昨日紹介した旧国道186号脇(山林字名:北山)に小堂があり石仏が安置されている。石仏には「天明八年(1788)申九月」と刻されている。
江戸期この付近は往還道もない山中であり栗栖山では木地屋が家業していた。この石仏は天明の飢饉で木地屋の犠牲者を供養するために建立されたものとみられる。資料によると栗栖山木地屋は土地の住人に比べて裕福な生活をしていたことが推察でき、このような石仏を建立できる資力を持っていたのではなかろうか。(参考:西中国山地の木地屋)
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