紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

People to Peopleのテナントが出てきた

2019年07月06日 | 旅行・街歩き・お店・写真

今日からしばらくは曇り予報だった。昨夜のお天気解説では「降っても紀伊半島のごく南部」だった。ごく南部と言われれば潮岬や新宮市、せいぜいが白浜周辺までと思っていた。

朝起きると、しっかりと雨が降っていた。エーと思った。朝から動力噴霧器で果樹や庭木の薬剤散布をするつもりだった。朝っぱらから気勢をそがれた。久々に出ていた「ヤル気」が萎んでしまった。再起不能かも知れない・・・


身の回りの片づけを始めた時だった。引き出しの奥から懐かしい物をみつけた。国際交流団体のペナントだった。途端に、その当時にタイムスリップした。

知人の高校関係者から頼まれた。

「韓国の大学生が来るんやけど、1週間ホームステイさせてもらえんやろか」

「それって、何?」

「我が母校、国際交流しているんで、今度、受け入れることになったんや」「欧米人だと、すぐに受け入れ家庭がきまるんやけど、アジアからだと受入れ家庭が少なくて・・・ 困ってるんや」

「そうか・・・ ウチの家で良かったら・・・ でも言葉が全くわからんから少し日本語が話せる学生さんでないと・・・」

「おおきに。助かった」

・・・・・・・

せめて挨拶ぐらいはと、当時、小学生だった息子や娘達と買ってきた翻訳本で「アンニョンハシムニカ」「ネイルムン〇〇イムニダ」などを勉強した。日本語が話せる女子学生だったので言葉の心配は杞憂だった。ただ、受入れを決めた時、家族に経緯を話すと明治生まれだった父母はソッポを向いていたのが気になっていた。

滞在1週間、彼女が帰る日、父母がいろんなものをお土産に渡していた。「エー そんなん 自分にも欲しいわ」というような品までプレゼントしていた。別れの時、彼女も家族も涙が止まらなかった・・・このペナントをみると、そんな想いが昨日のように浮かんできた。

途端に韓国旅行を思い出した。定年後、家内とプサン旅行を2回した。

親切で日本語堪能だったホテル隣の土産物屋のオバチャン、毎回、よもやま話を楽しんだ。帰り際、いつも、お土産まで渡してくれた。

BIFF広場にある「くるみ饅頭」の店員さん、買ったお土産が重たかろうと気を遣ってくれて車でホテルまで届けてくれた。6個しか買わなかったのに7個も届けてくれていた。

HISのガイドさんにおすすめの焼き肉店を訪ねた時だった。国際市場で働いていたという彼女、馴染みの「焼き肉店」を紹介してくれたばかりか、注文する内容も事細かに名刺の裏に書いてくれた。「何かあれば電話して」と携帯番号までメモしてくれた。その店は、地元の人達ばかりが利用する有名店で片言の日本語も通じなかった。日本に帰ってから、彼女の携帯に「ありがとう」と電話した。

北海道や沖縄へ行くよりも近い釜山。親切だった人を思いだすと、また行きたくなってきた・・・政治やビジネスの世界と違って、人と人は仲良しこよし・・・




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