宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

中沢新一(1950生れ)「Ⅱ神話的思考」『芸術人類学』所収(2006年)

2015-12-18 22:27:09 | Weblog
Ⅱ 神話的思考

第1論文 『神話論理』前夜(2006年)
A レヴィ=ストロースの神話分析:1952年から開始。北米プエブロインディアンの神話分析。
A-2 神話の構造分析は、「不変項」を捜すことから始まる。数学者は「不変項」を、「対称性」と呼ぶ。
A-3 言語学者も「不変項」or「対称性」について発言してきた。

B 神話分析では、神話を「神話素」に分解する。
B-2 神話に、正本はなく、数多くの異文の連なりとして、群をなす。
B-3 様々の部族の「神話」の間に、「変換」の関係がある。
B-4 変換を行う主体は「無意識の思考」である。
《評者の感想》:ここで「無意識」とは、「自明性」の意味であり、「問題化」されていないことである。

C 神話の中に、つまり「神話素」間に、隠れた「対称性」を捜す。つまり交換可能な「同型性」をさがす。
C-2 例えば、ある図形を120度回転しても、同じ図形。
C-3 疑似数学的な神話分析。群論と変換群の概念を利用。

D 「オイディプス王」の神話では、スフィンクスの「謎々」と「近親相姦」の間に「対称性」がある。ともに「異常接近」という同型性を持つ。
D-2 「謎々」(言語論の軸)に変換がほどこされると、「近親相姦」(社会学の軸)が現れる。

E 隠れた「対称性」の原理に突き動かされ、神話が次々と変形する。全体としての神話の宇宙は一つの「群」をなす。
E-2 プエブロ族の創世神話の分析。
①「神話」の宇宙は閉じている。神話圏という領域あり。
②変換(対称性の発見)の手続きによって無数の神話が産出される。
③隠れた対称性によって、個々の神話を生み出す変換が起き、それら諸神話は群をなす。

F 神話の主題は常に同一であり、生と死の論理的矛盾の解決である。
《評者の感想》:生と死の論理的矛盾とは、「いずれ死ぬのに生きるのはなぜか?」である。

G 神話的思考は、生と死のように論理的に矛盾し合う項と項を仲立ちする第3の項を登場させる。
G-2 ピューリタンなら眉を顰めるトリックスター。
G-3 プエブロ族の創造神話群は、「きれいはきたない、きたないはきれい」というシェークスピア的なパラドックス論理を用いるトリックスターにより、世界の全体性を表現!
G-4 神話の世界認識は、「メビウスの環」的である。

H レヴィ=ストロースは神話内における変換規則を定式化した。これが神話の全体性、「メビウスの環」的性格を示す。
H-2 「a項がx機能をする時、b項はy機能をする。」それぞれの項・機能は対称性を持つことから、これが変換され「b項がx機能をする時、y機能はa-1機能 (“aを逆転させた項”の機能)である。」となる。
H-3 南アメリカのヒバロ族の神話を例にする。
①「ヨタカ(a項)が嫉妬(x機能)をする時、女(b項)が土器つくり(y機能)をする。」これが変換され②「女(b項)が嫉妬(x機能)をする時、土器つくり(機能y)は“ヨタカ(a項)を逆転させた”項(嫉妬しないカマドドリ)の機能となる。」
H-4 ヒバロ族の神話により近づけて言えば、「①原初の対称性がヨタカ的存在(a項)の嫉妬(x機能)によって破壊される時、①-2粘土が女のものとなり、女(b項)が土器つくり(y機能)をする。②粘土を失ったヨタカが悲しく鳴く。今や、女(b項)が嫉妬(x機能)をする時、②-2土器つくり(機能y)は、嫉妬しない鳥カマドドリ(“ヨタカ(a項)を逆転させた”項)の機能となる。つまり土器つくりは、嫉妬しないすばらしい者の行いである。」

I 「神話は無意識の思考」である。(レヴィ=ストロース)
I-2 神話は、「対称性」の原理によって動く。アリストテレス型論理と異なり、矛盾する項・機能の共存に無頓着。時間的秩序は消失し、部分と全体の区別はない。
《評者の感想》:「対称性」とは、置換可能性、同型性である。
J  なお、科学の知見によれば、自然は「対称性」の原理によって秩序を作り出す。

K レヴィ=ストロース『今日のトーテミズム』(1962)、『野生の思考』(1962)は、「構造主義」の嵐をもたらした。
K-2 しかし、レヴィ=ストロース自身は、「神話論理」の研究。
K-3 神話の宇宙は、「対称性」によって動いていく巨大な変換群である。
K-4 変換の行われる軸。①料理と食卓作法の体系。②婚姻の体系。③動物・植物の世界の分類法。④五感の捉える感覚。
K-5 どの神話を出発点に選んでも、神話の宇宙全体を動かす「無意識の思考」本体に合流していく。



第1-2論文 補論・神話公式ノート
A 神話の思考は「バイロジック(複論理)」である。「論理的思考」と「対称性の知性」が結合。
A-2 「対称性の知性」は①矛盾をはらむパラドックス的思考。「ねじれ」を含む。②主客の分離を行わない。
A-3 バイロジックの神話的思考は、「野生の思考」であり、今日でも生きている。Ex. 1) 贈与経済(※互酬、相互扶助)の長所を取り戻す運動。Ex. 2) 人間と自然の倫理的つながりの再発見。
A-4 「対称性の知性」は、表と裏、主体と客体、ある命題とその否定を、一つのグループでつなぐ多様体にたとえてよい。Ex. メビウスの帯、クラインの壺
A-5 「論理的思考」は表と裏、主体と客体、ある命題とその否定を、区別する。

B 「論理的思考」と「対称性の知性」が結合した「バイロジック」の思考は、エッシャーの絵のような「ねじれ」を含む。
B-2 神話は「バイロジック」な思考空間を動く。

C レヴィ=ストロースが示した「神話の弁証法」を示す式によれば、「a項がx機能をする時、b項はy機能をする。」これが変換され「b項がx機能をする時、y機能はa-1機能 (“aを逆転させた項”の機能)である。」となる。

D この式を、ピエール・マランダに従って読む。「悪玉aが悪(x機能)をする時、善を守る人bが悪をただす(y機能)。」これが変換され「善を守る人bが悪(x機能)を行う時、悪をただすこと(y機能)が“悪玉aを逆転させた者”の機能となる。」
D-2 この場合、善を守る人bは、同時に悪(x機能)を行うので、トリックスターbとなる。トリックスターは、矛盾する項、つまり悪(x機能)と悪をただすこと(y機能)という分離された項を結合する。そして悪をただすこと(y機能)が、“悪玉aを逆転させた者”(=ここではトリックスターb)の機能となる。つまりトリックスターbが、ハッピーエンドをもたらす。
D-3 トリックスター(ここではb)は、論理的に分離された世界(Ex. 善と悪)を、流動化する。「カオスモス」機能。トリックスターは、分離された項を、矛盾を恐れず結び合わせる。

E トリックスター:①死の領域で近い場所で活動する。Ex. 1) 死肉を食べるコヨーテ、Ex. 2) 死の領域への入り口である竈の灰を浴びるシンデレラ。②トリックスターは「対称性の知性」を呼び起こす。③昼間の活動の「正常な思考」では熊は敵。夜になると「対称性の知性」が可能となり、「バイロジック」の思考が出現。④トリックスターは「バイロジック」の活動を呼び起こすメディエーター。⑤トリックスターは善悪の彼岸にいる。



第2論文 公共とねじれ(2005年):伝統の広場(=公共空間)はトポロジー的「ねじれ」(「メビウスの環」)を組み込むが、近代の広場は中心が空虚なままの「トーラス」である
A 聖所としての教会は、古代ローマ・中世には広場の中心にない。
A-2 これら伝統の広場においては、公共空間=広場の中心には、何も、作られない。
A-3 聖所(異界との接点)が脇にある。

B 広場のトポロジー:「トーラス」と「メビウスの環」の接合。ラカンはこれを「十字帽」(「僧帽」)型と呼ぶ。
①中心は、ドーナツ状の「トーラス」。②その1部分に、この世とあの世を同一平面につなぐ「ネメビウスの環」が接合する。
B-2 ①言葉は、全体性を、捉えられず、次々と語られても、言葉の秩序は、充填されない空虚を残す。この世の秩序が持つ空虚。みんなが認める社会的な言葉が語られるギリシア的合理的思考の世界としてのこの世。この世の秩序=社会性は、トポロジー的には、「トーラス」である。
B-3 ②だが広場は、宇宙的公共性への通路を必要とする。「聖所」としての岩、樹、あるいは教会。聖所は、あの世とこの世が同一平面にある。トポロジー的には「メビウスの環」である。
B-4 伝統の広場(=公共空間)はトポロジー的「ねじれ」(「メビウスの環」)を組み込むが、これに対し、近代の広場は中心が空虚な「トーラス」である。

C かつて、公共性の空間概念としての広場は、人間の「無意識」の全体性を体現し、トポロジー的「ねじれ」、この世と続くあの世、つまり生と同一平面にある死を組み込んでいた。
C-2 歴史の過程で、「公共性」のトポロジーの全体構造(伝統の広場)が分解する。
C-3 近代の広場は、中心部に、公共の建物、政治指導者の彫像・肖像画を置く。近代の広場では、「権力としての公」が、社会的言葉が生み出す空虚を埋めようと、中心にそそり立つ。

D 近代とは「メビウスの環」的な「アジール(聖所)としての公」を、広場(=公共性)から追放した。
D-2 近代とともに、「トーラス」的な合理的思考が、「メビウスの環」的な神話的思考を抑圧した。
D-3 10万年前の新人にさかのぼる心の「全体性」、それと親和的な「公共性」の再建が必要である。「トーラス」と「メビウスの環」の接合。合理的思考と対称性思考が接合した神話的思考の回復!



第3論文 十字架と鯨(2005年):「型」による「内発的」拘束の日本文化(鯨的なもの)と、「外から」の拘束のキリスト教文化(十字架的なもの)
A マシュー・バーニーの映画『拘束のドローイング・9』は、「自由」でなく「拘束」を主題にする。「内発的」拘束!
B ヨーロッパ文明の本質は、キリスト教的な「拘束」。動き変化しようとする「生命力」の動きを拘束し、同一性を作り出そうとする。「拘束」と「生命力」(=「自由」)の二つの力のせめぎあいが、ヨーロッパ文明。
B-2 「自由」な自然人のイエスを、木の棒に打ち付け「拘束」した十字架。

C 「異教」の世界は動きの世界。それをキリスト教は拘束し、同一性を与えようとする。
C-2 「異教」の文化は多中心。それを象徴するのが、二つの中心を持つ楕円。キリスト教は中心が一つ。円が象徴する。

D キリスト教的な創造的拘束は、「権力」と容易に結びつき、管理的拘束に変形する。

E 異教の芸術は、変容の神話的時空(対称性の時空)を動く。
F マシュー・バーニーは、流動化と固体化を繰返すワセリンのイメージを好む。ワセリン状にメタモルフォ―シスする異教的な民衆思考。
F-2 諸存在の壁を乗り越えるトランスの原理。
G 日本の「もののあはれ」は、同一性が長持ちせず、消えていく有様に、感銘する。
G-2 ヨーロッパ的、キリスト教的な同一性の思考の対極。

H 日本文化は「型」による拘束の文化。
H-2 キリスト教的拘束は「外から」抑え込む。日本は野生の思考が生きていて、拘束は「内発的に」起こる。
H-3 流動性が具象(=現象)となる直前(=「機前」)の、その抽象的「かたち」そのものを、デザイン感覚で取り出したものが「型」である。

I 鯨は、ヨーロッパ的伝統では、絶対的抽象(神)とギリギリのところで触れ合う物質的生命。ワセリン状の流動体、同一性を持たない巨大なものとしての鯨。
I-2 そのワセリン状の存在が内発的に「拘束」され、取り出さるべき「型」が発生する。
I-3 マシュー・バーニーの鯨は、愛と死の極限に出現する自由の象徴。

J 中沢新一が作った「鯨の神が歌ったユーカラ」。(動物の視点から人間とのかかわりを描く。)それをマシュー・バーニーに贈る。
J-2 神話をつらぬく対称性の思考。動物と人間が、また生と死が自由に入れ替わる。その表現としてのユーカラ。

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