霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

奥の院(禅定台)

2009-12-24 11:49:59 | 歴史/古文書
 此れは禅昌寺の開山の慶屋定紹禅師の墓ということになります。山口に来て10年目の77歳のとき死期が近いと自覚してお寺ら奥にはいり、この地で座禅を組んだまま入寂されてそのままの姿で埋葬されたといわれています。

 禅師は67歳のとき石川から山口のこの地に来て大内義弘は師の弟子となって支援をしていました。禅師の教えを得た人々が700人も当時いたといわれています。人徳の高いお坊さんであったことでしょう。

 室町時代中期の墓で装飾もなく簡素なお墓ですが逆にどっしり感は強いです。

「山口ところどころ」参照

奥の院

2009-12-23 11:38:26 | 歴史/古文書
 この奥の院は禅昌寺の開山、慶屋定紹野お墓があります。今から603年前に作られたものです。中をのぞいてみますと。大きな定石の上に墓標があり、その上には木像がありました。

 「雨抱いて 椿落ちけり 奥の院」という俳句が書かれた立て札がありましたどなたの作かは分かりませんがこのお寺には俳句や和歌の歌が比較的多いですそれもこの風情にあった歌ですので心よく読むことができます。

中の院(阿弥陀堂)

2009-12-22 11:25:55 | 歴史/古文書
 ここには藤原時代末の仏像3体が収められています。今はガラスの格子戸で覆われた阿弥陀堂ですがガラス越しの除いてみましたが塗りははがれています。結構大きな菩薩像です1.5mの高さはあるでしょう。

 市の指定文化財に指定となっています。

古霊園

2009-12-21 10:54:06 | 歴史/古文書
 この大きなお墓は、禅昌寺奥の院に行く賽の河原をわたると大きな墓石群がみえてきます。

 横6基が約10列ぐらい並んでおりびっくりです。

 この墓石群は「西の本山」とか「西の高野」とか言われていた時代、この近辺の大名や家老級の人のお墓ですと案内板にかかれていました。いにしえの隆盛さを残すものでした。

澄心池

2009-12-19 10:40:27 | 歴史/古文書
 この池は禅昌寺の裏山にあります。奥の院にいく途中というか賽の河原の橋の手前の此岸の手前にある池です。

 訪れても誰もいない深閑としたところで足音をしのんでいくと突然、鯉がびっくりして水音を「バッシャ」とさせ驚かせます。しかし本当に心が澄んでいく場所でした。