バスで出雲地方を走っていると稲刈りが済まされて昔ながらの稲ハゼ掛けがみられた。車中からの撮影でうまく撮れなかったが上・中画像をみると当プログ主が掛ける方法とは変わった架け方のようである。下画像は遠方にみられた数段架けのハゼであった。
バスで出雲地方を走っていると稲刈りが済まされて昔ながらの稲ハゼ掛けがみられた。車中からの撮影でうまく撮れなかったが上・中画像をみると当プログ主が掛ける方法とは変わった架け方のようである。下画像は遠方にみられた数段架けのハゼであった。
観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2022.6)で再掲します。北海道沙流郡平取町を流れる沙流川に設けられた二風谷ダムで「にぶたに湖」と称されているようである。堰堤の高さは32メートルで長さは550メートルもあり、見たことがないような構造の堰堤である。
観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.5)で再掲します。隠岐島後の隠岐の島町を流れる八尾川水系支川の銚子川に設けられた銚子ダムで「伊賀湖」と称されているようである。治水・上水道用用水確保のために設置された多目的ダムのようである。
当方、ダムカードマニアではないが観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.4)で再掲します。萩市の沖合にある見島にある見島ダムで「見島ゆりや湖」と称されているようである。治水・上水道用水確保のために設置されたダムの堰堤は長いけれど小規模なダムである。
地域のOLD倶楽部の人達と北長門方面を旅行した。角島大橋が開通した時に訪れて以来の久しぶりに訪れた。龍宮の潮吹きは遥か昔に訪れたが現在は元乃隅神社が祀られてすっかり様子がかわっていた。ずらりと並んだ赤い鳥居の景観はインスタ映えするとのことだろうか多くの人達がみられ、なんと岐阜県から観光バスがやってきていた。
本日から広島サミットが開催される。以前訪れた北海道洞爺湖畔には平成20年(2008)7月に開催された洞爺湖サミットを記念した洞爺湖サミット記念館が設けられていた。記念館内には各国の首脳たちが意見を戦わせた会議テーブル等が保存展示してあった。
神楽殿の大注連縄で出雲大社のHPによると長さ13.6メートル、重さ5.2トンとあり日本最大級の注連縄といわれている。かつて訪れた福岡県福津市にある宮地嶽神社の大注連縄(下画像)はHPによると「当神社の注連縄は直径2.6m、長さ11m、重さ3トンの日本一の大注連縄で当社のシンボルである」とある。
かつて拝殿の西側には上画像のような、神社建築の社殿が建ち並んだ境内に異彩を放った斬新な鉄筋コンクリート造の庁舎があったが現在は下画像の木造庁舎が建てられていた。旧庁舎は著名な建築家菊竹清訓氏が設計したものであるが、老朽化や耐震問題などのために建替えとなったようである。
石見路から急遽コースを変えて何年ぶりであろうか久しぶりに出雲大社へ参詣のため訪れた。お参りをする八足門手前の石段下には過去に行われた発掘調査で出土した巨大な本殿跡の柱根元部分を表したマークがみられる。下画像は平成12年(2000)4月29日付の読売新聞一面で、トップ記事に巨大な柱根元部分の出土を報じている切り抜きである。
島根県はアナゴの漁獲量日本一でその半分は大田市で水揚げされているようであり、久しぶりに穴子料理を食べに大田市に向かった。
GW期間中メニューとなっていたが穴子丼と連れ添いは穴子天丼を食した。大雑把な配膳であったが瀬戸内ではみられないようなボリュームたっぷりの穴子料理を堪能したのである。
長良川鉄道の終着駅である北濃駅から長良川沿いの桜など見ながら観光列車ではなく普通列車で郡上大和駅までの列車旅をした。北濃駅は元国鉄の越美南線の終着駅だったようで当時の転車台が残されており、国の登録有形文化財に登録されているようである。
上画像は郡上八幡の職人町・鍛冶屋町・柳町の町並みで、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されているようである。吉田川を渡った伝統的建造物群保存地区の新町通り町並みにウダツある町屋が2棟みられた。中画像は水野家住宅、下画像は斉藤家住宅で何れも鉄板葺きの屋根で本ウダツが設けられている。今まで見てきた本ウダツとは異なり屋根勾配が緩くウダツ屋根も鉄板葺きのためよく見ないと気付かないようなウダツである。
飛騨高山の古い街並みから宮川に架かる柳橋を渡り本通り商店街にある山桜神社社殿の建屋上にある木造の火の見櫓である。嘉永7年(1854)に馬頭組により火消溜所が建てられたようで、大火で明治14年(1881)に再建され、昭和7年(1932)に現在地に移築されたようである。櫓内には明治14年(1881)刻銘の半鐘が吊り下げられているようで再建時のものとみられている。構造は江戸時代からの櫓建築の技法を踏襲しているようであり登録有形文化財(建造物)に指定されている。