「不幸」を知ることが「幸福」につながるかも知れません・・・・が、つながらないかも知れません(笑)。
そういえば「ふこう」と「こうふく」の文字をよく見ると、似ていますね。不幸に見えて実は幸福、また幸福そうに見えて実は不幸なのかも(大笑)。
歎きの不幸とは
嘆きといっても、それはまだ望みのあるうちのことで、・・・・。済んでしまったことをくよくよ嘆いていると、かえって新しい不幸を招くようなことにもなる。: ロメオとジュリエット 世界文学全集 河出書房
「嘆きすぎは不幸につながる」という、男性であるシェイクスピアが、物語の中でジュリエットという女性に語らせたセリフなのでしょうか。
別に違和感はないでしょうが、次の話を聞くと、俄然、違和感が出てきます。
韓国人は自分がいかに不幸かを話したがる
韓国では「恨」をハンと読むが、これは「うらみ」の感情とは少々異なっている。最近では、日本人の情緒的な特性を「もののあわれ」に代表させ、それと「恨」を比較する試みなどもあるようだが、恨は韓国人特有の情緒を見るためには、ピッタリのものと言えるように思う。・・・・
恨をひとことで言うのは難しいけれども、結論から言えば、韓国人にとっては生きていることそのものが恨なのである。自分のいまある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。自分の願いが達成できないとき、自分の無能力が恨になることもある。・・・・
韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかということを、・・・・相手に嘆くことがとても好きである。・・・・「私はこんなふうに生きてきた。ああ、私の運命はなんて不幸なものなんだろう」という具合に。これは、日本人がよくやるような、相手に対して自分を卑下する言い方でもなく、また単に自分に悲観しているのでもない。
私の日本語教室に通う韓国の女たちは、何人か集まると、好んで身の上話に花を咲かせる。そんなとき、あたかも「みじめ競争」のようなことが起こるのである。
ある者が、「私はこんなに不幸な家庭に育った」と話す。すると、それを聞いている他の者が、「私なんかもっと不幸だった」と語りはじめる。また、もう一人が「そんなの不幸のうちに入らない」と話す……。そんな具合に、話はどんどんより不幸な話へと発展する。みんながみんな、自分こそ、誰よりも不幸でみじめな人生を背負っているのだということを、盛んに主張し合うのである。:P.85-86呉善花「続・スカートの風」角川文庫
現在は日本国籍を取得している韓国済州島生まれの呉善花(オソンファ)は、韓国の女性が「不幸を語りたがる」と主張しています。イギリスの女性もやはり不幸を語りたがるのでしょうか。もしそうだとすれば、やや普遍性があるともいえますか(笑)。
不幸の語り方一つをとっても、これだけ違うのですね。
そういえば紫式部(平安時代)もこんなことを言っておりました。←講釈師みてきたような嘘をいい(笑)
澄める池の 底まで照らす かがり火に
まばゆきまでも うきわが身かな 『紫式部集』
こちらによれば、「澄みきった池の底まで照らす篝火〔かがりび〕が、恥ずかしいほどに映しだす不幸せなわが身」を詠んだとのことです。
名前は世界中に知られているものの、当時としては紫式部といえども出自を明確にできなかったのでしょうか。
それにしても紫式部は、自分の人生を「まれなほど冷徹」に嘆いていますね。源氏物語の作者としての冷徹さを、歌で暗示している、と私はみました。
「外国に出て行くとは何事だ!」という批判は当たらない
このように「場所を変える」選択をした人に対し、「こんなに幸せな国〔日本のこと〕に生まれたのに、外国に出て行くとは何事だ! この国で通用しないヤツが、外国なんかで通用するはずがない!」と批判を浴びせる人もいます。
しかし、私はそう思いません。日本でうまくいかなくても、別の環境で見違えるように実力を発揮する人はたくさんいます。「幸せな国」を出ることで幸せになる人もいるのです。
日本の企業に滅私奉公して、家族のように寄り添うことで幸せに生活できる人も、そのルールを理不尽に感じてついていけず不幸せになる人もいます。
海外に飛び出し、自分が好きなことに邁進して自由を謳歌し、貧しくも幸せに生活できる人もいるし、夢破れて不幸せになる人もいます。もちろん、海外で多くの富を得る人もいるでしょう。
どの選択肢を選んでも、幸せになれる希望もあれば、不幸になるリスクもあります。しかし、何かをする時にどうしようもなく立ちふさがる壁が低く、自分を成長させるチャンスはたくさん与えられる――。この両方を社会からバランスよく提供してもらっているのが、私たち日本人だということを忘れるべきではありません。
現在の円高の影響もあり、バイトでも一生懸命働けば、どの国へ行く航空券でも購入できます。他の多くの貧しい国に生まれた人よりもスタートラインが上位にあり、それゆえに人生における選択肢が多いということに気づくと、日常感じている不満や閉塞感、絶望感がすこし緩和するかもしれません。(森山たつを) Jcast
「この国で通用しないヤツが、外国なんかで通用するはずがない」
まだまだこの日本には、こんな間違ったことを平気で言う人が、うじゃうじゃ棲息していますね(笑)。決められたコースを歩まされた人が「愛情を込めて言っている」つもりですが、的を射た発言どころか、人をおおいに惑わす言葉でしょう。あまりにも人を見誤っている、と言うべきか、あまりにも外国を見下している・・・・・・・。
- 「不幸な家庭環境」で育った人が、長じて立派な家族をもつこともあるでしょう。
- 「イジメや暴力がひんぱんに起こった学校環境」を終えた人が、長じて立派な上司になることもあるでしょう。
- 「みじめな見栄や縄張り競争」に終始しながら禄をはむことに我慢できなかった人が〔我慢できる人もますが〕、その後、転職して立派になることもあるでしょう。
- 公務員を1年でもやるともう使い物にならない、と昔は言われたものですが、今はどうなんでしょうか。
ですから、「ある環境で通用しない人が他で通用するはずがない」というのは、明らかに間違っています。
この意見は、ものの見方にもよるのですが、その環境でも「通用しない」人が大多数であり、その人が他へ移っても通用しなかった、のを過大に表現したものと思われます。
本人が「愛情をこめて」言ったとするならば、その愛情はかなりいびつな愛情といえ、この説に賛同する人は少ないでしょう。
人が、他人から見て幸せそうに見えても、
実際は針のむしろに座る心地かも知れず、見かけだけで安易に他人の幸せ・不幸せを決めつけないことですね。
そうです、幸せかどうかは自分の心が決めるものでした。
人は、不幸であればあるほど
幸せを装ったり、幸せを演じなければならない、と信じ込む。
大多数の国民が不幸な地域ほど、為政者が「国民の幸せ」を演じさせたがる、と知っておきましょう。
北朝鮮の為政者はそれほど悪質で、北朝鮮国民が可愛そうなのです。
こういうカンによる決めつけは、
どちらかというとカンが発達した女性に多く、決めつけが当たっている場合もありますが、しかし又はずれることも多い(笑)。そして、はずれたときのほうが深刻な影響を与えるもの。
不幸を嘆きすぎるのがよくないとする地域もあれば、互いに不幸を述べ合って共感し合ったり、自分の不幸を短歌で嘆く地域もあり、生まれ育った地域を脱出する選択肢もあると指摘する人がいたり、いろいろですね。
この多様性を知ることが、人として重要な一歩になると思います。決して世間で流通している決まり切ったものの見方だけではない、ということでした。
500年も前の足利義政の不幸とは
私は「日本のこころ」の研究を始めるまで、東山文化の中心的な役割に気づいたことがなかった。私が日本の歴史で読んだ足利義政に関する様々な話を総合すると、彼は気まぐれな専制君主のように思えた。京都の町が応仁の乱で燃えているさなかに、義政は自分の宝物である美術品を玩弄(がんろう)して楽しんでいた。私が考えたのは、たぶん義政はネロのような人物ではなかったかということで、ローマの町が野蛮人に略奪されているさなかに、ネロは(伝説によれば)ヴァイオリンを弾いていたのだった。
私は間達っていた。義政は、特に晩年の義政は繊細で美的天分に溢れた人物だった。ただし銀閣寺に居を定めるまでは、同時代の日本人の暮らし向きにも、将来の世代の文化にも一切貢献したことがなかった。
義政は、将軍として失格だった。日野富子との結婚生活は不幸せだったし、息子の義尚とは敵対関係にあった。しかし生涯の最後の十年間は、東山時代の精神を体現する守護神のような存在だった。この時代が日本人に残した文化遺産には、測り知れないものがあることが明らかとなっている。たぶん日本史上、義政以上に「日本のこころ」の形成に影響を及ぼした人物はいなかったのではないだろうか。・・・・
「日本のこころ」について一番注目すべきことは、日本人がこの言葉を使って次のよぅな信念を伝えてきたことかもしれなくて、それは日本人の審美的かつ精神的な嗜好のある部分が日本人独特のものだということだった。あるいは、それは正しいかもしれない。しかし自分たちだけが特別だという確信を、このように強く抱いている国民が他にいるとは思えない。:P.303-309 ドナルド・キーン「ドナルド・キーン自伝」角地幸男訳 中公文庫2011年2月25日初版発行
気まぐれで専制君主の道を歩み、人間関係でも不幸だったとされるのが足利義政に対する定着した見方でした。
しかし義政が晩年、東山の銀閣に住むようになってから、今はなくなりつつありますが現代にまで影響を及ぼした、障子や畳などの日本間を生み出した、とも言われております。
不幸な人生だっただけに、晩年にこそ足利義政の幸せがあったのでしょう。そう見抜いた日本人ドナルド・キーン〔雅号:鬼怒鳴門 きぬ・どなると 「鬼怒川きぬがわ」の「きぬ・どなると」?〕もまた、ただものではありません。
定着したものの見方にとらわれていてはいけない、という見本ではないでしょうか。
最後に笑ってしまいそうな「不幸」に関する毒舌を・・・・(笑)。
デザイナーの不幸
我々高級婦人服のデザイナーにとっては不幸なことに、多くの女性は現金払いで服を脱ぐというのに、服を買うときはクレジットで買うのである。(ルイ・フェロー):P.86 ジェローム・デュアメル(吉田城訳)「世界毒舌大辞典」大修館書店
「不幸」にも、いろいろあるのですね(笑)。