『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

福善坊山門の木鼻

2012年10月16日 | その他


三次市穴笠町にある福善坊山門の4角に取付けられている木鼻で、虹梁方向に漠頭と直角方向に獅子頭の彫刻がみられる。
獏頭と獅子頭の左右には阿形(口をあけている)と吽形(口をとじている)がみられる。

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秋祭り-俵もみ

2012年10月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は地域の秋祭り、『農耕が中心の先人たちがつらい農作業を経て実りの秋を迎え、収穫を喜び合って氏神に奉納していた「俵もみ」を』子供会中心に行なわれた。
子供会の児童、幼児などの父兄やOBなどが参加してにぎやかに速谷神社に向って参詣奉納した。
『 』部分は当ブログ主が平成2年の子供会に関わった時に用いた文言であるが22年経過した現在の子供会案内でも使用されており有り難いことである。

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速谷神社奉納神楽

2012年10月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨晩は秋祭りのヨゴロで速谷神社の神楽殿では豊栄神楽保存会と河津原神楽団の神楽奉納があった。
画像は河津原神楽団による高田八調子の弁慶と牛若丸を演じている。

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福善坊本堂の大棟

2012年10月13日 | その他


所用で三次方面を訪れたついでに放浪をしたので種切れを補うために紹介します。
穴笠町にある浄土真宗本願寺派の福善坊本堂で、大棟の造りが通常見かける熨斗瓦を積み上げたものでなく、棟部分に小壁を設けて中央に西本願寺紋が表示されていた。他の寺院を見ていないので詳細は不明であるが地域的な造りなのであろうか。

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稲のハゼ架け

2012年10月12日 | その他


昨日残っている田んぼの稲刈りをした。猫の手よりも役に立つ孫の手も平日で借りることが出来なかった。
三又と二又のハゼ杭を交互に立ててナルを架け渡し、稲束を2段に重ねる昔からのハゼ架けである。“ハゼ廿日”と昔から言われており今月末頃には乾燥するので稲こぎをする予定である。

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速谷神社境内出土の槍先型石器

2012年10月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


速谷神社のブログによると今年5月に境内より槍先型の石器(右下画像)が見つかったようである。当社境内では戦前にも採集されており、同じ境内で2点も出土しているのである。
この石器は縄文時代草創期(1万年前)の尖頭器(石槍)で、縄文時代草創期に上平良の地で人々の生活が始まっていたことを示すものである。
ところで速谷神が初史料にみられるのは「日本後記」弘仁2年(811)であり、縄文時代草創期ははるか彼方の昔であるが、縄文人の貴重な道具であった尖頭器(石槍)2点がまとまって速谷神社境内から出土しているのは古代祭祀場など何らかの信仰的な繋がりがあったのであろうか。(石器画像-速谷神社ブログ、図説廿日市の歴史より)

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綿と鉈豆の今

2012年10月10日 | その他


時折紹介している観賞用の綿と鉈豆で、綿の花が落ちた後に実がついて実が弾けて中から白い綿毛が吹き出してきた。
これを収穫して来年栽培する予定である。ナタ豆も実が入っており来年の種豆にするために莢が枯れるまで待つことになる。

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八所宮にある厳島神社の梵鐘

2012年10月09日 | 廿日市関連


所用で福岡県宗像市に行ったついでに古社である八所宮に行きここにある厳島神社の梵鐘を拝見した。
この梵鐘は豊臣秀吉の島津攻略の際に八所宮から持ち帰って厳島神社に寄進したと言われており、昭和59年(1984)に八所宮に貸し出されたようであるが以降そのままになっているようである。広島県教委のHPによると現在も広島県重要文化財で八所宮へ貸出中とある。

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厳島神主家の本拠地-桜尾山

2012年10月08日 | 「廿日市地区」ぶらり


桜尾山の遠望でかつて桜尾城跡があったが昭和42年(1967)ころ埋め立てのために削平されて城跡は消滅し現在は桂公園となっている。
かつて標高31mの本丸、二ノ丸、三ノ丸、東ノ丸、北ノ丸などの平壇があり海に臨んだ要害の地であったが、今は往時の様相を窺うことができない。

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中世の攻城-天神山・篠尾

2012年10月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


天満宮、正覚院がある天神山・篠尾山の遠望でこの地には中世のころ桜尾城を攻めるための天神山篠尾の城があり、大内勢の吉見、杉、内藤氏等が陣取っていた。
右側が天満宮、正覚院がある天神山で左側にみえる山が篠尾山であるが後世の掘削で城跡は残存していない。

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人参の芸術

2012年10月06日 | その他


俄か百姓をしているととても商品にはならないような味のある面白い形状の人参が出来た。
何とか人参(人参名不明)であるが土壌が硬かったものとみられ真直ぐに伸びきれずに奇形の人参となった。

コメント (2)
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廿日市8代目桜島大根の今

2012年10月05日 | その他


廿日市育ちの桜島大根を時折紹介しているが、今年で廿日市8代目の桜島大根の種を9月8日に蒔いたものを少しずつ間引いて4ケ所2株ずつにして最終的には4株とする予定である。
今まで天候が良かったので順調に育っているようであり、この度はどのような桜島大根になるだろうか。

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中世の攻城-岩戸山

2012年10月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方本町の山陽女学園がある岩戸山の遠望でこの地には中世のころ桜尾城を攻めるための攻城である岩戸山の城があったが埋立土採取のために城跡は消滅した。
岩戸山は当時海に面しており要害の地で陶晴賢の親である興房が約1年間在陣していた。現在称されている岩戸尾城は江戸時代の地誌編纂ころに七尾城の一つとして称されるようになったもので中世には岩戸山と記されている。

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五龍山新宮の龍彫り物

2012年10月03日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


島根県吉賀町六日市にある新宮神社の向拝部分に彫られている龍の彫刻で、五龍山新宮といわれているのでそれに因んだものであろう。
向拝柱に架けられている虹梁中央部の蛙股に相当する部分に翼龍が彫られており、木鼻部分にも龍が彫られて何れも迫力のある龍の彫刻である。

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二重原八幡神社の三十六歌仙額は

2012年10月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


市域の多くの神社に三十六歌仙額が奉納掲額されているが、現在二重原八幡神社では見当たらない。
ところが昭和58年(1983)ころに確認したとき宝暦9年(1759)に三十六歌仙額を奉納した人達の名前を記した額があったので、かつて当神社にも三十六歌仙額が掲額されていたが長い年月で劣化損傷して廃棄されたようである。

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