夕日観音
朝日観音
弥山の展望台から厳島合戦の古戦場と云われる駒ケ林(絵馬ケ岳)を遠望。かつて多宝塔から駒ケ林下に至る登山道があり途中に夕日観音と朝日観音が祀られていたが、現在は閉鎖され登山禁止となっている。
夕日観音
朝日観音
弥山の展望台から厳島合戦の古戦場と云われる駒ケ林(絵馬ケ岳)を遠望。かつて多宝塔から駒ケ林下に至る登山道があり途中に夕日観音と朝日観音が祀られていたが、現在は閉鎖され登山禁止となっている。
我が家から弥山をカメラの望遠で撮影すると展望台の上の人がいるのが見えるので、展望台上から我が家が見えるのではと撮影すると、条件が悪かったので鮮明には撮れなかったが下画像中央に我が家がみられた。
弥山への登山は久しぶりであり平成25年(2013)に建築されたという現在の展望台は初めてである。大聖院コースから登山して紅葉谷コースで下山したが、途中5~6人の登山者に会っただけであるが弥山山頂は大勢の人であった。多くの人達がロープウェイを利用しているのであろう。下画像の以前の展望台の頃は紅葉谷公園の四宮神社付近から展望台下に至る険しい登山道があったが現在は閉鎖され通行止めとなっている。
修復なった大鳥居を見ながら厳島神社に向かい初参りして弥山に初登山をした。修復なった現在の鳥居は明治8年(1875)に建立されたようである。下画像の大鳥居絵図は享和元年(1801)に棟上げされた先代大鳥居の各部の寸法などが表されたものである。
時折り紹介している新設なった広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況で、現在国道2号線から分岐しての観光客用アクセス道路(赤崎3号線)の工事が行われているが、現状ではどのような道路形状になるのかは不明である。
今年も椎茸のホダ木を補充するためにクヌギの木(当ブログ主はドングリの木と称している)を伐採し、春ごろに植菌をする予定である。全くの素人栽培であるが数年経つと少しずつ椎茸が生えだして我が家で消費するぐらいのものが出来るのである。
極楽寺に参詣する人で本堂の屋根頂にある宝珠・露盤で露盤に銘文があることに気付く人は殆どいないであろう。銘文によると路盤は旦那宍戸元次で慶長4年(1599)に鋳造されているが鋳工名がみられない。宝珠にも銘文があるようだが下からは見ることが出来ない。銘文によると宝永元年(1704)に廿日市鋳物師の山田貞能が鋳造している。
廿日市参道の30丁碑手前に石積みがみられ上部は平坦地となっている。この場所は幕末期の砲台跡であると先人から聞いたことがある。大正期の地誌などに第一次長州戦争時、極楽寺山の南方頂に近き所に広島藩が仮砲台を設け、農兵を募り応援隊として之を守備したことが記されている。ここには陣小屋場、篝焚小屋などがあったようで何と木炮が配備されていたようである。 (木炮画像-下関市立歴史博物館)
上画像は極楽寺参道途中にある「ど根性松」で、樹木は通常上に伸びていくものであるがこの松は画像左側向うが根元で、幹が赤線のように大きく曲がって参道脇で上に伸びているのである。中画像は26丁碑脇にある通称「手無し観音」でかつて木造の観音像が祀られていたが現在は石仏が祀られている。ここからの瀬戸内の眺望は素晴らしいのであるが一昨日は曇天で・・・
下画像は通称屏風岩の上に大日如来の石仏が祀られている。かつてお堂の中に祀られていたが堂は朽ちて跡形も無くなっており、屏風岩正面には名号が刻されていると言われているが判読できない。
極楽寺山に初登山して極楽寺に初参りをした。体調に少し不安もあったが二人の孫達を助っ人に、往復4時間半かかって何とか家にたどり着いた。昨年1月に登山して1年ぶりであったが、昨日は曇天で瀬戸内方面の展望は良くなかった。
一昨日紹介した林道玖島科川末線の工事ケ所から広島湾を遠望。串戸から木材港北の工場群や廿日市の町並みがみられ、瀬戸内の左側には津久根島がありその斜め先には安芸の小富士(似島)とその先に灰ケ峰がみられる。海の向うには能美島、江田島、倉橋島の山々がみられ、その向こうにうっすらと四国の山々がみられる。
(佐方-2008年)
(飯山-2007年)
(浅原-2009年)
(中道-2007年)
(友和-2010年)
兎年となりましたのでストック画像から兎年に因んだ蔵飾り(通常鏝絵と言われているが当ブログ主は蔵飾りと称している)を紹介しよう。これらは平成19年(2007)から平成22年(2010)に廿日市地区と佐伯地区で撮影したものであるが現在は失われたものもあるようである。
昨日は天候もよく初ウォーキング ~~~
度々紹介しているウォーキング途中にある原伊勢神社、立善寺、河野原大歳神社の三社寺参りをした。今まで伊勢神社で参詣者に遭うことがほとんどなかったが正月で三々五々お参りの方がみられた。
例年のように元日の早朝には速谷神社の歳旦祭へ初参りを済ませたので、おせち料理で腹ごしらえをして菩提寺である西蓮寺、長い石段のある二重原地区の八幡神社へと三社寺の初参りをした。