カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

カタカナではなく日本語で

2020年03月26日 09時54分35秒 | 社会

防衛大臣の河野が述べています。


「オーバーシュート」「クラスター」河野防衛相「日本語で言えばよい」:tbs 2020年3月24日 14時27分


新型被害の話題が多い中で河野が

クラスター・オーバーシュート・ロックダウン

などというカタカナを、日本語にすべきだと言っており、これは尤もなことです。

      • 日本語に翻訳すれば、それなりの反発があり、苦労が伴うのであり
      • そのままカタカナを使う場合、反発がないし、それを説明する能力もなければその必要もなく、苦労がないからです。

そのままカタカナを使うのは次のいずれかの場合。

    • 適当な日本語訳がない場合「なじみ」がなくても
    • その言葉が日本語に比較的「なじみがある」と判断された場合

そのカタカナに「ほかの意味」があっても、それを使う人は、「ほかの意味」の詳細を説明する能力も必要もないのでしょう。

しかし、ちゃんと翻訳して日本語で表現する場合、本人も迷うし、批判もあるでしょう。

この点が母国語とそうでない外国語のちがいでしょうか。この「ほかの意味の説明」の必要のあり・なしが「カタカナ」「日本語」の分かれ目のようです。

的確な日本語訳が必要とされるのです。 

わかりやすく言えば

  • カタカナ:「ほかの意味」を説明できない
  • 日本語訳:多くの苦難を経てたどり着いた 

外国語を学ぶ場合

1つの外国語の言葉が、日本語の「別の複数言葉」に対応することがあるので、日本語はややこしいと言います。

しかし日本語を外国語として学ぶ場合、日本語なら1つの言葉ですが、母国語ではいろんな言葉で言うため、母国語はややこしいと言います。

結局おなじことなんでしょう。

ある言語のある言葉と、別の言語のある言葉とは、かろうじて1つでつながっており、これは覚えるほかなさそうです。 

翻訳とは

外国語に相応しい母国語を選ぶ力

なんでしょう。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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