象の「名付け」。Ex. 山彦、天狗倒し、狸囃、小豆とぎ。
J-3 妖怪の増殖③:鳥山石燕『画図百鬼夜行』シリーズが、妖怪の絵画・造形化流行の引き金。安永年間(1772-81)。
(4)幽霊と妖怪
K 幽霊は妖怪だが、特別である。
K-2 幽霊のタイプ①:死者の世界に行けず、この世に迷い出てきたタイプ。生前と同じ姿なので、知らない者は、幽霊と思わない。
K-3 幽霊のタイプ②:足がなく、死装束を着ている等、絵画・芝居の幽霊。
K-4 死者が生前の姿で現れる幽霊は、すでに『日本霊異記』にある。
L 古来の怨霊は、幽霊でなく、憑依したり、「鬼」として出現した。
(5)妖怪の特徴
①妖怪は、霊魂の「荒れた」状態で、怒っている。Ex. 怨霊、鬼、幽霊。
②妖怪は、巨大で、人間より大きく、恐怖を引き起こす。Cf. 小さな妖怪は恐怖を与えない。
③妖怪は、年を重ねる。かくて神秘的能力を獲得する。Ex. 古狐。Ex. 妖怪化した老母が息子を食べる。
④妖怪は「化ける能力」など神秘的能力を持つ。他のものになったり、大きくなったりする。
④-2 あるいは、姿を消す、速く走る、空を飛ぶ、長生きする等々。
⑤いくつかの生物・道具等の合成による妖怪。Ex. 道具に目鼻を付ける。
第Ⅱ章 妖怪の思想史(香川雅信(1969-))
(1)古代・中世vs近世
A 中世までは、怪異を、神仏からのメッセージととらえる。それを神祇官や陰陽寮が解釈する。
A-2 つまり、妖怪は実在する。
B 近世(江戸時代)は、怪異の公的解釈のシステムを放棄。
B-2 ここから、知識人による妖怪研究開始。
(2)江戸時代:儒学者の鬼神論
C 儒学者は、一方で「怪力乱神を語らず」と言いつつ、他方で、語る。
D 林羅山(1583-1657):『野槌』『本朝神社考』『恠談(カイダン)』。怪力乱神について語るが、但し、必ず訓戒を含める。
D-2 新井白石(1657-1725):『鬼神論』。朱子学の唯物論的世界観に立脚し、陰陽2気の働きで説明。
D-3 荻生徂徠(1666-1728)。鬼神の祭祀は、太古の聖人が人民を統一するためになされたと、機能主義的解釈。
(2)-2 江戸時代(続):無鬼論と有鬼論
E 山片蟠桃(1748-1821)の急進的な「無鬼論」。『夢の代』で、「神仏化物」&「奇妙ふしぎのこと」をすべて否定。
F 国学者・平田篤胤(1776-1843)の過激な「有鬼論」。鬼神(とくに古来の神々)&あの世(幽冥)の存在の証明に心血を注ぐ。
F-2 天狗の世界に行った寅吉からの聞き書き、『仙郷異聞』。
F-3 生まれ変わりした男からの幽冥界の聞き取り、『勝五郎再生記聞』。
F-4 三次藩士が遭遇した怪異の記録、『稲生(イノウ)物怪録』。
G 江戸時代の主流は「弁惑物」。すなわち儒学・心学による怪異の合理的解釈。
G-2 朱子学による怪異の唯物論的解釈と並んで、「怪異は人の心がつくるまやかし」との唯心論的解釈もある。
G-3 江戸時代、庶民は化物を信じない。「ないものは金と化物」。ここから「妖怪娯楽」が出現。(後述)
(3)明治時代以降:井上円了の「妖怪学」
H 儒学者が「鬼神」、江戸庶民が「化物」と呼んだものを、井上円了は「妖怪」と呼ぶ。
H-2 井上円了は、「普通の道理をもって解釈すべからざるもの」をすべて「妖怪」(=「不思議」)と定義する。
H-3 「妖怪」は、「迷信」と同義である。
H-4 迷信に合理的な解釈を与える知の体系が、「妖怪学」!
I 井上円了の目的は、「真怪」の探求である。
I-2 「妖怪」は(a)「虚怪」と(b)「実怪」からなる。
I-3 (a)「虚怪」:(a-1)「偽怪」(人為的故意の妖怪)。 (a-2)「誤怪」(偶然的出来事を妖怪と誤認したもの)。
I-4 (b)「実怪」:(b-1)「仮怪」(人為でも偶然でもなく、自然に実際に起きている不思議な現象。起きる道理がある。) (b-2)「真怪」(超理の妖怪で、人知を超える。絶対の不思議!)
I-5 「偽怪を去り、仮怪を払いて、真怪を開く」ことが妖怪学の目的。真怪は、宗教(Ex. 仏教)または哲学で探求する。このように井上円了は述べる
J 井上円了は、迷信と旧弊に満ちた仏教の改革をめざした。そのための「真怪」(=「真理」)の探究。
(3)-2 大正時代:江馬務(エマツトム)の妖怪研究
K 自然科学的に妖怪の実在の有無を問うのでなく、人文科学的に妖怪研究する。妖怪を表象・想像力の問題として捉える。
K-2 江馬務『日本妖怪変化史』(1923年)。
K-3 風俗史の見地。妖怪が実在か否か問わない。妖怪の歴史的変遷をたどり、また分類する。人々が、どのように妖怪を見、どのような態度を取ってきたかを問う。
L さらに、吉川観方、藤澤衛彦の妖怪画収集。
(4)昭和時代:柳田國男の妖怪研究
M 柳田は、「なぜ人々はオバケがいると思うか?」と人文科学的アプローチをとる。
M-2 かつての信仰の姿の復元。
N それ以前、柳田は天狗の研究。これが、山中の先住民族(異民族)、「山人論」へとつながる。
N-2 『山の人生』(T15)以後は、山人論、後退。
O 妖怪の零落説:妖怪は「零落した神である」。Ex. 片目の神が一つ目小僧となった。Ex. 水の神が河童となった。(『一つ目小僧その他』1934年)
O-2 人類学の文化進化論では、伝承・慣習は前時代の残存とされる。
P 明治末期から大正、昭和初期にかけ文学ジャンルに怪談的なるものが蔓延。都市的な幽霊が中心。
P-2 柳田は農村重視。妖怪を扱う。妖怪と幽霊を区別。(この区別は、今は支持されない。Ex. 妖怪は出現場所が決まっているが、幽霊はめざす相手の所にやって来る。)
Q S13年以降、柳田は妖怪研究をやめ、祖霊神の問題へ。
R 敗戦後、日本人論、日本の神、日本の「家」はどうなるか等の問題に、柳田は集中し、妖怪研究終焉へ。
R-2 民俗学の妖怪研究は、柳田の『妖怪談義』(S31)で、ほぼ終了。
(5)1970年代の妖怪ブーム:水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』
S それまでの鬼、河童、天狗の研究の集大成も出現。
T 谷川健一『魔の系譜』は、死者・敗者の怨念に注目する。また谷川は、一つ目小僧、鬼、河童が、古代の金属技術集団に由来すると述べる。
(5)-2 1980年代の新たな妖怪論
U 小松和彦が、神と妖怪は相互変容すると述べ、柳田の「零落説」を批判。(『憑霊信仰論』)また、妖怪は山の民、被差別民のイメージの反映だと主張。(『異人論』)
U-2 宮田登は、自然との境界(魔所)である都市の妖怪を論じる。(『妖怪の民俗学』)
U-3 1978-79の「口裂け女」の噂が、1980年代、新たな妖怪論のきっかけとなる。
(5)-3 妖怪画への関心:1987年以降
V 1987年『別冊太陽57号「日本の妖怪」』が妖怪画への関心を引き起こす。
V-2 鳥山石燕『画図百鬼夜行』が刊行される。研究としては『百鬼夜行の見える都市』(田中貴子)等。
(5)-4 1990年代:江戸の怪談文化の研究&「学校の怪談」
W 1980年代末から1990年代にかけて、歌舞伎、化物屋敷など江戸の怪談文化の研究。ファッションとしての妖怪研究。
W-2 『さかさまの幽霊』(服部幸雄、1989年、歌舞伎など)、『化物屋敷』(橋爪紳也1994年)、『江戸東京の怪談文化の成立と変遷』(横山泰子、1997年)、『江戸化物草紙』(アダム・カバット、1997年、黄表紙の翻刻・解説)。
X 『学校の怪談』(常光徹、1993年)。
(6)1990-2000年代、人間研究としての妖怪学:小松和彦
Y 小松和彦『妖怪学新考』(1994年):人間研究としての妖怪学を提唱。
Y-2 論文アンソロジーの『怪異の民俗学』全8巻(2000-01年)。「憑きもの」「妖怪」「河童」「鬼」「天狗と山姥」「幽霊」「異人・生贄」「境界」の8テーマ。
Y-3 国際日本文化研究センターによる学際的な妖怪共同研究。『日本妖怪学大全』(2003年)、『妖怪文化の伝統と創造』(2010年)。
Z 学際的「妖怪学」の成果として、娯楽・大衆文化の中の妖怪研究。『江戸の妖怪革命』(香川雅信、2005年)。京極夏彦「通俗的『妖怪』概念の成立に関する一考察」(『日本妖怪学大全』所収。)