新宮1丁目の可愛川西土手道脇に安置されている榎窪地蔵で、以前はもう少し上流側にあったが宅地造成のために現在地に移された。
江戸期、往還近道として潮音寺裏から串戸通りの小道があり、本往還(越峠垰通り)より二丁程(約220メートル)の近道で西国の大名もこの道を利用していたようである。この往還近道沿いにあった榎窪地蔵は往来する旅人が行路安穏を祈願していたものであろうか。
goo blog お知らせ
プロフィール
ログイン
最新コメント
- ひろし曾爺1840/Amebaブログに移転
- hera/マキノバス自動車待合所跡(広電バス廿日市営業所跡)
- 鈴木弘子/マキノバス自動車待合所跡(広電バス廿日市営業所跡)
- hera/木炭自動車が!
- nk0840/木炭自動車が!
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/ 平良丘陵開発の今
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/抹茶碗で一服⑥-楽山焼
- nk0840/抹茶碗で一服⑥-楽山焼