広くアジア地域に定着しているかのような名誉殺人。いやな言葉ですね。
- 名誉殺人とはほんとうに「名誉」なのかどうか。
- 組織を維持するだけのための悪習に過ぎないのではないか。
広辞苑第六版では「名誉」をこう定義しています。
めい‐よ【名誉】
①ほまれあること。よい評判を得ること。ほまれ。
②名高いこと。有名。
③世間から高く尊敬・賞賛せられること。
④功績をたたえて、ある地位や職を形式的に贈るとき、その地位や職名の上に付ける語。
⑤不思議なこと。奇妙なこと。
地域や時代や宗教を超えて「普遍性」があるかどうかが、問題でしょうか。
確かな証拠はないようですが、かつては
日本でも伝説として「姥捨て山(うばすてやま)」という名誉殺人があったとされていますから、名誉殺人は遠い国のできごとではなさそうです。
ただし、その正反対に位置する「生かしておくだけの延命治療」や「尊厳死」については、ここでは触れないことにします。
その名誉殺人の根拠ですが
- 地域の名誉を守る
- イスラム教やヒンドゥー教の戒律を守る
そういうことを主張して「殺人」を肯定するから宗教が嫌われます。
これら宗派に限らず、キリスト教もユダヤ教も仏教もみな、自分の宗教が一番正しく、他は間違っている・邪教だ・異教徒だ、とすることが多く、これが個人の心に根ざすべき宗教の本質的な腐敗だと私は思っています。
宗教が、地域や国をまとめるための政治的利用をしている限り、対立がそのまま宗教対立となり、世界平和はあり得ないでしょう。
現代社会の多くの地域をキリスト教が支配していますが、愚かな人間たちが反キリスト教という差別で異教徒を迫害するのは、認められません。
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教、それに仏教などの宗教が、社会の表に出ずに済む仕組みの構築を急がねばなりません。日本でも宗教政党が大手政党にべったり寄り添っているのは危険です。
「名誉殺人」という名称そのものが間違っていると思います。
台湾からの留学生Cさんから、台湾の少数民族にたいして明治時代の台湾総督府がどのような方策を取ったかという話を聞いた。
生蕃(せいばん「生蕃」は辞書では「辺地などに住み、中央の風になじまず荒々しい野蛮な民」とある)であるタウリ族の首狩りの風習を止めさせるのにあたって、17年をかけて少数民族を学術的に調査し、分析しているのだ。そして、首狩りの儀式の重要な部分を禁止した。一つは笛の演奏、もう一つは織物である。首狩り自体は民族の神聖な行事であるからそれを禁じるのではなく、その儀式を意味のないものにすることで消滅させたという。私は感心した、そのような思慮深い施政を日本政府がしたとは……。
「だから、今でも台湾では日本人は尊敬されています」とCさんは話す。しかし、留学してみて、Cさんの日本人への評価はだいぶ変化したらしい。Cさんは台湾で博物館に勤めているときにその調査資料を調べて、台湾の織物を復元したくなり沖縄に留学したという。修士論文を書き上げるために石垣島に滞在しているのだと話した。:P.76-79 青井志津「石垣島、死者の正月」株式会社四谷ラウンド 2000年6月14日第1刷発行
このような日本人の智恵が役にたつことも、ありそうです。
- 「殺人という社会の風習」が悪いのですが、これを強制的にやめさせるのが実質的に無理だとすれば、そうではなく、社会の仕組みをよく調べて、「名誉殺人」の意味がなくなるような何かの風習さえ禁止すればいいのですから・・・・・・。
- さてそれは何か。私にはまだ分りません。とにかく、まともな教育が普及するには時間がかかりますから、その努力を続けながら、原因を研究する価値がありそうです。