防衛大臣の河野が述べています。
「オーバーシュート」「クラスター」河野防衛相「日本語で言えばよい」:tbs 2020年3月24日 14時27分
新型被害の話題が多い中で河野が
クラスター・オーバーシュート・ロックダウン
などというカタカナを、日本語にすべきだと言っており、これは尤もなことです。
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- 日本語に翻訳すれば、それなりの反発があり、苦労が伴うのであり
- そのままカタカナを使う場合、反発がないし、それを説明する能力もなければその必要もなく、苦労がないからです。
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そのままカタカナを使うのは次のいずれかの場合。
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- 適当な日本語訳がない場合「なじみ」がなくても
- その言葉が日本語に比較的「なじみがある」と判断された場合
そのカタカナに「ほかの意味」があっても、それを使う人は、「ほかの意味」の詳細を説明する能力も必要もないのでしょう。
しかし、ちゃんと翻訳して日本語で表現する場合、本人も迷うし、批判もあるでしょう。
この点が母国語とそうでない外国語のちがいでしょうか。この「ほかの意味の説明」の必要のあり・なしが「カタカナ」「日本語」の分かれ目のようです。
的確な日本語訳が必要とされるのです。
わかりやすく言えば
- カタカナ:「ほかの意味」を説明できない
- 日本語訳:多くの苦難を経てたどり着いた
外国語を学ぶ場合
1つの外国語の言葉が、日本語の「別の複数言葉」に対応することがあるので、日本語はややこしいと言います。
しかし日本語を外国語として学ぶ場合、日本語なら1つの言葉ですが、母国語ではいろんな言葉で言うため、母国語はややこしいと言います。
結局おなじことなんでしょう。
ある言語のある言葉と、別の言語のある言葉とは、かろうじて1つでつながっており、これは覚えるほかなさそうです。
翻訳とは
外国語に相応しい母国語を選ぶ力
なんでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。