Heart and Aqua

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オトナとコドモの境界線

2007-07-29 | こころ
ブルーベリーさんのブログの記事の中に、
『オトナとコドモの境界線ってなんやろう』っていう言葉がありまして、
なんだかとっても引っかかってしまったので、引用させていただきました。

コメントの中の言葉も、ちょっと略して引用させていただくと、
『コドモであることの不自由さ・・大人であることの自由。
 逆にコドモであることの自由さっていうのもあるんだろうなっていうことにも、
 やっと気がついた。
 簡単に書けば今の自分は守られてて世間は甘くない的な・・・もの。』



ブルーベリーさんの言われてることとちょっと違うかもしれないのですが、
私なりに考えてみました。

『オトナとコドモの境界線』、難しいです。。。

年齢でいえば、いわゆる20歳になれば成人で、大人とみなされますが、
でも、20歳になったからって、急にコドモからオトナになるわけではなく。。

中身でいえば、立派にオトナな10代の人もいれば、
まだまだコドモな20代以上の人だっているわけで。。

いったいどこから、いつから、人はコドモからオトナになるんでしょう。
というか、どいうのがオトナっていうのだろうって思うと
よくわからなくなりますよね。



確かに、十分オトナになった今のわたしは、
コドモの頃は自由で、気ままで、うらやましいなぁ、
戻りたいなぁって思うことも多くあります。
でも、自分がコドモの時は、オトナって勉強もしないで、偉そうにしてて
自分のしたいことが自由にできていいなぁって思っていたかもしれません。。

どこまでがコドモで、どこからがオトナってことはないのでしょうが、
だんだんに、いろんな知識が身について、
我慢することも覚えて、自分の思い通りにはいかないことが身にしみてわかって、
世間に折り合いをつけて、世間の常識に逆らえなくなって、
そうやって、だんだんにオトナになっていくんでしょうね。

だったら、オトナって、なんだかとってもつまらないように思えるかもしれませんね~~

ん~~、でも、コドモにはコドモなりの、オトナにはオトナなりの
よいこと、よくないことがあって
お互いがよく見えてしまうのも、仕方がないことかもしれません


なりたい、なりたくないにかっかわらず、
自然に時間とともに、オトナになってしまうんですよね。

私は十分にオトナだけれど、今となっては、コドモのころがうらやましい。
それはやっぱり、自分は守られていたからかもしれませんね。。
今は、とにかく自分ががんばらなければいけない。。

でも、守られていたころも幸せだけれど、
守るべきものがあるというのも、幸せなことかもしれないなぁって、今は思います。



どこからが境界線なのか、結局はうまく言えませんでしたが
自分の経験と、ココロの成長と、周りの環境と・・いろんなものが影響するのでしょうね。
だからきっと、人それぞれ、境界線は違うのだと思います。。

私はいつからオトナになったんだろう。。
まだまだ未熟な部分はいっぱいあります、精神的にも弱いです。。
でも、少しずつ少しずつオトナになっていったのだと思います。

だから、友達がどんどんオトナに見えても、
焦る必要はないですよ。。
私は10代の前半に、こんなこと思いもつかずに日々過ごしてたなぁって思います。

純粋な、今のそのココロは、大切にしてくださいね。。