名水「亀峰水」といわれています。深い山から、花崗岩の土を通って湧き出た清浄な水です。
種田山頭火もこの水を呑んで句を詠んでいます。
「こんなに うまい水が あふれている」となにかそのまんまを詠んでいます。
私の飲んでみましたがおいしかったです。何かやわらかい感じの水でした。
種田山頭火もこの水を呑んで句を詠んでいます。
「こんなに うまい水が あふれている」となにかそのまんまを詠んでいます。
私の飲んでみましたがおいしかったです。何かやわらかい感じの水でした。
ここへ、山頭火がよく来ているのですね。最近新しく(今年になって)また山頭火の句碑が建立されていました。それも参道の階段の中間の踊り場の道の真ん中に置かれていました。
その句は「水音 しーた しーつ おちつきました 」まさにそんな感じがするところです。
・・・・水音がよく聞こえて静かさが染み入って心も静かになります。いい句ですね
その句は「水音 しーた しーつ おちつきました 」まさにそんな感じがするところです。
・・・・水音がよく聞こえて静かさが染み入って心も静かになります。いい句ですね
これは禅昌寺の山門の階段左にある石碑です。漢文でかかれた寺の来歴や大内義弘が300石の土地の寄進を申し出たが断ったはなしなどが、書かれていました。
「山口ところどころ」の冊子のよれば当寺の独住24世松村応隆の撰文書写しを、明治33年に風外虎山が建立したものといわれています。字体は立派です。
今はこの案内板を読まずに現代文で書かれたほうをみんな読んだり見たりしています。
「山口ところどころ」の冊子のよれば当寺の独住24世松村応隆の撰文書写しを、明治33年に風外虎山が建立したものといわれています。字体は立派です。
今はこの案内板を読まずに現代文で書かれたほうをみんな読んだり見たりしています。
この石碑は昔は下馬・下乗の碑といわれて下乗の碑もとなりにあったのですが最近行ってみると下馬の石碑のみになっています。
この下馬の石碑の裏には応永4年10月吉日と彫られ禅昌寺の創建の年月が掘られていますが石碑の磨耗状況から見てもお分かりの通り後年に掘られて設置したものです。
この下馬の石碑の裏には応永4年10月吉日と彫られ禅昌寺の創建の年月が掘られていますが石碑の磨耗状況から見てもお分かりの通り後年に掘られて設置したものです。
聖観音(禅昌寺)の案内板によれば。お経に常日頃から観世音菩薩を一心に念じるものは「苦しいとき、困ったとき」に南無観世音菩薩ととなえると、それもわずかな音量でも神に届き救いの手が差し伸べられてからだが軽くなっていくと説明されています。
功徳がおおきい救世観音といわれていますとかかれていました。
またこの聖観音(禅昌寺)の製作者は有名な北村西望の製作と書いてあります。ありがたく拝ませていただきました。
功徳がおおきい救世観音といわれていますとかかれていました。
またこの聖観音(禅昌寺)の製作者は有名な北村西望の製作と書いてあります。ありがたく拝ませていただきました。