親戚の法事があった。
法事に呼ばれたのはコロナ禍以降で初めてだったので、何年振りかでお会いする人も多かった。
たまたまお坊さんの近くに座っていたこともあって、読経が始まるまで雑談した。「コロナ禍以降、家族だけの法事が多かった。こんなに大勢が集まるのは珍しい」と。
お坊さんの息子さんが修業中の丸亀市にある本願寺塩屋別院のことも聞かせてくれた。兵庫の赤穂の塩田の流れを汲むこと、四国4県のお寺を管轄すること、第一次世界大戦時にはドイツ人捕虜収容所であったことなどを知った。友人が送ってくれて知った丸亀名物の骨付き鶏でも話は盛り上がった。
お経はたっぷりの1時間だった。教本があれば唱和できるお経もあったが、持参していなかった。参加者は誰も唱和しなかった。目を閉じ故人のことを思い浮かべたりしながらお経を聞いていた。
いつもながらお経を聞きながら思ってしまう。現代人にわかりやすい言葉に置き換えたお経であれば、心が洗われたり響いたり沁みたりするはずなのに。せっかくの機会、あー勿体ない。そう思うのは自分だけかも知れないが・・・
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いつもだと法要が終われば、その場で飲食したり料亭に行って飲食したりのパターンだが、さすがに今回は手土産だけでなく料理やお寿司も持ち帰るパターンだった。
商品券やお菓子などいくつもの手土産が入った手提げ袋を1つ1つ開けていた家内が、「これ みて」と。
隣町にある娘の同級生のお店の品だった。以前に娘がもらってきたのを食べてから気に入り買うようになった「シラスの佃煮」だった。家内と、なぜこの商品のことを知っているんやろ? なぜこれを手土産にしたんやろ?・・・ビックリだった。
太刀魚の天ぷらも入っていた。
インフルエンザと同扱いになったコロナ。それでも病院ではマスク着用となっているし、人が集まる場所ではマスク着用者も多い。「おちょこ」を酌み交わすことが敬遠されれば、座敷での酒席も変わらざるを得ないのかも知れない。