高畑地区にある孝子久蔵の標石で昭和35年(1960)に建立されている。
この地の小百姓久蔵は貧しいながらも妻と共に懇ろに母親孝行などをし、その律儀さに広島藩主からたびたび米、銀を、また家老上田家の給地であったので給主からもたびたび賞されたようである。
高畑地区にある孝子久蔵の標石で昭和35年(1960)に建立されている。
この地の小百姓久蔵は貧しいながらも妻と共に懇ろに母親孝行などをし、その律儀さに広島藩主からたびたび米、銀を、また家老上田家の給地であったので給主からもたびたび賞されたようである。