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今日のデザートから 「銘菓 舌鼓」

2006年10月07日 22時55分57秒 | 閑話休題-呟き&街角ウォッチング♪
今日のデザートから「銘菓舌鼓」


先日、奥方がANAの超特割を使い田舎へ帰省しました。その時のお土産としてリクエストしたのがこれ、山口市にある山陰堂の「銘菓舌鼓」です。前々からもう一度食べてみたいと思っていた山口県で3本指に入る銘菓と思っていた一品です。白餡をやわらかい求肥(ぎゅうひ)で巻いた上品な求肥饅頭です。

一口食べると強烈な甘さが口いっぱいに広がり、甘党には堪えられない一品かもしれません。久しぶりに食べたけど、この病気になってからは、砂糖類から完全に遠のいて、甘さというよりは、素材の持つ本来の味を追求していたので、この甘さは、ちと私には合いませんでした。昔は、こんな甘さに飢えていたんですねぇ~!なんか今は昔の話になったみたい。



この求肥・・・どう作られるのか知っていましたか? 白玉粉や餅粉などのもち米からできた粉を軟らかくこねて煮たものに、水に砂糖を溶かしたシロップを加えて練ってから冷ます。日本には平安時代に唐から伝わったそうですね。求肥って「牛皮」と書いて、牛の皮から作るのかなと思っていました・・・(ボソッ!!!)( ̄o ̄;)ボソッ

所で、この山陰堂、日本海側で無く、瀬戸内海側の山陽方面にあるのに何故山陰なんでしょうか?面白いですね。ちと「銘菓舌鼓」と一緒にネットで調べてみました。

山陰堂の創業は、明治16年、初代竹原彌太郎が試行錯誤を重ねて作り上げた求肥饅頭が「舌鼓」だそうです。当時の総理大臣・寺内正毅が「このような美味しいお菓子であれば、名菓舌鼓に改称したほうがよい」と感想を述べられたことから現在の名前になった逸話があるようです。この「名菓舌鼓」は、明治の頃からあったんですね。今も変わらぬ味・・・凄いかも。

で、山陰堂はといえば・・・
ネットより抜粋:「初代の竹原彌太郎の父、岩治郎正直のときまでは竹原家は津和野藩の食客という立場の武士で、平川という仮の姓を名乗っていました。なぜかというと、竹原家はもともと、現在の広島県竹原市の領主だったが、毛利氏と戦って領地を奪われた。そこで執拗な毛利の追及を逃れるため、名前を変えたのである。

山陰の鳥取で身を寄せた反毛利の亀井氏が、徳川時代に津和野藩主になったのに伴い、平川(竹原)家もいっしょに移ってきたというわけだ。明治を迎えるまで、何百年にもわたって仮の姓を名乗っていた。竹原家の墓は、竹原市にも津和野町にもある。」とのこと。奥が深すぎる・・・氏族から和菓子職人へ・・・面白いですね。

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