受験のときの思い出ランキングというのがありました。
まわりの受験生が皆頭がよさそうに見えた
神社におまいりに行った
げん担ぎの食べ物を食べる
何度もトイレに行った
言葉(受験のNGワード)に気をつけた
滑らないように、道を歩くとき気をつけた
受験で初めて都会に出てきた
答えがわからなくって鉛筆を転がして決めた
試験当日に熱を出した
試験の時間に遅刻した
受験票を忘れた
電車を乗り間違えた
受験番号、名前を書くことを忘れた
などなど・・・
中学受験、高校受験、大学受験・・、
受験のときの思い出って、誰でも何かしらありますよね!
わたしは、試験当日に熱を出したり、試験の時間に遅刻したり、
受験票を忘れたり、電車を乗り間違えたりはないのですが、
それでも、忘れ物をしないように何度も確認したり、
遅刻をしないように早めに家を出たりしました。
小心者で、しかもどじなので、早め早めに行動しないと、なんだか怖いんですよね。。
受験番号や名前も、書き忘れていないかを、何度も確認したように思います。
周りの人がみんな賢そうに見えるのも、なるほどその通りだなぁと思います。
自分だけができなかったんじゃないかなぁって感じたりもしました。
受験生って、ほんとに些細なことで気持ちが上がったり下がったりしますよね。
えんぴつを神社で買った『合格祈願』と書かれたものにしたり、
お守りをかばんにつけたりもしました。
受験の日の朝、いつも使っていたコップが割れてしまって凹んでしまった私に、
母が、『コップが代わりになってくれたから、これでだいじょうぶ!』って
励ましてくれたのを思い出します。
私は大学受験のとき、京都の大学にいきたくて、京都に行って受験しました。
兄が京都の大学だったということもあって、すごく京都にあこがれていて、
ひとつ上のいとこも京都の大学に行っていたので、
受験のときはいとこのアパートに泊めてもらい、
試験が終わったあとは、いとこに京都市内を案内してもらいました。
後で知ったことですが、兄がこっそりいとこに1万円を渡して、
これで私を案内してやってくれと、頼んでくれてたようで
いつもはまったく話もしない兄なのですが、
こんなさりげない優しさがじぃ~んと心に染みてきました。。
わたしは、島の田舎育ちなので、
京都の街にはいろんなお店がいっぱいあって、観光地がいっぱいあって、
すっごい都会に来たような気がしました。
京都の大学にいきたいなぁ~って、ほんとに思いました。
しかし、受験した京都の大学にはひとつも合格することができず
結局滑り止めで受験した県内の大学に入学することになってしまいました。。
そのときは、ほんとに京都に行きたかったなぁ~って悲しかったのですが、
自分の努力が足りなかったので仕方がないですよね。
でも、今思えば、自分が合格したところがきっと自分にとってのベストなんだ、
と思っています。
どこに行っても、自分がそこでどれだけ自分らしく過ごせるか、
どれだけ充実した時間を持つことができるか、が大切なので、
いつまでもくよくよしていたら、時間がもったいないですよね!!
これも後になってわかったことですが、
母の本心は、私を京都には行かせたくなかったようです。
それでも、試験のたびに(もちろん京都の大学の試験の日も)
『合格しますように・・』と神棚に手を合わせてくれていたそうです。。
そんなことはまったく知らず、ただただ自分のことしか考えていなかった自分。
自分ひとりでは何もできず、いろんな人に支えられていたんだなぁと
今さらながら自分が情けなく、
そして、自分はほんとにシアワセものだなぁと思いました。
受験は、人生の節目、新しいスタートラインに立つための試練です。
乗り越えなくてはいけないし、乗り越えられない人はいない。
受験生の皆さん、自分のチカラを信じてベストを尽くしてください!!
検討を祈ります!
明日から日曜日まで、入試業務で大阪に出張に行ってきます。
少しの間、お返事・訪問できませんが、お許しくださいませ。。。。
まわりの受験生が皆頭がよさそうに見えた
神社におまいりに行った
げん担ぎの食べ物を食べる
何度もトイレに行った
言葉(受験のNGワード)に気をつけた
滑らないように、道を歩くとき気をつけた
受験で初めて都会に出てきた
答えがわからなくって鉛筆を転がして決めた
試験当日に熱を出した
試験の時間に遅刻した
受験票を忘れた
電車を乗り間違えた
受験番号、名前を書くことを忘れた
などなど・・・
中学受験、高校受験、大学受験・・、
受験のときの思い出って、誰でも何かしらありますよね!
わたしは、試験当日に熱を出したり、試験の時間に遅刻したり、
受験票を忘れたり、電車を乗り間違えたりはないのですが、
それでも、忘れ物をしないように何度も確認したり、
遅刻をしないように早めに家を出たりしました。
小心者で、しかもどじなので、早め早めに行動しないと、なんだか怖いんですよね。。
受験番号や名前も、書き忘れていないかを、何度も確認したように思います。
周りの人がみんな賢そうに見えるのも、なるほどその通りだなぁと思います。
自分だけができなかったんじゃないかなぁって感じたりもしました。
受験生って、ほんとに些細なことで気持ちが上がったり下がったりしますよね。
えんぴつを神社で買った『合格祈願』と書かれたものにしたり、
お守りをかばんにつけたりもしました。
受験の日の朝、いつも使っていたコップが割れてしまって凹んでしまった私に、
母が、『コップが代わりになってくれたから、これでだいじょうぶ!』って
励ましてくれたのを思い出します。
私は大学受験のとき、京都の大学にいきたくて、京都に行って受験しました。
兄が京都の大学だったということもあって、すごく京都にあこがれていて、
ひとつ上のいとこも京都の大学に行っていたので、
受験のときはいとこのアパートに泊めてもらい、
試験が終わったあとは、いとこに京都市内を案内してもらいました。
後で知ったことですが、兄がこっそりいとこに1万円を渡して、
これで私を案内してやってくれと、頼んでくれてたようで
いつもはまったく話もしない兄なのですが、
こんなさりげない優しさがじぃ~んと心に染みてきました。。
わたしは、島の田舎育ちなので、
京都の街にはいろんなお店がいっぱいあって、観光地がいっぱいあって、
すっごい都会に来たような気がしました。
京都の大学にいきたいなぁ~って、ほんとに思いました。
しかし、受験した京都の大学にはひとつも合格することができず
結局滑り止めで受験した県内の大学に入学することになってしまいました。。
そのときは、ほんとに京都に行きたかったなぁ~って悲しかったのですが、
自分の努力が足りなかったので仕方がないですよね。
でも、今思えば、自分が合格したところがきっと自分にとってのベストなんだ、
と思っています。
どこに行っても、自分がそこでどれだけ自分らしく過ごせるか、
どれだけ充実した時間を持つことができるか、が大切なので、
いつまでもくよくよしていたら、時間がもったいないですよね!!
これも後になってわかったことですが、
母の本心は、私を京都には行かせたくなかったようです。
それでも、試験のたびに(もちろん京都の大学の試験の日も)
『合格しますように・・』と神棚に手を合わせてくれていたそうです。。
そんなことはまったく知らず、ただただ自分のことしか考えていなかった自分。
自分ひとりでは何もできず、いろんな人に支えられていたんだなぁと
今さらながら自分が情けなく、
そして、自分はほんとにシアワセものだなぁと思いました。
受験は、人生の節目、新しいスタートラインに立つための試練です。
乗り越えなくてはいけないし、乗り越えられない人はいない。
受験生の皆さん、自分のチカラを信じてベストを尽くしてください!!
検討を祈ります!
明日から日曜日まで、入試業務で大阪に出張に行ってきます。
少しの間、お返事・訪問できませんが、お許しくださいませ。。。。