宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『「七人の侍」と現代―黒澤明再考』四方田(ヨモタ)犬彦(1953生)、2010年、岩波新書

2010-07-13 09:26:02 | Weblog
 16世紀、日本の多くの農村は武装していた。『七人の侍』の農民・侍・野伏(ノフセ)を対立させる設定は誤りである。
 『七人の侍』は1954年に公開される。自衛隊発足の年である。
 1998年、黒澤明死去。
 彼には日系人にアメリカ人として原爆を謝罪させるという歴史認識の欠如あり。
 『乱』(リア王がモデル)は抽象的。
 『七人の侍』の侍の物語はコソボのセルビア人にはいつでも起きることである。周りは多数派のアルバニア人。
 キューバではアメリカという野伏(ノフセ)の脅威があり黒澤が必要。
 
 
 Ⅰ 映画ジャンルと化した『七人の侍』
 『七人の侍』は映画の1ジャンルであり多くのリメイク、パスティッシュ(模倣)がある。
 原型①ロード・ムーヴィー:仲悪く喧嘩ばかりしているが最後に恋人となる『ある夜の出来事』のような形式。いずこかへの旅の途中で起こるさまざまな出来事が映画作品の物語となっているもの。
 原型②グランドホテル形式:数多くの人たちが集まり思わぬ予期せぬ人間模様が生まれる。
 原型③悪を退治し去っていくヒーロー。Ex.『シェーン』
 原型④助っ人たちが共同体を守るという『七人の侍』ジャンル。Ex.1『荒野の7人』としてリメイク(1960年)。原作使用料を払う。Ex.2『ラガーン』:インドのクリケットの話。無力な者たちが共同体を統合しナショナリズムのもと目標を実現。Ex.3『サムライ7』:日本アニメ。『七人の侍』のパスティッシュ。しかしナショナリズムはない。
 
 
 Ⅱ 『七人の侍』公開の1954年
 復員兵、引揚者が食い詰めた浪人たちのイメージである。引揚者は馬賊、ソ連の囚人部隊に襲われた。
 1954年は自衛隊発足の年、ソ連への恐怖、国防問題の時代。
 民間情報教育局(CIE)による封建主義、仇討、暴力の禁止。1952年、占領終了でチャンバラ復活。『七人の侍』の製作可能となる。
 1946年の東宝争議が戦争責任について懺悔と追及。組合が勝利。スターたちは離れ新東宝を結成。
 東宝がタカ派に転じ1948年共産党員を大量解雇。1950年GHQがレッドパージ令。1952年共産党が山村工作隊・武装闘争路線。
 『七人の侍』は東宝で制作するが旧知の大スターはいない。三船敏郎がニューフェース。
 七人の侍は満州国建国を目指した県参事官たち、農民は中国の農民との解釈がある。
 
 
 Ⅲ 時代劇史と『七人の侍』
 構想1:武士の名誉の究極の自己表現としての切腹を描きたい。
 構想2:『本朝武芸小伝』(1711-16正徳年間)はクライマックスのみで起承転結がない。
 構想3:侍に飯を食わせる村という話に飛びつく。
 『七人の侍』は5本から7本の映画を制作できるだけの金額がかかる。
 1954年に公開された『七人の侍』は大ヒットする。
 『七人の侍』は時代劇の大胆な革命といわれる。
 映画は歌舞伎の模倣として始まりこれが旧劇である。近代化された日本を描く演劇が新派でこれも映画化される。1912年成立の日活は京都で旧劇、東京で新派を撮影。
 1920年代、旧劇が講談本・浪曲を取り入れ時代劇となる。そして時代劇はハリウッドの西部劇から影響を受ける。1930年代、時代劇の黄金時代。時代劇と言いながらも現代人の心を描いたので「丁髷をつけた現代劇」と呼ばれる。
 1930年代後半、日本の歴史を厳粛に描く「歴史劇」映画が製作される。
 敗戦後、民間情報教育局(CIE)の検閲で時代劇は実質、禁止。1952年の独立後、空前の時代劇ブーム。Ex. 新興の東映が満州からの引揚者により設立される。
 黒澤作品、1952年『荒木又右衛門、決闘鍵屋の辻』は「リアリズム時代劇」だが、だらしないチャンバラで興行的に不成功。
 リアリズムが『七人の侍』に引き継がれる。武術家の指導を仰ぐ。例えば菊千代が「1本の刀じゃ5人と斬れねえ」と言う。
 しかし1961-62年になると黒澤はグロテスクを見世物とする新しい殺陣に移行。
 
 
 Ⅳ 侍・百姓・野伏
 侍は6人。指導者勘兵衛、若い勝四郎などホモ・ソーシャビリティの世界。菊千代は偽サムライ。
 百姓は難民、村は難民キャンプ。頑迷、狭量、卑屈、狂暴。落ち武者狩り。深沢七郎の世界。侍と野伏に違いはない。
 Cf. 1982年レバノン、パレスチナ・キャンプ大虐殺。
 菊千代は百姓の出自。偽家系図で菊千代は13歳。マッカーサーから日本人は12歳と言われトラウマ。
 パッシング(やり過ごし)文学:白人・黒人のハーフで白人に見える者が自分を隠す苦悩。マラーノ文学:キリスト教徒に改宗したユダヤ人の文学。菊千代は浮浪児。
 1954年、『ゴジラ』は反核映画。
 
 
 Ⅴ 野伏:敵とは何か
 頭目以外、野伏に個別性が描かれない。敵の表象の貧しさ、不在。
 『七人の侍』は1587年の設定。1588年刀狩令。武装する百姓が真実。野伏と浪人は同じもの。
 山賊も百姓と同じ弱者である。Ex. 中国なら両者にとって敵は官軍。敵もまた人間であるという認識の黒沢における欠如。戦争映画と共通。
 
 
 Ⅵ 『七人の侍』の評価
『七人の侍』で黒澤は戦闘における合理主義を描く。精神主義の否定。
 戦闘は侍と侍(野伏)の同士討ち。百姓の勝利。戦いが終われば侍は無意味。
 悪辣な農民と善良な農民の分裂の問題。知識人としての侍のヴ・ナロードの敗北。
 自民党が『七人の侍』(1954年)を再軍備肯定の映画として高く評価。1954年、自衛隊発足。Cf. 『ローマの休日』と同時公開。
 ハリウッドの西部劇に敢然と挑戦と『七人の侍』を東宝は宣伝。西部劇の日本化。
 『七人の侍』には悲痛・虚無的・暗鬱との批判がある。
 『七人の侍』はスペインでのナポレオンへの抵抗、紅軍の抗日戦に比すべき農民のレジスタンス映画とも評価できる。

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