本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。
ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも用意しています。
中国には、「西瓜を買う学」という話がある。
ある店の主人が小僧にこう言った。「門を出て西へ行くと、一つめの橋のところで西瓜を売っているから、そこで、西瓜を二つ買って来い」
小僧は西へ歩いて行ったが、橋も見当たらなければ、西瓜を売ってる者もいない。そこで彼は手ぶらで戻って来て、言った。
「東側には西瓜を売ってるところがあるんだけど、西にはありませんでした」
「じゃ、どうしておまえは東側に行かなかったのだ」と主人は言って、小僧を大馬鹿者と罵った。
「あなたにそう言われなかったからです」と小僧が答えると、主人はまた彼を馬鹿と罵ったが、内心では、何も考えず命令どおりに動くこんな男こそ、信用できると思っているのだ。
この小僧が東へ行って、西瓜を買って来たとすれば、「おまえは本当に賢い奴だ」と主人は小僧をほめるかもしれないが、内心ではこう思っている。「この小僧は信用できない。あいつはいろいろ考えるからだ」
思考力のある奴隷はもっとも危険なのだ。主人は、このような奴隷は殺すか、さもなければ追い出すのである。
このような文化の下で教育されてきた人間に、どうやって独立思考ができようか。われわれ中国人は独立思考の訓練を受けたことがない。また、独立思考を恐れているのだ。
だから、中国人はものを見る目に欠けている。何ごともごまかしですませ、是非がなく、基準もない。中国はなぜ今日のような状態に置かれているのか、その原因をなんとか見つけ出さなければならないのである。
: P.51-54 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良澤・宗像隆幸(共訳)光文社1988/06/25 12刷発行
政府に反抗さえしなければ、
少々のワイロ・偽造・談合・ペテンを認める、としたことから中国では腐敗が始まったようです。
それはその通りですが、中国の場合、もっと底にある深刻な問題として、「中国人の差別癖」があげられるでしょう。他人を人と認めないことには、深刻な人権上の問題がある、と考えてよさそうです。
- これが中国共産党政権下でいっそう発展し、人は考えてはならず、ただひたすら中国共産党の「ご指導ご鞭撻」のまま存在し続け、考えない奴隷であり続けました。
- 「思考力のある奴隷は危険」という国を挙げてのものの見方に慣れきってしまい、これによって中国人には思考力が身につくヒマがなかったのでした。
- それでも社会に安寧があれば、まだ我慢できますが、中国社会には、混乱と対立があるのみで、どこにも秩序が見られません。
- 思考力と秩序を放棄し、「個人の欲望を満たすのは金儲け」だけになり、すべての他人を敵とみなす社会になり果ててしまった、これではマトモな中国人でさえ感覚が麻痺してしまいます。
信用できない他人を「思考をもたない」奴隷のように扱い、独立思考の芽を摘むことこそが、伝統的な中国社会なのでしょう。
またそのような中国社会にしてしまった中国共産党は、その存立と引き替えに「中国人がまともな人になる一縷(いちる)の望み」さえ、消し去ったのでした。
もう中国共産党政府が国民を制御できなくなっているのは、韓国が国民を制御できなくなったのと同じゆえに、韓国は中国に親しみを感じているのでしょう。いずれも政権維持に精一杯であり、国民の幸せとか社会の安寧などを考えることはありません。
「混乱を覚悟し各人に意見をもたせる」ほうが国としては健全ですが、政権を維持するために「混乱を恐れ人を奴隷として扱い社会の秩序を目指す」と、逆に世の中がめちゃくちゃになる、という実例でした。
中国の文化史を振り返ると、羅針盤と製紙術、火薬を発明した時代は、主に宋の時代であった。979年から始まった宋は中国の歴史の中では、帝国としての色合いがもっとも褪(あ)せていた時期だ。すなわち以前とは異なり、思想的に相当に合理的で柔軟性を持っていた時期だと言えるだろう。
儒教もこの時期もっとも柔軟性があったが、やがて宋(北宋)が滅亡したのちに、朱子によって再び隆盛を迎え、皮肉なことに硬直化してしまった。海外経済貿易も五代十国時代からこの北宋時代までがもっとも活気を帯びた時代だった。この時期を中国のルネサンスと呼ぶ。
日本の学者たちは、今後中国が実際に世界の大国として君臨することができるか否は、科学技術を生み出す合理的思考が芽生えるか否かに懸かっていると言う。つまり科学思想カの根底にある合理的思考を支える、新しい精神的エネルギーを創出しうるかどうかがもっとも大きな問題となるわけだ。
20世紀の中国を代表する偉大な学者・文筆家の1人である林語堂は、次のように語ったことがある。
「日本人やアメリカ人は近代化された産業機械によって1ミリ、2ミリを競う。それゆえトンネルを掘るときは事前に精密に計算して1ミリの誤差も許さない。それを文明の勝利だと考えるからだ。しかし中国人はそうではない。そのまま適当に掘ってから途中でぴったり合えばよし、合わなければトンネルは2つになるが、それもまたよしとする考え方だ」
西洋で久しく学問をして生活した中国の一流の文化人でさえもかくの如しである。ましてや中国国民全体の精確性と科学的思考の欠如は言わずもがなである。:P.50-60 金文学著「中国人民に告ぐ!」祥伝社黄金文庫 平成22年(2010年)11月30日第10刷発行
中国では
唐(618-907)時代より、その後の宋(960-1279)時代の方が良かったのでしょう。素人考えでも、その後の元・明などは最悪に陥ったように見え、それが清や現代の中国共産党支配につながっています。
16回に及ぶ遣唐使を止めた(894)菅原道真の判断は正しかったと言え、末期には、きっと腐敗しきった唐だったのでしょうか。
最近しばしばみられる
中国での道路陥没事故をみていると、この国では合理的思考が欠如していると案じられ、かつ不気味に思われます。国際法など無視して、突然何を言い出すかが分らないのは、みなさま御承知の通りです。
ロシアもそうであり、独裁政権かどうかのリトマス(試験)紙だと言え、弾圧でもって秩序を図ろうと心酔していると、こうなります。
- 中国共産党が「道路陥没事故は(中国共産党が弾圧し続けてきた)イスラム教徒のテロだ」と言い出しそうに思えてなりません。いや身の程知らずの中国共産党ですから、既に言っているかも知れませんが・・・・。
- ちょうどそれは、何でもかんでも朝鮮起源だというので、韓国人が「船の沈没事故は朝鮮起源だ」と言い出しそうに思えるのと似ていますね(笑)。事実、セウォル号沈没事故(2014年4月16日)の21年前にも、西海フェリー沈没事故(1993年10月10日)がありましたし、北朝鮮の魚雷で沈没した天安沈没事件(2010年3月26日)の例もありました。やはり「船の沈没事故は朝鮮起源」なのでしょうか、はい、お疲れさん、次のかた、どうぞ。
中国・人権弁護士の初公判 判決下らず
中国で最も注目される人権派弁護士の一人、浦志強氏の初公判が14日、北京市第2中級人民法院(地裁)で開かれた。裁判所の前では外国の報道陣や外交官、支援者らが集まっていたが、入り口で警官ともみ合う場も見られた。
浦志強氏が訴追されている罪状は、「民族間の憎悪の扇動」と「けんかを売り問題を起こした」などの内容。浦氏の家族が記者団に語ったところによると、判決は保留された。 ・・・・
浦氏は、中国共産党を揶揄するコメントや、新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル族や、チベット独立運動をめぐる政策に疑問を呈する発言をソーシャルメディアに投稿していた。有罪判決を受けた場合には最長8年の禁錮刑を受ける可能性がある。
浦氏の家族によると、同氏はすべての罪状について無罪を主張した。浦氏の妻は公判の傍聴が許された。 ・・・・
浦氏は昨年5月、天安門事件から25年を記念するイベントに出席して以来、身柄を拘束されている。浦氏は事件当時に学生で、天安門の抗議活動に参加していた。
裁判を傍聴した浦氏の家族は、浦氏がかなりやせ、白髪が増えていたものの、健康そうで思考も明瞭だったと記者団に語った。 :BBC 2015年12月14日
中国共産党はあまりにもひどすぎる弾圧を繰り返していて・・・・
- 中国共産党と異なる意見をもってこれを表明すると、すぐさま拘束・逮捕・投獄・処刑され、北朝鮮なみと断定できそうです。
- あくまでも「形式的な裁判」をするけれども、こんなのはまともな裁判とは言えず、小学校の学芸会に過ぎません。
- 裁判所前で記者が取材するのを妨害し暴力的に取り締まり報道を制限している、のが独裁国家。
など目に余る行為を繰り返しており、中国はもう最低の国かも知れません。にもかかわらず沖縄の翁長は、そういう中国の実体にいっさい触れることなく、ひたすら沖縄を被害者に仕立て上げて米軍基地反対だけに集中していて、政治家としては失格であり、この点で韓国そっくりでした!
被害者性を強調し過ぎる場合、加害者性をひた隠しにし勝ちです。この例は以下の通りです。
- 中国共産党が中国人に対して〔文化大革命や天安門事件はなかったことにしたく、もう片付いた問題なので(実際には中国共産党が歴史をねつ造)、これに触れてはならないと厳しく検閲してがんばります。ただただ攻撃あるのみですね。〕
- 韓国がベトナムに対して〔元寇時の対馬や北九州での蛮行は、元王朝にそそのかされたと言い、ベトナム戦争時の蛮行はアメリカ軍にそそのかされた、とがんばり絶対に非を認めず謝罪をしません。ただただ攻撃あるのみですね。〕
- 琉球王朝が八重山に対して〔琉球王朝が、侵攻した薩摩にそそのかされたから八重山を弾圧差別した、とがんばります。ただただ攻撃あるのみですね。〕
いずれも
加害者であったことをひた隠しにし、これに触れないままでいたい、のでした。これらの地域では、いまでも「ひた隠し」を続けており、その地域でそれに触れることはできません。
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ダメよダメダメ、子どもじゃないわ。
隠さなくても、いいじゃ~ないの。
どうせ拾った、運命よ。
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