『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

妙音寺原八幡神社奉納絵馬

2013年10月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


先日紹介した妙音寺原八幡神社の拝殿に掲額されている絵馬で退色して不鮮明であるが熊に乗る金太郎が描かれているようである。
紀銘文によるとこの絵馬は天保13年(1842)3月3日に元祖三浦三左衛門、大工足立政右衛門が奉納したようである。

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秋祭り

2013年10月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


実りの秋を迎えた昨日は秋祭りで、収穫を喜び合い氏神に奉納していた伝統行事の「俵もみ」が子供会によって行われた。
上平良地区の1区から3区までの子供会・保存会などの俵みこしが氏神である速谷神社への奉納で境内は大賑わいであった。

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ハゼ架け

2013年10月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区では稲刈りが各地で行なわれており天日乾燥の従来型のハゼ架けで、農家により稲束の二段目の架け方の違いがみられる。
上画像はハゼの長手方向に稲束を直角にかぶせたもの、中画像は二股にして稲束をかぶせたもの、下画像はハゼの長手方向に稲束を斜めにかぶせたものである。

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遊びの菜園-さつま芋の花

2013年10月12日 | その他


さつま芋の花が咲くのは栄養生長(芋の肥大)ができない環境下におかれたために生じる現象で、降雨量が少なく干ばつ気味の時に開花することがあるようであるとネットにあった。
しかし、現在も毎日数多くの花が咲き続けており、このような状態は始めて見る現象である。さつま芋の種を見たことがないので結実するかと思ったが花芽は次々と落ちていき種はできそうにない。

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木屋瀬宿町屋の鏝絵

2013年10月11日 | その他


昨日は北九州市に行く用事があり寸暇を惜しみ長崎街道の木屋瀬宿の町並みの一部を急ぎ足で散策した。
町並みの中にある町屋「もやいの家」の壁面には「達磨大師、木屋瀬宿場踊り、象」の漆喰細工が色鮮やかに施されている。この鏝絵は現代の鏝絵師三浦辰彦氏の作品のようである。

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妙音寺原八幡神社

2013年10月09日 | 「吉和地区」ぶらり


妙音寺原にある八幡神社で社殿は新しく昭和後期頃に建替えられたようである。
当社には天正5年(1577)の棟札が残されており古い時代から祀られていることがわかるのである。

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速谷神社社叢の樹木

2013年10月08日 | 「廿日市地区」ぶらり


秋祭りが近づいてきたので昨日は地域の人達と速谷神社境内の清掃をした。宮司さんのお話によると、社叢を形成する樹木の種類は植物専門家の調査によると74種類の樹木があるそうである。
大正期に現在の境内に整備され神域に相応しい樹木は献木でまかない樹種は41種類であったようであるが、その後隣接山林からの種子飛来や鳥や獣などによって樹種が現在まで増加したもののようである。

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幟立て

2013年10月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


13日は氏神である速谷神社の秋祭りであり昨日地域の人達と幟を立てた。
心配事は台風24号の進路であるが強風が吹くと破れるので降ろさなくては・・・

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ウンカ禍

2013年10月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は当ブログ主の田んぼのウンカ被害を紹介したが、宮内地区では田んぼの殆んどがウンカ被害に遭って周辺部の少しが残っているところがあった。
ウンカ被害に遭うと稲はスカスカとなり昨日の雨で枯れ稲は倒れており、この田んぼでは殆んど収穫は望めないであろう。

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やりっぱなし農業-ウンカ被害

2013年10月05日 | その他


親から稲作を引き継いで20数年経過するが今まで無農薬で栽培しウンカ被害に遭ったことがなかったが今年初めてウンカ被害に遭った。
日に日に画像のような坪枯れ状態が拡大してきた! ウンカが稲を吸って枯らすのが先か・・・稲を刈り取るのが先か・・・ 他所の田んぼはもっと深刻なので少し稲が青いが急遽稲刈りをした。

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的場の里程標石

2013年10月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


的場の旧県道沿いで市道佐原田線交差点付近にあり、この標石は何度も移転した後現在地に至って下部の刻字は判読不能となっている。
この標石には表「距 廿日市里程標 壹里」、右「距 廣島里程元標 四里拾七町廿四間二尺四寸」、左「明治廿四年五月建之 宮内村」と刻されていた。この標石は佐伯郡役所から1里の標石で明石に2里の標石が残されている。

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県道の道路開通記念碑

2013年10月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


天王社前の旧県道沿いに建立されている道路開通記念碑で、津和野街道は険悪な道であり明治期に入ってこれらを改修した記念に明治27年(1894)建立された。
昨日紹介した江戸期から津和野街道のバイパス的なルートであった的場経由の道も県道として改修されており、県道改修は明治24年(1891)に竣工している。

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砂原土橋の道しるべ碑

2013年10月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


この道しるべ碑は御手洗川に架かっていた旧西国街道、砂原土橋のたもとにあったが現在は宮内市民センター前庭隅に移設建立されている。
石碑には右石州道、左九州道とあるが津和野街道の分岐点は明暦3年(1657)頃そおり田土橋、正徳4年(1714)頃から明和8年(1771)頃鑓出し口土橋、文政2年(1819)頃から安政6年(1859)頃佐原田土橋となっており、御手洗川の折曲部付近に架けられた分岐点の土橋は度々流出したものとみられる。これらにより公式ルートより別の的場経由のバイパス的なルートが併用されていたものとみられるのである。

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津和野街道分岐の道しるべ碑

2013年10月01日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内地区を通る県道30号線から大野方面に向かう畑口橋交差点の脇に移転建立されている旧津和野街道分岐の道しるべ碑で、石碑中央には南無阿弥陀仏、右側には右ハ石州道、左側には左ハ九州道と刻されている。
旅人の安穏を願って建立されたもののようであるが、かつての津和野街道分岐点は災害などで何度も位置が変わっておりどこの位置にあったものかは定かでない。

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